広島カープ25年ぶりのリーグ優勝の真の立役者は、2009年に完成した3万3千人収容のマツダスタジアムだったのではないか。

 

 

 広島の黄金期は1980年代だ。リーグ優勝3回(80、84、86年)、うち日本一2回(80、84年)。Bクラスは82年の4位の1回だけだ。

 

 広島が初めて日本一に輝いた1979年、シーズンMVPの江夏豊はオーナーから提示された来季の新年俸を見てびっくりした。

「こんなにもらっていいんですか……」

“ミスター赤ヘル”の山本浩二、鉄人・衣笠祥雄も高給取りで、江夏とともに年棒ランキングの上位を独占していた。

 

 ところが、93年にフリーエージェント(FA)制度が導入されると、富裕球団の巨人や阪神が財力にモノを言わせて、続々と広島の主力を一本釣りしていった。広島は低迷の時代を迎える。

 

 巨人は川口和久(94年)、江藤智(99年)、大竹寛(13年)を。阪神は金本知憲(02年)、新井貴浩(07年)を引き抜いた。

 

 04年には球界再編騒動が勃発し、広島もリストラ候補に上げられた。巨人が主導する縮小再編計画は12球団から10球団、やがては8球団と段階的にチームを減らすというものだったからだ。

 

 この期に及んで、やっと地元は重い腰を上げた。球団経営の柱だった巨人戦の放映権料が年々減るなか、安定的な財源を求めるのなら新球場をつくるしかない。それも、魅力のある球場を――。

 

 09年に完成した新球場は総天然芝で開放感があることに加え、アミューズメント性に満ちている。女子トイレが増えたことで「カープ女子」も出現した。

 

 これにより、観客は急増し04年に63億円だった売上高は、15年には倍以上の148億円を記録した。内訳を見ると、04年には売り上げの約半分を占めていた放映権料が、15年には10%未満に下がった。収益構造の改善が優勝を呼び込んだ。

 

<この原稿は『週刊大衆』2016年10月3日号に掲載されたものです>

 


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