安達阿記子(ゴールボール)第2回「ゴールボールとの出会い」

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160724topics伊藤: 日本代表のエースとして活躍している安達選手ですが、ゴールボール以前には何かスポーツをやっていましたか?

安達: 実はほとんどやっていなくて、小さい時に水泳を習っていたぐらいですね。母がピアノの先生ということもあって、私は音楽を頑張っていました。それなので、球技に関しては「突き指したらどうするの?」と逆に注意されるほどでした。

 

二宮: なるほど。ピアノを弾いていたことで音の聞き取りがゴールボールに生かされた部分はないですか?

安達: ゴールボールに必要な音の「距離感」を探ることと音楽はまた違いますから、その点では競技には生かされてはいませんね。ただ、ピアノを弾くことで指の力を鍛えられていたので、ボールを投げる時に指で引っ掛けることに少しは役に立っているかなと。中学2年生の時から右目が黄斑変性症になり視野の中央が見えなくなったので、スポーツはすごく苦手な分野になりました。遠近感が掴めないので、体育の授業でボールが小さい卓球をした時には空振りばかりしていました。

 

二宮: そこでスポーツへの苦手意識が付いてしまったのですね。

安達: ええ。それでも日常生活でそれほど支障はなかったのですが、19歳の時に左目も同じ黄斑変性症にかかってしまいました。

 

伊藤: ショックでふさいでいた時期もあったとお聞きしました。 

安達: そんなに長くはないのですが、部屋に閉じこもりがちになった時期はありました。そんな私を変えてくれたのは母親でした。最初は優しく接してくれていたのですが、ある日、「アンタ、いつまでそんな生活をしているの!」と喝を入れられました。「普通に考えたら、アンタよりもお母さんのほうが先に死ぬとよ! いい加減に自分でしっかり考えなさい」と。

 

二宮: まさに愛のムチですね。

安達: そうですね。その時は母も必死だったと思います。もし、そのまま過保護にしてしまう母だったら、たぶん私はここにいないと思います。それから”自分にできることは何なのかな”と考えて行動するようになりました。病院の先生にも相談したところ、視覚障がいのある方が職業訓練をする「国立福岡視力障害センター」を紹介していただきました。私も”そこでチャレンジしてみよう”とマッサージ師の免許を取るために入所しました。そのセンターでゴールボールに出会ったんです。

 

 苦手だったスポーツが生きがいに

 

伊藤: ゴールボールに対しては、どういう印象をお持ちでしたか?

安達: 病院でリハビリの訓練を受けているときから、ゴールボールというスポーツがあるのは知っていましたが、名前だけで実際どういう競技かはわからなかった。福岡の視力障害センターで勉強している時に先輩から「ゴールボールクラブがあるから見に来ない?」と声をかけていただいたんです。それで「行きます」と言って練習に参加しました。初めて見た時は”すごく簡単そう”と思ったんですよ。転がして捕ってという作業が、”単純そうだし、私にもできそう”と(笑)。

 

伊藤: それはすごいですね。

安達: でも「見ているだけではわからないので、やってみたらどうか?」と言われて、軽い気持ちでやってみたらすごく難しかった。私は弱視なので、本当に何も見えない真っ暗な状態での行動は普段の生活ではないんですよね。アイシェードをつけてコートに入った時は、”え? なにこれ”と戸惑ったのを覚えています。

 

二宮: 全く闇の世界ですよね。

安達: はい。”これで動き回るにはどうしたらいいの?”という感覚でした。晴眼者の方が体験する時と同じといっていいかもしれません。ボールの音が近くで鳴っているのか、遠くで鳴っているのかも全く分からなかったです。

 

伊藤: ゴールボールが嫌になったりはしませんでしたか?

安達: 初めての時は、先輩たちが動き回る姿を見て “なんで私にできないんだ”とすごく悔しかったです。一方で、何も分からないながらにも体を動かして汗をかいたことで”気持ちいいな”という爽快感がありました。ゴールボールに出会って、本当にいろいろな気持ちを一気に味わった感じですね。

 

二宮: それまで得たこともないような経験だったんですね。

安達: はい。それから”もっとできるようになりたいな”という思いがどんどん膨らんでいきました。最初は何を目指すわけではなく、”もっとやれるようになったら楽しいんだろうな”との気持ちから始めたんです。私はゴールボールというスポーツに出会ったからこそ、人生が大きく変わりました。生きがいを見つけることができて、スポーツの力って本当にすごいなと思いましたね。


(第3回につづく)

 

1608ch安達阿記子(あだち・あきこ)プロフィール>
1983年9月10日、福岡県生まれ。14歳の時に右目に黄斑変性症を発症し、19歳で左目も発症。2006年に国立福岡視覚障害センターへ入所し、ゴールボールに出合う。翌年に日本代表として世界選手権に出場すると、08年の北京パラリンピックにも出場した。12年のロンドンパラリンピックでは初の金メダル獲得に貢献。09年にリーフラス株式会社に入社し、講演会や体験会などの普及活動にも努めている。

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NPO法人STAND代表の伊藤数子さんと二宮清純が探る新たなスポーツの地平線にご期待ください。

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