二宮: テニスをやっていた下地もあるのでしょうが、眞田選手のショットはパワフルで、プレーはものすごく豪快な印象です。理想の選手像は?

眞田: 私は座右の銘に「現状打破」を掲げてやっています。"昨日より、今日。今日より明日"。今の自分よりも、明日の自分は勝っていないといけないんです。

 

伊藤: なるほど。「現状打破」。とてもいい言葉ですね。

眞田: ロンドンパラリンピックの後に肩の治療をした時も、手術をしても治らない可能性がありましたし、前よりプレーの質が落ちる可能性もゼロではなかったんです。でも、何もせずに不安を抱えてやり続けるよりも、肩を手術することで、「現状を打破しよう」と挑戦しました。

 

二宮: とはいえ、肩を手術するのは、簡単じゃないとお聞きします。そうした場合にパフォーマンスが落ちるリスクも当然あるわけですよね。しかし、不安であれば、敢えて一歩前に出ようと。手術をし、自分に対する勝負をしようと思ったと。チャレンジングな考え方ですね。

眞田: もしかしたら、そのまま安静にしたり、経過を見ながらプレーをしていても良くなったかもしれない。でも1年以上も肩の痛みが続いていたこともありますし、手術をしたらもっと良くなるかもしれなかった。肩の手術をして良くなるか、悪くなるかわからなかったですが、次の日はベッドの上でとても気持ちが良かったんです。

 

二宮: 要するに自分に対する勝負をしたんだと。もうこの決断に対して後悔はないというような晴れがましさがあったんでしょうね。

眞田: 世界を転戦していても、自分より身体が大きい選手、パワーのある選手はたくさんいます。言い訳を挙げれば、勝てない理由なんて100もあるんです。しかし、そんなことを考えていたら何もできない。だったら前に進もうと。逃げ道は作りたくなかったんです。

 

伊藤: 病院のベッドの上から、<四年間の超大作ドラマ、今スタートです>とブログに書かれていましたよね。

眞田: はい。肩の手術をきっかけに、リオデジャネイロパラリンピックまでの物語が始まるんじゃないかと思い、本当に清々しい気持ちだったので、そう書いたんです(笑)。

 

伊藤: 文章からもその気持ちが伝わってきました。そこから復帰するまでも、決して楽な道のりではなかったはずです。

眞田: そうですね。ただリハビリは大変でしたが、気持ちが前向きでいられたので、1カ月でコートに戻ることができました。手術に対しての痛みは全然ない。今は手術をやってよかったと思います。

 

 目標は団体世界一とリオでの好成績

 

伊藤: 来年、リオパラリンピックを前に、日本代表として戦う数少ない機会となるワールドチームカップ(WTC)が、日本で開催されます。

眞田: そうですね。日の丸を背負うのは、パラリンピックかWTC、アジアパラ競技大会と3つです。やはり名誉あることなので、来年の東京大会は絶対出たいですね。私は2011年からWTCに出ているんですが、まだ一度も優勝を味わったことはないんです。是非、来年の東京で日本が世界の一番に、団体としてなれたらいいなと思っています。

 

二宮: パラリンピックに関して言えば、リオのみならず、その先には東京もありますからね。ご自分の目標としては、何年ぐらいまで現役を続けたいですか?

眞田: 身体が許す限りはテニスをやっていきたいですね。もちろん東京パラリンピックは出たい。本当にロンドンで味わった感動はすごく印象的だったので、それを東京に持ってこられたら、とても幸せだなと思うんです。

 

伊藤: 今は東京も視野に入っていますか?

眞田: そうですね。それのためにはリオで成績を残し、自分がまだまだやれるということをスポンサーなり、これから増えていく車いすテニスのファンたちに伝えていかなければいけない。それを証明するのが、リオパラリンピックかなと思うんです。

 

(終わり)

 

眞田卓(さなだ・たかし)プロフィール>

1985年6月8日、栃木県生まれ。埼玉トヨペット所属。中学時代、ソフトテニス部に所属した。19歳の時にバイク事故で右ヒザ関節の下を切断。リハビリ時に車いすテニスの存在を知り、退院後に始める。2010年、ランキング上位8人に出場資格が与えられる日本マスターズに出場。12年にはロンドンパラリンピックに出場を果たし、シングルスはベスト16、ダブルスではベスト8の成績を収めた。14年のインチョンアジアパラ競技大会ではシングルスで銀メダルを獲得した。7月20日現在、世界ランキングはシングルス8位、ダブルス10位。


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