今年10月10日、1964年に開催された東京オリンピック・パラリンピックから50年目を迎えた。半世紀前、アジア初の開催となった東京大会は、戦後の復興、目覚ましい発展を遂げた日本の姿を世界に発信した。では2020年東京オリンピック・パラリンピックは、何を世界へと発信し、そして何をレガシーとして残すのか――。主催都市東京の舛添要一都知事に6年後に迫ったオリンピック・パラリンピックへの思い、そして取り組むべき課題について訊いた。

 

伊藤: 今回のゲストは舛添要一東京都知事です。6年後に迫った2020年東京オリンピック・パラリンピックについて、いろいろとお話を伺いたいと思います。

二宮: 舛添さんとは、20年ほど前に、テレビ番組でレギュラーコメンテーターとして一緒に出演していたことがありましたね。確かその時に、昔は陸上をやっていたとお伺いしました。

舛添: はい、陸上と柔道と馬術をやっていました。同時期にというわけではなく、年齢に応じて、陸上から、柔道、馬術へとやるスポーツも変わっていったんです。

 

伊藤: 競走競技に格闘技、そして芸術的要素が多く含まれる採点競技と、バラエティに富んでいますね。

舛添: これだけ違うジャンルの競技をやった経験があるというのも、そうそういないでしょうね。実は、これがIOCの委員の方たちと話す時の、いいネタになっているんです(笑)。

 

二宮: いずれもヨーロッパで非常に人気の高い競技です。IOC委員はヨーロッパが約4割を占めていますから、関心が高いでしょうね。

舛添: そうなんです。特に柔道は人気が高いですね。私自身、フランスに滞在している時にやっていました。フランスでは本当に柔道が好きな人が多い。技術的にも優れていますし、世界的にもレベルが高い。当時、スポーツの国際化を肌で感じていました。

 

 ロンドン視察で学んだ成功の秘訣

 

二宮: つい先日まで、ロンドンに視察に行かれていたそうですね。2012年ロンドンオリンピック・パラリンピックから2年が経った姿を見られてきたわけですが、東京オリンピック・パラリンピックに向けて、学ぶべき点はあったのでしょうか?

舛添: ロンドンでは、オリンピック・パラリンピックを開催して、それで終わり、ではなく、今でもそれがまちづくりに生きていました。例えば、ロンドン市民や国民の障がい者に対する感覚は、ロンドンパラリンピックを機に変わったそうです。今では障がいのある人々が、健常者と何ら変わらない生活を送ることは当然の権利であるし、障がい者に対して支援することは自然なことだというふうにとらえている。まさに、ノーマライゼーションを実現させているなと感じました。

 

伊藤: ロンドンではオリンピックよりも、パラリンピックの成功が話題となりました。

舛添: いや、あれは本当にすごいことですよね。ロンドン市長に「成功の秘訣は何ですか?」と聞いてみたんです。ひとつはメディア戦略だったと。ひとつのテレビ局がオリンピックを放映し、もうひとつの局がパラリンピックを放映したことで、お互いが競合相手になった。そのために、オリンピックでガーッと盛り上がった熱が、そのままパラリンピックに移行することができたんだそうです。そのほかにも、チケットをリーズナブルな値段にするなど、相当いろいろと工夫したみたいですね。国際パラリンピック委員会(IPC)のフィリップ・クレイバン会長とも「ロンドンを追い抜くというのは、なかなか簡単ではなさそうですね」と話をしたんです。でも、私は「(東京では)必ず負けないくらいのものをやります」と約束してきました。

 

(第2回につづく)

 

舛添要一(ますぞえ・よういち)プロフィール>
1948年11月29日、福岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、東大助手、パリ大学現代国際政治関係史研究所客員教授、ジュネーブ高等国際政治研究所客員研究員を経て、79年に東大教養学部政治学助教授となる。89年に独立して「舛添政治研究所」を設立。2001年7月に参議院議員初当選。2期目には第一次安倍晋三内閣、福田康夫内閣、麻生太郎内閣のもと、厚生労働大臣を務める。10年4月から13年7月まで「新党改革」代表。14年2月から東京都知事を務める。


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