日本サッカーを変えてきた“新参者”の勢い
既視感がある。子供のころに1回。20代のころに1回。この感覚は、わけもわからず、ただドキドキしていたあのころとよく似ている。
デットマール・クラマーさんの提言によって創設されたかつての日本サッカーリーグ(JSL)では、三菱、日立、古河のいわるゆ「丸の内御三家」が中心的な役割を果たしていた。サッカーに対する認知度が絶望的に低かった当時、国を代表する大企業が新リーグに関わった意味はとてつもなく大きかったことだろう。
ただ、日本を代表する大企業が中心であるがゆえの弱点が、JSLにはあった。動きの鈍さ、である。自分の会社が倒産することなど想像すらしたことのない人たちの集団は、日本初の全国リーグという、今で言うベンチャー的な組織を運営していく上では、あまり適しているとは言い難かった。メキシコ五輪銅メダルの光栄が薄れるにつれ、どんどん斜陽の気配が強まっていったのも、むべなるかな、である。
そんなJSLに新しい息吹を吹き込んだのは、いわゆる新参者だった。リーグ創設メンバーだったとはいえ、関西サッカー界の中でも歴史の浅い方だったヤンマーや、途中から昇格してきた藤和不動産や永大産業、そして読売クラブである。
母体が大企業であるがゆえに、前例や横並びの意識から抜け出せなかった丸の内御三家のチームを目尻に、彼らは積極的な補強に乗り出した。セルジオ越後にしろ、ラモス・ソブリーニョにしろ、当時の日本サッカー界を牽引したブラジル人選手は、ほぼ例外なく“新参者”がつれてきた選手だった。
アマチュアリズムが根強く残る中、実質的なプロ制度の導入に踏み切るきっかけを作ったのも、新参者だった。サッカーを就職の手段ではなく、職業として考える若い層が増えていったのは、間違いなく読売クラブの功績である。
かくして、Jリーグが誕生した。
JSLのオリジナル8が、それまでのサッカー界のやり方を踏襲したように、Jリーグのオリジナル10のうち、JSLで実績を残していたチームがやったのも、それまでやってきたことの路線拡大だった。そこに、ジーコという世界の超大物をつれてきたのは、JSLでの実績が皆無に等しかった鹿島である。
JSLにしろ発足時のJリーグにしろ、新しいファンを獲得するうえで新参者が果たした役割は非常に大きい、と言える。
17年のJリーグで起きているのも、それと同じことではないのか。
神戸、鳥栖、川崎F…。ここ最近、Jリーグの移籍市場を騒がしているのは、オリジナル8でもオリジナル10でもない、いわゆる新参者ばかりである。いつのまにかJリーグ全体に染みついてしまった「身の丈にあった経営」という「前例」が、新たな勢力によって塗り替えられていこうとしている。
既視感がある。
新たな飛躍の直前に味わった、あの感覚である。
<この原稿は17年1月26日付『スポーツニッポン』に掲載されています>