161027nomitai3二宮: 親方は“技のデパート・モンゴル支店”と呼ばれた旭鷲山さんと共にモンゴル出身力士の先駆けです。大相撲に入ることが目的で来日されたのですか?

大島: そうです。17歳のときに、当時の大島親方がモンゴルに来て、力士としてスカウトされました。

 

 

二宮: 17歳で初めて日本に来て、言葉を覚えるのには相当苦労したらしいですね。

大島: そうですね。学校へは行かずに生活の中で覚えました。でも最初は目上の人にも平気でため口で喋っていましたよ。

 

二宮: 敬語や丁寧語は難しいですよね。

大島: そこまでは分からないですからね。ちゃんと丁寧に話すと、より言葉が難しくなるから。だから当時のおかみさんが、相撲でしか使わない言葉を調べて、毎日教えてくれていましたね。

 

二宮: 大体マスターするのにどのぐらい時間がかかりましたか­­?

大島: 1年ぐらいですね。

 

二宮: それはすごい!

大島: 日本語とモンゴル語は文法が一緒なんです。だから覚えやすかったんですよ。

 

 半年で部屋を脱走

 

161027nomitai5二宮: 部屋から脱走したことがあるとお聞きしました。

大島: ええ。2月に入門したのですが、半年でモンゴル大使館へ駆け込んで、故郷に帰りました。

 

二宮: それはなぜ?

大島: いろいろありました。相撲という全くルールを知らないことやっていましたし、朝5時に起きることもなかった。朝が早いので、起きた時も外は暗い。それがずっと続くと思ったときは心が折れましたね。それに部屋に30人ほど力士がいたのですが、先輩が約10年やっていて関取になれていない人も結構いるわけです。身体が130、140キロあっても。それを見ていたので、“この身体で10年やって無理なのにオレはいけるの?”と。

 

二宮: 当時の大島親方からも説得されましたか?

大島: モンゴルに戻って2カ月が経った10月に、親方が来たんですよ。“ここはモンゴルだし、無理やり連れて行かれることはないだろう”と思って、親と一緒に会ったんです。まず「元気?」から入って、すごくにこやかでした。それで「いい身体をしているんだから、頑張ったら強くなるよ」という話をたくさんしてもらいました。

 

二宮: それで気持ちが傾いていったと。

大島: いえ、その席では僕の他に日本に残った力士たちと、その家族がいたんです。そのときの雰囲気としては、普通に楽しそうに飲んで食べたりしている中で、僕らは呼ばれて行っている身だから、みんなと一緒になってワイワイと盛り上げるわけにもいかなかった。親は何にも悪いことしていないのに、僕のせいで暗かった。あれはちょっと寂しかったですね。

 

二宮: お父さんからは何か言われましたか?

大島: はい。「もう1回頑張ってこいよ」という感じでした。父親にしてみれば、“あの子らにできて、自分の息子にはできないわけがない”との気持ちがあったんだと思います。

 

­二宮: 日本に戻ってきて、­部屋で“かわいがられたり”はしなかったですか?­­­

大島: 正直、­戻ってこなかったら良かったと思ったことはありましたよ。かわいがりはありませんでしたが、とりあえず­みんな一斉に無視でしたよ。もう空気扱いでしたよ。もちろん、­稽古も­一番やらされて、いろいろな雑用も­やらされる。普通はその中で先輩が優しい言葉をかけてくれたり、稽古後は一緒に関取と食事に行ったりするんだけど、そういうのは一切なかった。だけど­毎日、稽古を一生懸命やっているうちに、“コイツは­本当に頑張る気なんだな”と信頼を得ることができたんだと思います。そこからは、みんな優しくなって、食事に連れて行ってもらえるようになりました。­­

 

二宮: そこからはわりと順調に番付を上げていきましたね。

大島: そうですね。2回目に日本へ来た時には相撲というのが­どういうモノかも分かってきていた。逃げる前の半年で­日本語が耳に残っていたから、言葉もそれほど苦労しなかった。あとは同時期に日本へ行っていた旭鷲山の影響もありました。­旭鷲山は休んでいないし、ずっと稽古をしていたから彼の活躍はとても刺激になりました。

 

 無欲だった初優勝

 

161027nomitai2二宮: 親方の現役時代のハイライトと言えば、やはり2012年5月場所の優勝です。当時は前頭7枚目。千秋楽を迎える時点で稀勢の里関、栃煌山関と11勝3敗で3人が並んでいました。14日目終了時点では4敗力士も3人いましたから、6人が優勝を争う稀にみる混戦でした。この場所は優勝を狙っていたんですか?

