自分たちにとっての常識が、他人にとっては非常識だったりすることは多々ある。たとえば――。

 

「なんで日本人は“青信号”って言うのでしょう。世界的に見ても、それから誰の目で見ても、あれは“緑信号”なのに」

 

 真顔で疑問をぶつけてきたのは、わたしが以前関わっていたFC琉球のフランス人スタッフだった。言われてみれば、ごもっとも。F1の中継では、他ならぬ日本人アナウンサーが「グリーンシグナル」と表現してもいる。なのに、なぜ日本語になると“青信号”なのか。残念ながら、わたしには説明ができなかった。

 

「日本人はすぐに謝るが、その大半には心がこもっていない。オートマチックに頭を下げ、オートマチックに謝罪の言葉を口にしているだけじゃないか。そういうところがわたしは嫌いだ――と彼は言っています」

 

 ある日のこと、そのスタッフが、“彼”が怒りまくっている理由について説明してくれた。“彼”とは、FC琉球の総監督を務めていたトルシエ。テレビ局で取材を受けているうち、なぜか突然怒りだしてしまい、わたしたちは呆気にとられていたところだった。

 

 説明によれば、撮影が始まる時間についてちょっとした行き違いがあり、トルシエがイライラしていたところ、日本人スタッフが「すいません」と頭を下げたことで、怒りのスイッチが入ってしまったのだという。

 

 その際は「やっぱ、めんどくせえヤツだな、トルシエって」としか思わなかったわたしだが、ただ、ちょっと考えさせられるところもあった。オートマチックに頭を下げているだけで心がこもっていない――確かに日本人の謝罪にはそういうところもあるからだ。

 

 なぜこんなことを書くのかといえば、最近、Jリーグの監督会見を見るたび、怒りまくっていたトルシエを思い出すからである。

 

「すべての責任はわたしにあります」「監督として責任を痛感しています」「選手は本当によく頑張ってくれましたが、監督が力不足でした」――日本人の習性なのか、はたまたライセンス取得の際に教育として徹底されるのか。敗戦のたび、日本人の監督はやたらと頭を下げる。ただ、極めて残念なことに、それが本心を吐露したものというよりは、「そう言っておけば間違いないし、とでも思っているんだろうな」と邪推したくなるものがあまりに多く、一向に胸に響いてこない。

 

 敗戦の責任を引き受けるのが監督にとって大切な仕事の一つだというのはわかる。選手に責任を転嫁する監督にわたしも見苦しさを感じる。ただ、監督が記者会見の場で口にするのは、どこかで習ったマニュアルや手垢のつきまくった言葉ではなく、自身の中で練られたものであってほしい。

 

 欧米の監督には、あるいは日本のプロ野球の監督には、コメント一つでトップニュースを飾る者が珍しくない。Jリーグの日本人監督には、ぜひその理由を考えていただきたい。

 

<この原稿は16年11月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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