鶴見虹子(元体操女子日本代表選手)<前編>「達成感を得た2008年北京五輪」
二宮: 今回のゲストは元体操女子日本代表選手の鶴見虹子さんです。そば焼酎『雲海』のソーダ割り「そばソーダ」を飲みながら現役時代の話をお伺いしたいと思います。
鶴見: スッキリしていますね! すごく飲みやすいです。
二宮: 普段からお酒は飲みますか?
鶴見: 実はあまり飲みません。友達と食事に行く時に少し飲むくらいです。初めてそば焼酎を飲みましたが、こんなに飲みやすいとは思わなかったです。女性が好みそうなお酒ですね。
二宮: 和食料理との相性も抜群です。
鶴見: 本当ですね! まろやかな口当たりなので、料理の味が引き立ちます。
二宮: 鶴見さんは昨年現役を引退し、現在は指導者の道を歩んでいると伺いましたが、生活スタイルは変わりましたか?
鶴見: 180度変わりました。午前中に英語の勉強をして、午後はレッスンを教えに行っています。レッスンがない日は徳洲会体操クラブに行って選手を指導しています。
二宮: 朝は何時に起きますか?
鶴見: 最近は早起きでした。先日、あるメーカーの撮影があったので、その撮影に向けてホットヨガに通っていたんです。午前中に2時間ホットヨガで汗を流して、少し勉強してからレッスンに通う日々でした。
二宮: 健康的な生活ですね。引退されてからも、ストレッチなどはされていますか?
鶴見: はい。生徒たちに手本が見せられなくなるのは嫌なので(笑)。見本となる程度の柔軟性は保っておこうと思っています。
引退を決めた瞬間
二宮: 昨年11月の全日本団体選手権で現役を引退されました。引退を意識し始めたのはいつ頃ですか?
鶴見: その年の5月にリオデジャネイロ五輪の代表選考会兼ねたNHK杯で、平均台の演技中に右足のアキレス腱を断裂したんです。
二宮: 演技中にですか!?
鶴見: はい。平均台の着地をした際に切りました。大学4年生だったので、もう引退しようと思って、手術が終わった翌日に監督の瀬尾京子先生に報告しに行ったんです。そうしたら、「まだ団体戦があるよ。(段違い)平行棒ぐらいはできるんじゃない?」と言われてしまいました。
二宮: なるほど、監督に説得されたわけですね。
鶴見: さすがに平行棒のためだけに、リハビリや筋トレをするのは嫌だったので、「きついです」と答えました。でもその時、私は女子チームのキャプテンだったこともあって、瀬尾先生からは「私は虹子がキャプテンのチームにつきたい」と説得されて、11月まで頑張ることにしたんです。
二宮: 平行棒は足に負担がかからないんですか?
鶴見: 足を使うのは着地の瞬間だけなので、他の種目に比べると負担は少ないです。大会前の3週間までは着地以外の技だけ練習して、試合の直前まで降り技はやりませんでした。
着地の極意
二宮: 体操ではクルクル回りながら着地をしますよね。回っている時は、目を開けているんですか?
鶴見: 私はどちらかといえば、感覚でやる方だったので、回転している時は目を閉じていました。飛んだ瞬間に目をつぶって、“あ、ここらへん”と、感覚だけを頼りに着地を決めていました。
二宮: 男子体操のオリンピック金メダリスト・内村航平選手は、「着地をする時に下を探す」と言っていました。
鶴見: 内村くんはちょっと特殊ですよ。普通は速すぎて見えないはずです。あと、白井健三も多分、下をめっちゃ見ています。
二宮: あの2人は別格ですか?
鶴見: 別格ですね。本当に才能があります。
二宮: 器械体操に必要な“空中感覚”は、どういう方法で養うんですか?
鶴見: 「タントラ」という跳ねる器具があるんです。今の小さい子たちはタントラで空中感覚を養う練習をさせているみたいです。私の時はあまりやらなかったので、時代とともに指導法が変わっているということですね。
恩師・陶先生との出会い
二宮: 鶴見さんは5歳の時に体操を習い始めたとお伺いしました。きっかけは?