大島: いやいや。前半戦は勝ったり負けたりの2勝3敗でしたから(笑)。それよりも7日目に勝って通算794勝。歴代の勝ち星ベスト10の貴乃花さんに並んだんです。マスコミは「平成の大横綱に並んだ」と書いてくれる。それが僕にしてみれば、すごく気分が良かった。9位には高見山さんがいました。この場所で並ぶことは難しかったけど、高見山さんの記録が見えてきたことは、心動かされましたね。

 

二宮: この場所は横綱・白鵬関も5敗するなど荒れていました。

大島: 白鵬関は初日に安美錦関に負けて指を痛めていました。横綱になって初めて5敗したんです。まわりは騒いでいましたが、それでも僕は優勝できるだなんて、千秋楽の前まではないと思っていましたよ。

 

二宮: 千秋楽は豪栄道関との対戦でした。

大島: 優勝決定戦よりも緊張しましたね。相手は豪栄道関。豪栄道関との対戦成績はあまり良くなかった。それに優勝争いをしていた栃煌山関は、琴欧洲関(現・鳴戸親方)が欠場したので不戦勝。だから僕と3敗で並ぶ稀勢の里関が負けていたら栃煌山関は自動的に優勝でした。本割勝たないと優勝は見えてこないし、分が悪い相手でしたから、優勝とも思えなかった。とりあえず“豪栄道関を倒したい”という思いだけでした。それで本割に勝った瞬間からイケイケですよね。

 

二宮: 初の幕内優勝がかかった優勝決定戦。緊張は?

大島: 全然しなかった。栃煌山関は得意だったんですよ。この場所の本割も勝っていて、対戦成績も10勝3敗。こういうデータは精神的に有利ですね。

 

二宮: ハハハ。“オレの方が強いんだ”と。

大島: ええ。逆に栃煌山関は僕のことを嫌だったと思う。でも、この後はしばらく栃煌山関に負けたんじゃないかな。次の場所から3、4場所続けて負けました。とはいえ、2012年5月場所の優勝決定戦は僕の相撲人生で転機の試合ですね。これがなかったら40歳までやらなかったですね。

 

二宮: コンディションが良かったんですか?

大島: いやコンディションというよりモチベーションでしたね。4月に所属していた大島部屋が親方の定年退職になったんです。それで現役を辞めて部屋を継ぐか、部屋を移って相撲を続けるか選択しなくちゃいけなかったんです。年齢も年齢だし、「辞めて部屋をやったら」という声もすごくあったんですが、現役を続けるために友綱部屋へ行きました。もし、この場所で成績が良くなかったら、みんなからボロクソ言われていたと思いますよ。“やっぱり辞めた方が良かった”と。だから、この場所は意地でも勝ち越さなければと思っていました。

 

 涙の優勝決定戦

 

二宮: 優勝決定戦では、はたき込みで勝ちました。一瞬、まわしが取れず焦りませんでしたか?

大島: いや大丈夫でした。とりあえず捕まえようと思ったんです。栃煌山は右四つ。でも、まわしをきつく締めているから、とれなかった。それでも後ろに余裕があったので、はたいたら相手が落ちる自信はありました。

 

二宮: 土俵を降りてから、涙を拭う姿が印象的でした。

大島: 国技館の通路には若い衆がいっぱいいて、それにまた感動しちゃいました。この場所は母親も日本に来てくれていて、子供の面倒を見てくれていたんです。優勝が決まった瞬間は、いろいろなことが頭の中を駆け巡りました、父親も亡くなっていて、“この瞬間見せたかったなぁ”などと様々な思いがこみ上げてきたんです。

 

161027nomitai4二宮: この時は相当祝杯をあげたでしょう。

大島: 飲みましたね。名古屋場所まで毎日飲んでいましたよ。

 

二宮: 幕内優勝すると、大きな杯にお酒を飲む姿がよく報じられていますよね。あれにはどのくらい入るんですか?

