NPBで通算150勝以上を挙げたピッチャーは400勝の金田正一を筆頭に48人いる。

 

 

 この中で負け数が勝ち数を上回っているのは、元阪急の梶本隆夫(254勝255敗)、元広島の長谷川良平(197勝208敗)、東京や大洋などで活躍した坂井勝二(166勝186敗)、そして先頃、今季限りでの引退を発表した横浜DeNAの三浦大輔(172勝183敗)の4人だけだ。

 

 彼らに共通して言えるのは、そのキャリアのほとんどを弱いチームに捧げたということだ。元広島の長谷川に至っては、14年間の現役生活全てがBクラスである。

 

 人生に“たら”や“れば”は禁句だが、もし長谷川が強いチームに在籍していたら、名球会入りは確実だったと思われる。

 

 実際、そのことを口にしたライバルがいる。同じく国鉄という弱小球団に長きに渡ってエースとして君臨した400勝投手の金田だ。身長184センチの金田に対し、長谷川は167センチ。それが互角の投手戦を演じるのだから、地元は沸いた。

 

「もっと強いとこにおったら、200勝どころか300勝していたかもしれんよ」

 金田の言うとおりだろう。しかし長谷川は200勝にあと3つ届かなかったことで、逆に“悲運のエース”という誇り高き称号を得た。広島一筋の生き方もファンの心をワシ掴みにした。

 

“ハマの番長”の愛称で親しまれた三浦も、長谷川の生き方に相通ずる部分がある。

 

 野球人生で最大の決断を迫られたのは2008年のオフだ。古巣と再契約するか、子供の頃からのファンであった阪神に移籍するか――。

 

 奈良県生まれの三浦は生粋の阪神ファンである。

「野球人生の最後の方は生まれ故郷の近くで野球をやるのが親孝行だと思っていたし、何より僕自身、子供の頃は甲子園で六甲おろしを歌っていたくらいですから……」

 

 FA権を行使した三浦に阪神は3年総額10億円という好条件を提示した。心が揺れな いわけがない。

 

 しかし、ここで三浦は自らに問いかける。

「オマエは何がしたいんや? カネか? 生き方か?」

 

 甲子園とは無縁の高田商に進んだのは強豪の天理を倒すためだった。プロ入りしてからは巨人や阪神を倒すことを生き甲斐にマウンドに立ってきた。

 

「自分の原点を確認することで進むべき道が見えてきたんです」

 

 次に現場に戻る時は古巣の投手コーチか、監督か。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2016年10月21日号に掲載された原稿です>

 


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