鶴見: 2歳年上の姉が先に体操教室で習っていたので、私も自然と始めました。でも、そこは遊びだけのクラブです。本格的にやり始めたのはもう少し経ってからです。
二宮: 元々、活発なお嬢さんだったのでしょうか?
鶴見: じっとしていられなかったので、超悪ガキだったみたいです。私の母は周りの人から「何かやらせた方がいいんじゃない?」と、よく言われていたみたいです(笑)。きっと、エネルギーがあり余っていたんだと思います。
二宮: 超悪ガキですか(笑)。運動神経も良くて、すぐにバク転などもできましたか?
鶴見: 初めからできたわけではありません。体操教室に通い始めた時は大分県にいたのですが、小学1年生の時に千葉県へ引っ越したんです。それから2年間ぐらい新体操を習って、新体操を辞めてから本格的に器械体操を習い始めました。
二宮: オリンピックを目指したのは?
鶴見: 千葉の体操クラブで、中国人の陶暁敏先生に出会ってからです。陶先生に「頑張ったらオリンピックに行けるから」と言われてから、意識し始めました。陶先生は中国の元ナショナル選手だったので、教え方がすごく上手でした。
二宮: 中国人コーチだと日本人コーチよりも厳しそうですね。
鶴見: 基礎をかなり厳しく叩き込まれました。本当に厳しい先生だったので、毎日泣いていましたよ。でも、私が上達できたのは陶先生のおかげなので感謝しています。
二宮: 辞めようと思ったことは?
鶴見: 小学5年生の頃から急に練習がきつくなって、その頃は毎日「辞めたい」と母親に言っていました。でも母は「もうちょっと頑張ったら?」と、辞めさせてくれなかったんです。でもこの時、「辞めていいよ」と言われていたら五輪には出られていなかったでしょうね。
“ある意味忘れられない”10年東京世界選手権
二宮: 現役時代で一番印象に残っている試合は?
鶴見: 15歳の時に初出場した2008年北京五輪です。たくさん練習して、自信を持って“頑張った”と思えた試合でした。団体5位入賞、個人総合17位、平均台8位入賞と、結果もついてきました。12年ロンドン五輪も悪くはなかったけど、前回大会で団体は入賞していたので、“入賞して当たり前”という雰囲気がありました。それに比べて、北京の時は誰も入賞するとは思っていなかったので、本当に嬉しかったです。
二宮: やはりオリンピックは独特な雰囲気がありましたか?
鶴見: 試合自体の緊張感はいつもと同じですが、やはり達成感が普段の試合とは違います。あとは、お客さんとメディアの数もすごいです。そういう意味でも、オリンピックは全然雰囲気が違います。
二宮: 北京五輪の翌年の世界選手権ロンドン大会では、個人総合3位、段違い平行棒2位に輝きました。世界選手権で複数メダル獲得は、43年ぶりの快挙です。
鶴見: 北京五輪が終わった後、陶先生とロシア人のフェドセフ・セルゲイ先生が辞めちゃったんですよ。それまでは、先生に言われたことだけをやっていただけでしたが、そこからは自分で考えるようになりました。この年は良かったのですが、翌年はどん底でした。
二宮: “どん底”というと?
鶴見: 10年は肩を怪我してしまったこともあり、すごく調子が悪かったんです。それまでは、ずっと上、上、上へと順調にきていたので、大会でそこまで成績が悪かったことはありませんでした。10年の世界選手権は、これまでの成績と比べてもバンと落ちた時だったので、最悪な年でした。
二宮: 当然、周囲の期待も大きかったかと思います。それもプレッシャーに感じてしまったのでしょうね……。
鶴見: 09年の世界選手権でメダルを獲っているからメディアの数もすごかったです。毎日、「調子どうですか? メダルは獲れそうですか?」と、聞いてくるんですよ。実際、超調子が悪くて肩が痛かった。全然練習ができていないので、“獲れるかいな!”と思っていました(苦笑)。でも内心ではそう思っていても、「調子はまぁまぁです。頑張ります」みたいな感じで答えていました。ウソを言っている感があって、それもストレスに感じていました。
二宮: なるほどね。
鶴見: その年からはメディアが練習会場にも入れるようになったんです。毎日、練習を見に来られて、メンタルも結構やられていました。その状態で世界戦を迎えたので、全然良くなくて、失敗してしまった……。もう精神的にはめちゃくちゃでしたよ。その後、陶先生に指導してもらうために中国へ渡り、基礎からやり直しました。
国によって異なる選手の育て方
二宮: リオデジャネイロ五輪で日本女子は48年ぶりに団体4位でした。表彰台に上がった国は、アメリカ、中国、ロシア。国によって選手の指導法は異なりますか?
