王貞治の“一本足打法”の生みの親である荒川博が、去る4日、86歳で他界した。荒川と言えば球界きっての博覧強記、武道や歌舞伎にも通じていた。バッティングに話が及ぶと立て板に水だった。

 

 実家は東京・浅草の八百屋である。15歳で敗戦を迎えた。「空襲で僕は何度も命を落としそうになっている。言問橋から、隅田川へ飛び込もうと思ったこともあった。でも、川は一面火の海で飛び込めない。人も家も全部燃えているんだ。それを見ながら先へ先へと駆け抜けた。火の中を突き進んだ。僕は兄弟のうち4人が戦争で死んでいる。だからアメリカに対して、いい思い出はないんだよ」

 

 ところが、メジャーリーグの話になると表情が一変した。お気に入りはベーブ・ルース。「昔の16ミリフィルムで映像を見て、よくあのバッティングを真似したよ。タイミングの取り方が好きだったんだ。僕は(早大の)1年生の時から(ルースを)イメージして一本足で打っていたからね。よく飛ばしたよ。だが、3年生の時に挫折を味わった。森茂雄監督から“博、一本足は間を外されるからやめろ”と。それからボールが飛ばなくなった。僕にはそういう苦い思い出がある。それが王の一本足打法につながったんだよ」

 

 余談だが、早実時代の王貞治はノーワインドアップで投げている。これも「僕が教えたんだよ」と荒川は語っていた。「当時はプロ野球選手がアマの選手を教えることはご法度。だから僕は表に出なかったんだけど、早稲田の家の映写室に王を呼んだ。そこでドン・ラーセンのフォームを見せたんだよ。当時はアメリカでも、彼くらいしか、この投げ方をしていなかった。不思議な話だよね、アメリカ嫌いの僕がメジャーリーグだけは大好きで、誰よりも詳しかったんだから…」

 

 王貞治には「ベーブ・ルースの記録を抜くのはオマエだけだ」と言い続けた。「アメリカに勝ちたかったんだよ。野球で見返したかったんだな」。首都が地獄絵図と化した東京大空襲の犠牲者は10万人を超えると言われる。「B29はやたら低く飛びやがるんだ。パイロットの顔もはっきり覚えているよ」。怨嗟と憧憬。荒川のアメリカへの複雑な感情が一本足打法誕生に少なからず影響を及ぼしたとするなら、これは球界の秘聞として、後世に伝えるべきことかもしれない。

 

<この原稿は16年12月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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