大ベストセラー『五体不満足』の著者、乙武洋匡。彼がこの国の社会に与えた影響は計り知れない。「障害とは何か」「障害者との共生」......。それまでお茶の間ではほとんど語られることがなかったテーマを我々に突きつけた。早稲田大学卒業後、スポーツジャーナリズムの世界に飛び込んだ乙武氏だが、近年では子どもたちの教育にも取り組んでいる。3年間の小学校教員生活を経て、彼が感じたものとは――。「教育」「障害」「スポーツ」をテーマに二宮清純と熱い議論が交わされた。

 

伊藤: 今回は『五体不満足』の著者である乙武洋匡さんをゲストにお迎えしました。乙武さんは昨年3月まで小学校の教員を務め、現在は保育園の運営に携わっています。そこで障害の有無に関係なく、子どもたちがスポーツを楽しむためにはどうすればいいのか、を伺いたいと思います。二宮さんと乙武さんは旧知の仲だそうですね。

 

二宮: はい、一度対談したのがきっかけでしたね。でも、最近はお会いできずにいたので、久しぶりに乙武さんとお話ができるということで、楽しみにしてきました。 

乙武: ありがとうございます、光栄です。

 

二宮: 乙武さんと再会したら、ぜひ聞きたいことがあったんです。乙武さんの著書『五体不満足』が出版されて以降、「障害は個性」という言葉が広がりました。ところが、乙武さん自身はこの言葉に違和感をもたれているそうですね。 

乙武: 『五体不満足』に描かれてある内容と、僕のキャラクターのイメージがあいまって、「障害は個性」という言葉で表現されることが多いのですが、実は僕が「障害は個性」とは一度も言ったことはないんです。僕のメッセージをそう解釈していただいた方が、そういう言葉を使うようになったと思うんですけど......。

 

二宮: なるほど。では、乙武さん自身は「障害は個性」とは思っていないと?

乙武: はい。なぜかというと、日本で「個性」という言葉は、「個性があって魅力的だね」というふうにプラスの意味で使われることが多いですよね。となると、じゃあ、障害が果たしてそのままでも魅力的であり、自ら身に付けたいと思うものかと考えた時、やっぱり望んで障害を持ちたいという人はいないと思うんです。それなのに、あえてプラスのこととして語られることの多い「個性」という言葉を使うというのは、僕としては無理をして強がっているような気がしてならないんです。

 

二宮: 「個性」とは単に与えられたものではなく、努力したり工夫したりして身に付けるものだと?

乙武: はい、そう思います。それに「障害は個性です」とばかり言ってしまっていると、そこで変に安心してしまって、思考回路が止まってしまう恐れがあります。現状では障害者に対して改善していかなければいけない問題があるのに、そこに目を向けなくなってしまう。

 

伊藤: 確かに「個性」という言葉に甘えてしまって、障害者との共生・共存について考えたり、努力することをしなくなってしまいますね。

 

二宮: では、乙武さんは障害をどんなふうにとらえているのでしょう?

乙武: 僕はその人の「特徴」だと思っています。例えば、背の高い人もいれば低い人もいる。太っている人もいれば痩せている人もいる。肌が色黒の人もいれば色白の人もいる。みんなそれぞれ違った特徴がありますよね。その中で僕のように手足が極端に短い人もいる。ものすごく目が見えづらい人もいれば、耳が聞こえづらい人もいる。そういう一つの違いであるのかなと。何も身体的なことだけではありません。能力や性格にも、それぞれの特徴がある。障害をもつということは、その中の一つだと考えています。

 

二宮: その意味では、全員が何かしら、人とは違う特徴を持っているわけですね。

乙武: はい、そうです。その人との違いに対して、しっかりと向き合って受け入れることができた時に、「あ、自分にはこんな得意分野があるけど、こういうところは苦手だな」「こんな良さはあるけど、こういう欠点もある」と自分自身を把握することができる。そうして初めて「個性」というものが生まれてくるのかなと思うんです。

 

(第2回につづく)

 

乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)プロフィール>

1976年4月6日、東京都生まれ。早稲田大学在学中、先天性四肢切断という障害をもちながら生きる半生をつづった『五体不満足』が500万部を超す大ベストセラーとなる。卒業後はフリーのスポーツライターを経て、2007年から3年間、小学校教諭を務めた。現在は練馬区で保育園「まちの保育園」を運営している。著書は『W杯戦士×乙武洋匡』(文藝春秋)、『残像』(ネコ・パブリッシング)、『年中無休スタジアム』(講談社)、『だいじょうぶ3組』(講談社)、『オトことば。』(文藝春秋)など多数。


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