大島: 僕の時は全部飲むわけじゃないですけど、2升入れました。

 

二宮: あれで飲むのはうまいでしょうね。

大島: ええ。ただ、2升入れたら、めちゃくちゃ重いんです。すごく貴重な経験でしたね。

 

二宮: 今まで一番酒を飲みましたか?

大島: そうですね。あの時は飲みました。

 

二宮: 親方は現役時代、場所中も飲まれたのでしょうか?

大島: 僕は飲みますよ。30代になったら肉を減らして野菜中心の食生活に変わったり、場所中飲まない人もいます。でも僕は全然関係なく飲んでいました。そっちの方がストレスも溜まりませんし、食べたいものを食べていましたね。

 

 無事是名馬の現役時代

 

二宮: 翌場所は2勝13敗。5月場所の疲れもありましたか?

大島: それもありましたが、この場所は幕内筆頭に上がっていたので、初日から横綱1人、大関6人と7日連続で当たったんです。僕みたいな年寄りを優勝させたこともあって、特に大関たちの立場はなかった。そのせいもあってか、みんなの攻めが厳しかった気がします。

 

二宮: 大関陣に意地を見せられたと。

大島: それで初日から7連敗。そこからは同じぐらいの番付の関取と当たるのですが、マスコミが来て「優勝の翌場所で7連敗が記録らしいですよ」と言うから、意識してしまいました。次の日も負けて8、9、10連敗となったら、今度はみんなが“頑張れ”って応援してくる。それで余計に焦った。さすがに13番負けた時には奥さんから「優勝の後の15連敗も逆にいいんじゃない」と言われました(笑)。でも全敗するのも難しいもので、残り2番は勝ちましたね。

 

二宮: 2015年7月場所限りで現役を引退されました。この時は場所前から決めていたんですか?

大島: いや、幕内から落ちたら引退するって決めていたんです。西前頭11枚目で6勝ぐらいしなくちゃ残れなかった。結果は全然ダメで3勝12敗でした。落ちても十両で1場所やって、幕内に戻ってこられれば次の場所で幕内通算100場所になる。まわりからは「100場所は魁皇(現・浅香山親方)さんしかいないんだから、もう1回頑張れ」と言われたけど、僕にその気持ちはなかったですね。

 

二宮: 大きなケガもないっていうのは、身体の資質に恵まれていたんでしょうね。

大島: そうですね。好き嫌いもなく、丈夫な身体に産んでくれて親に感謝ですね。それに長く相撲を取れたのは若いときに稽古をたくさんやったからだと思います。やはり年齢を重ねると、どんどん稽古の量も減ります。それが僕の場合は若いときの貯金が身体にあったから、いろいろ耐えられたのかなと思いますね。

 

二宮: 相撲人生振り返っていかがでしたか?

大島: 苦しいよりいいことが多いですね。やっている時は“嫌だな”と思うこともありましたが……。

 

 愛される力士を育てたい

 

161027nomitai二宮: 現在は友綱部屋の部屋付き親方として後進の指導をされていますが、現役のときと比べたら、どちらが大変ですか?

大島: それは明らかに親方の方が楽ですね。力士のときは、勝負に対するストレスがあった。そのへんはやはり大きいです。特に20代のころは負けたら悔しくて、イライラしたりずっと考えたりしていました。

 

二宮: 親方の仕事として、後援者との付き合いや新弟子もスカウトしなければいけないですよね。

大島: 今まではそっちはあまり心配していなかった。勝っていくことだけ考えていましたから。今後はいろいろと付き合いもありますし、新弟子もなかなかすんなりと入ってくれないので難しいですね。

 

二宮: 地方を回ったりもして、人材を探さないといけませんよね。若くて有望な子はあまりいませんか?