鶴見: 全く違いますね。中国は競技人口が多いので、ナショナルチームにピックアップした選手たちを徹底的に育てます。ロシアも中国と同様です。一方、アメリカは各クラブで選手を育てて、試合があるタイミングにだけナショナルチームとして集合をかける感じです。
二宮: 国威発揚型の中国とロシアは似ていますか?
鶴見: 同じような指導法に見えますが、ロシアは中国よりも選手を大事に育てます。私は中学1年の時に、中国人の陶先生とロシア人のセルゲイ先生に習っていたんです。陶先生は厳しいので殴ったりもするし、選手を雑に扱う時もありました。しかし、セルゲイ先生は選手を大事にしたいから「虹子、大丈夫?」と、いつも気にかけてくれましたよ。とても優しい先生でした。
二宮: そういえば、ロシアのスポーツ事情を取材した時に、ロシアの指導者はバレエも教えると伺いました。
鶴見: そのとおりです。バレエも習います。ロシアの選手が「バレエのレッスンが多い」と言っていたことを覚えています。私もバレエを習いましたが、するのとしないのでは、演技の美しさが全然違います。
二宮: アメリカはどうでしょうか。
鶴見: すごく自由です。先生たちは選手を怒らないですし、体重測定なんてしませんでした。選手に対して厳しくない分、才能があっても自分からやる子でないと伸びません。自分からやる子はどんどん上手くなって代表選手になれますが、その一方で消極的な子は「さようなら」という感じです。アメリカはやらされているのではなく、自分から進んで練習をするから強いんだと思います。
二宮: アメリカのスポーツ選手の中には競技を引退した後で、弁護士や医者になる人もいます。
鶴見: 選手の層が厚いので、1度オリンピックに出たら、そのまま辞める選手が多い。18歳で引退して、そこから勉強して大学生になった選手もいますよ。考え方がすごいですよね。
二宮: 体操は他の競技に比べて、引退する年齢が早いですね。
鶴見: そうですね。でも、私は23才で引退したので、頑張った方ですよ(笑)。
(後編につづく)
1992年9月28日、埼玉県生まれ。5歳の時に姉の影響で体操を始める。小学6年の時に、当時指導を受けていた中国人コーチ・陶暁敏とともに、朝日生命体操クラブに入部。06年に全日本選手権女子個人総合で史上最年少優勝を果たすと、同大会史上初の6連覇を成し遂げた。08年に北京五輪に初出場し、個人総合17位。平均台では8位に入賞し、団体では24年ぶりの入賞(5位)に貢献した。09年世界選手権ロンドン大会では個人総合で銅メダル、段違い平行棒で銀メダルを獲得。11年に朝日生命を退部し、鶴見体操クラブを設立する。翌年、日本体育大学に入学。同年ロンドン五輪はエースとして出場し、団体8位、段違い平行棒7位の成績を収めた。以降、度重なる故障に悩まされ、15年全日本団体選手権で引退する。現在は指導者の道を歩み、株式会社NBHが運営する「NBH体操教室」でコーチを務める。
今回、鶴見さんと楽しんだお酒は本格そば焼酎「雲海」。厳選されたそばと、宮崎最北・五ヶ瀬の豊かな自然が育んだ清冽な水で丁寧に造りあげた深い味わい、すっきりとした甘さと爽やかな香りが特徴の本格そば焼酎です。ソーダで割ることで華やかな甘い香りが際立ちます。
提供/雲海酒造株式会社
<対談協力>
折おり
東京都港区赤坂2−14−5 Daiwa赤坂ビル1F
TEL:03-6459-1888
営業時間:
16:30〜翌5:00
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◎クイズ◎
今回、鶴見さんと楽しんだお酒の名前は?
お酒は20歳になってから。
お酒は楽しく適量を。
飲酒運転は絶対にやめましょう。
妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。