二宮: 今後、日本は高齢化が更に進むと言われています。そんな中で、障がいのある方との親和性を活かし、パラアスリートのノウハウを活かすことができるという話もあります。たとえば義足や義手などの装具類の開発が、この先の社会に役立つことがあるかもしれません。

高桑: 将来、技術が更に進歩していけば、おっしゃる通り、超高齢社会に有用なものになると思います。それにいずれ私たちも齢をとるわけですから、できるだけ動けるうちに運動しておくことが大切ではないでしょうか。将来、齢をとり、かつ障がいがあっても、しっかり動ける。そのためにはスポーツを子どもの時から経験し、継続していくことが必要なんだと感じます。

 

二宮: 確かにそうですね。齢をとってからでも効率良く動けるように、自らの身体を知っておくべきですね。高桑さんはスプリンターですから上半身も意識して鍛えられているのでしょうか?

高桑: そうですね。みんながみんな私ぐらいの筋肉が必要だとは思わないんですが......(笑)。ある程度の筋力はあった方が、身体の負担は少なくなるんじゃないかなと考えています。

 

二宮: 自分の身体を知るということにおいて、障がいのある方のほうがメンテナンスに熱心な気がします。いかに効率良く動かすかを模索している。取材を通して、パラアスリートの方は自分の身体をよく理解しているという印象があります。

高桑: そうならざるを得ない部分もあれば、そうあるべきなのかなとも思いますね。

 

二宮: ちなみに、高桑さんはランニングフォームの美しさに定評があります。ご自身で意識している点は?

高桑: 私自身は、キレイに走ろうとしているわけではないんです。どうすれば身体が前に進むか、効率良く動かすためにはどうすべきかを常に考えながら走っています。

 

 川崎で刻まれた"歴史的な一日"

 

伊藤: 先月、IAAF(国際陸上競技連盟)ワールドチャレンジ第3戦の「セイコーゴールデングランプリ」にて、義足ランナーのレース(男子100メートルT43/44クラス)がありました。同大会では初の試みで、民放で生中継されました。高桑選手はご覧になられましたか?

高桑: 私は現地へ観に行きました。今までも"健常者の大会で障がい者のレースをやろう"という話があったり、実際に静岡国際陸上競技大会では2年前から選手の働き掛けでレースが行われてきたんです。ただ、やはりセイコーゴールデングランプリは国内のグランプリの中でもかなり注目度が高い大会なので特別な思いでした。

 

二宮: 会場の等々力競技場には1万6千人の観衆が集まったそうですね。

高桑: すごかったです。何より、セイコーゴールデングランプリは「陸上競技」というものが大好きな人たちがたくさん集まるんです。多くの観客が入ったこと、生中継があったことも、もちろんうれしかったですが、そのような大会で、義足のレースが行われ、陸上を大好きな人たちが見てくれたことが、何より意味のあるものだったんじゃないかなと思います。

 

二宮: 障がい者、健常者を問わず、陸上ファンが集える大会の開催は有意義です。選手にとっても、目の肥えたファンの前で走ることは励みになるでしょう。

高桑: そうですね。レースには昨年の世界ランキングで上位に入ったアメリカの選手も招待して、かなりレベルの高いレースになりました。ある選手は「本当に歴史的な一日」とおっしゃっていましたが、私もそう思いましたね。

 

 2020年東京パラリンピックで目指すこと

 

二宮: 高桑選手は現在23歳。パラリンピックも来年のリオデジャネイロ大会、5年後の東京大会。その次、もうひとつ先ぐらいまで狙えるんじゃないですか?

高桑: 2020年を迎えてみないとわからないんですが、できるだけ長くスポーツには、関わっていきたいなとは思っています。

 

二宮: 自分のパフォーマンスを通じて、アピールしたいことは?

高桑: 何より私自身がパラスポーツのファンなんです。陸上に限らず、テニスや水泳も好きですね。義足や車いすなど普通のスポーツとは違った道具を使い、ルールも少し変えているところに魅力を感じます。パラスポーツは、ひとつのスポーツとして、本当に面白いものだと思うんです。

 

伊藤: その魅力をもっとたくさんの人に伝えたいわけですね。

高桑: はい。ひとりでも多くの人に見ていただきたいし、私が感じた感動を味わってほしいと思うんです。だから、できるだけいいパフォーマンスができるように努力をしますし、こういった場所でお話をさせてもらったり、普及のための活動は、積極的にしていきたいですね。

 

二宮: 先輩の佐藤真海さんがトップランナーとして、いろいろメッセージを発信されています。高桑さんも、キャリアを積んでいくうちに、オピニオンリーダー的な役割を求められるかもしれませんね。2020年パラリンピック東京大会の目標は?

高桑: その頃、私は28になるんですが、20代最後の大きな舞台となります。競技に関しては、そこを集大成にしたいなと考えているので、そこでスプリンター・高桑早生が一番いいパフォーマンスをできるように、来年のリオに対してもそうですが、今から準備していきたいと思います。

 

(おわり)

 

高桑早生(たかくわ・さき)プロフィール>

1992年5月26日、埼玉県生まれ。小学6年の冬に骨肉腫を発症し、中学1年の6月に左足ヒザ下を切断した。高校から陸上部に入り、2010年の広州アジアパラ競技大会では100メートルで銀メダル、走り幅跳びで5位入賞。高校卒業後の11年からは慶應義塾大学体育会競走部に所属する。12年ロンドンパラリンピックでは100メートル、200メートルともに7位入賞を果たす。14年7月、100メートルで日本新記録となる13秒69をマークすると、10月のインチョンアジアパラ競技大会では100メートルで銅メダルを獲得した。今春からエイベックス・グループ・ホールディングス(株)に入社。


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