大島: そんなことはないですよ。ただ昔と違って、最近は高校を卒業してから入門するケースが多いですね。中学卒業して入る子はほとんどいません。本当は中学校を出たから入った方がいい。高校に行っている間の3年は大きいと思うんですよ。

 

二宮: ちゃんこなどで身体も大きくなるころですからね。部屋で稽古しながら通信教育で高校の卒業資格を取るというのは……。

大島: それをやっている部屋もあるみたいですけどね。ただ僕は高校の卒業資格を取ってから相撲界に入るのは、どうなのかなと思うんです。高校を出ていた方が就職しやすいというのもわからないでもないですが、“オレは力士で成功するんだ”との思いで入るのと、“もしダメだったときのために高校の卒業資格を取っとこうか”とでは差が出るんじゃないかと。

 

二宮: なるほど。ハングリー精神が違うと。逆に言えばモンゴルから来た力士は故郷に帰れないぐらいの気持ちがあるでしょう。

大島: そうですね。僕のときはまだ6人しか行っていなかったし、大相撲が何かを知らない人もいた。でも今はすぐにでも情報はいくし、幕内はテレビでも放送されています。だから成功せずにモンゴルへ帰ったら、“だれだれの子が嫌で帰ってきたみたいよ”と言われると恥ずかしいですからね。故郷では必ず親の名前はついてくる。親戚も見ているだろうし、仲間もいるだろうから、その点は大きいですよね。

 

二宮: 今後の目標は?

大島: せっかくこの世界と関わったので、自分の部屋を持ちたいですね。

 

二宮: どんな力士を育てたいですか?

大島: やはりいろいろな人に応援してもらえるような力士ですね。もちろん強いにこしたことはないけど、必ず全員が勝てるわけではない。みんなに愛される力士がいいね。勝負に負けてへこむときもありますし、1人で歩むのはキツイときがあります。そういうときって、力士をもう一回元気づけるのはまわりの人だと思うんです。

 

二宮: では、いつか愛弟子が優勝したときに、そば焼酎「雲海」のソーダ割り「そばソーダ」を飲んで祝杯をあげましょう。

大島: ぜひ! その時を楽しみにして頑張ります!

 

(おわり)

 

 <大島勝(おおしま・まさる)プロフィール>

 161013nomitaipf1974年9月13日、モンゴル・ナライハ市(現・ウランバートル市ナライハ区)生まれ。本名太田勝。92年2月に来日し、大島部屋に入門。史上初のモンゴル出身力士となった。同年の3月場所で初土俵を踏み、98年の1月場所で新入幕を果たす。192センチの長身を生かした四つ相撲で関脇まで昇進した。05年にはモンゴル出身力士として初の日本国籍を取得。12年4月には大島部屋閉鎖に伴い、友綱部屋へ移籍した。5月場所では12勝3敗の好成績で優勝決定戦へ進出。37歳8カ月という史上最年長での初優勝を成し遂げた。40代を過ぎても土俵に立ち続け、“角界のレジェンド”と呼ばれた。15年7月場所限りで現役を引退した。現在は年寄・大島を襲名し、後進の指導にあたっている。優勝1回、敢闘賞7回。金星2個。幕内での通算成績は697勝773敗15休。幕内出場1470回は史上最多。

 

今回、大島親方と楽しんだお酒は本格そば焼酎「雲海」。厳選されたそばと、宮崎最北・五ヶ瀬の豊かな自然が育んだ清冽な水で丁寧に造りあげた深い味わい、すっきりとした甘さと爽やかな香りが特徴の本格そば焼酎です。ソーダで割ることで華やかな甘い香りが際立ちます。

提供/雲海酒造株式会社

 

<対談協力>

イタリアンレストラン Kamiya

東京都新宿区三栄町6 第一原嶋ビル1F

TEL:03-5379-6628

営業時間:

ランチ   11:30~14:00

ティー   14:00~16:30

ディナー 17:30~23:00(L.O.22:00)

 

☆プレゼント☆

 大島親方の直筆サイン色紙を本格そば焼酎「雲海」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらより、本文の最初に「大島親方のサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)を明記し、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は11月10日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

今回、大島親方と楽しんだお酒の名前は?

お酒は20歳になってから。

お酒は楽しく適量を。

飲酒運転は絶対にやめましょう。

妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

 

(構成・写真/杉浦泰介)


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