160522topics伊藤: 平澤さんはアーチェリーに集中すると「自分と的(まと)」以外のものが見えなくなると聞きました。

平澤: そうですね。本当に集中すると他のことが意識に入らなくなり、世界に「的と私だけ」という感覚になります。試合後に周囲の方から「的に木の影がかかって邪魔だったでしょう」「あの音、嫌だったよね」などと言われても、「そうだった?」と全然気付いていないことも多いです。

 

伊藤: 現在、取り組んでいることがあるそうですね。

平澤: 実はルーティンをつくっています。私は、矢を射つ際に体の傾きやバランスが気になってしまうので、構える前に車いすの上で上体を揺らして体の重心を真ん中にもっていく動作をする癖が昔からありました。メンタルコーチと「1射、1射に集中するためにルーティンをつくろう」と話し合った中で、上体を揺らす動作をルーティンに取り入れることにしました。その動作を体に覚えこませたことで"クタクタで射てないな"と思う時でも、最初のひと揺れをすると自然と体が動いて最後まで射てるようになりましたね。

 

二宮: ルーティンはイチロー選手や五郎丸歩選手の影響もあって、今とても注目されています。

平澤: アーチェリーは競技そのものがルーティンのようなものだと思います。「すべての動きを同じようにすれば、同じところに矢はいく」とコーチに言われますが、同じ動作を繰り返すことがすごく難しいのです。緊張したり闘争心が空回りすることで、無意識に力が強くなっていたり弱くなっていたりして同じ動作ではなくなってしまう。それをコントロールするためにも、ルーティンをつくって、全てを一定にできるように練習しています。

 

 共生社会に適したアーチェリー

 

二宮: アーチェリーは他の競技に比べて、選手寿命が長いスポーツとも言われています。今年のリオデジャネイロパラリンピックだけではなく、東京パラリンピックも視野に入れていますか?

平澤: そうですね。まだまだ競技を続けていくつもりです。全日本ターゲット選手権大会などで活躍されているコンパウンドの女子選手は私より年上の方が多いんです。その先輩方と比べれば、私はまだまだなので"これからだな"と思っています。"全日本で優勝したい"という思いはすごくありますね。

 

伊藤: 平澤さんは全日本ターゲット選手権では健常者に交じって3位に入られたこともあります。その点ではあまり壁を感じませんか?

平澤: そうですね。アーチェリーは健常者でも障がい者でも、競技のルールに違いがありません。他のパラスポーツでも、健常者と同じコート・道具を使ったり、健常者が障がい者の競技ルールに合わせてプレーするケースはあります。ですが、健常者と障がい者のルールが同じで、一緒に競技をできるスポーツは多くありません。その点、アーチェリーは健常者も障がい者もひとつのルールの元にプレーするので、同じ試合に出て同じ表彰台に立つことができるんです。

 

二宮: アーチェリーには障がいの有無に関わらず一緒に戦える土壌があると?

平澤: はい。実際に障がい者アーチェリーの先輩たちがずっと一般の大会に出続けていた歴史がありますので、私が全日本ターゲット選手権に初めて出た時も健常者の方も普通に迎え入れてくれました。自然の風景として障がい者と健常者が一緒に試合をしているんです。

 

伊藤: なるほど。パラリンピアンがオリンピックに出ることだって不可能ではないのですね。

平澤: コンパウンドはオリンピック種目になっていないのでオリンピックには出られません。ただリカーブの選手は過去にオリンピックとパラリンピックの両方に出ている人もいますし、リオにもイランの選手が両大会に出場予定です。日本国内でも国体に車いすの選手が健常者と一緒に出場することもあります。

 

二宮: ある意味、バリアのない競技と言えますね。

平澤: そうですね。障がい者と健常者だけじゃなくて、オリンピックのメダリストと小学生が同じ試合に出られる。それは他のスポーツだとなかなかないことだと思います。老若男女が楽しめる一番垣根のないスポーツと言えるかもしれません。

 

二宮: みんなが同じ舞台に立てる。これから日本が目指すべき共生社会に適したスポーツですね。

平澤: はい。アーチェリーは道具を工夫することで様々な射ち方が可能です。片腕に麻ひの障がいのある選手が口で弓を引いたり、両腕のない選手が足で射ったりもしています。先ほども言いましたが、誰もが同じ舞台で楽しめるスポーツなので、もっといろいろな人に体験してもらいたいですね。

 

(おわり)

 

1605ch平澤奈古(ひらさわ・なこ)プロフィール>
1972年8月1日、埼玉県生まれ。生まれつき四肢に障がいがある。24歳でアーチェリーを始める。2004年にアテネパラリンピック出場。女子個人(車いすW1/2)で銅メダルを獲得した。翌年の世界選手権では個人、団体で金メダルを手にした。北京、ロンドンパラリンピックには出場できなかったものの、その後も国内外の大会で好成績を収めた。15年11月にアジアパラ選手権で行われた出場枠獲得トーナメントで優勝し、リオデジャネイロパラリンピック日本代表に内定した。株式会社アクト・テクニカルサポート所属。13年7月からはさいたま市教育委員も務める。


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