期待しては肩すかしを食らい、また期待しては、また肩すかしを食らう。ファンの方には申し訳ないが、わたしにとっての香川真司とはそんな選手である。

 

 才能についてはほぼ申し分ない。日本が生んだ最高の才能だ、とまでは思わないものの、彼以上の才能に恵まれた選手となると、長い歴史の中でも数人しかいまい。中田英寿さんにしても、本田圭佑にしても、持って生まれたタレント面だけを比較するのであれば、わたしの中では香川よりも下になる。

 

 ただ、これは香川だけでなく、わたしが香川以上の才能だと信じている柿谷についても言えるのだが、中田さん、本田に比べると明らかに「自己肯定力」が低い気がする。たとえて言うなら、「俺だから、大丈夫!」と考えるのが中田さんたちだとしたら、「俺だけど、大丈夫?」な部分を拭い去りきれないのが、セレッソが生んだ宝石たちだと思うのだ。

 

 ならば、自己肯定力はいかにして高めていけばいいのか。ひとつは簡単で、ひとつは難しい。つまり、まずは自己暗示にかけること、そして、暗示を確信に変える結果を残すこと、である。中田さんにとってはセリエA移籍初戦対ユベントス戦での2ゴール、本田にとってはW杯南アフリカ大会対カメルーン戦での決勝点などがあげられるかもしれない。

 

 なので、今後の香川にはもう一度期待してみようか、という気になっている。

 

 日本がタイに快勝した2日前、ヨーロッパでは前回王者のドイツがアゼルバイジャンと敵地で対戦していた。結果は4―1。一度は追いつかれたことを考えると苦戦の部類に入る試合だったが、得点をあげたドイツの選手に大仰な喜びはなかった。彼らにとっては、心のどこかに「イージーな試合」との思いがあったのだろう。

 

 だが、部外者から見れば同じように「イージーな試合」ととらえられたであろうタイ戦のゴールで、香川は喜びを爆発させた。今にして思えば、相当期するものがあったのだろう。サッカー選手がゴールのあとに咆哮するのは、そのゴールがとてつもなく重要なものだった場合に限られている。

 

 この際、タイ戦が簡単な相手かどうだったかということは問題ではない。香川はゴールのあとに叫ぶほどの思いで試合に臨み、かつ、そこで結果を残した。

 

 自己暗示は、それを補強する結果を得たのではないか。

 

 ドイツに戻ってすぐに行われたシャルケとのルール・ダービーで、香川は十分な存在感を示すようになっていた。ひいき目なのかもしれないが、出場機会に恵まれず、どこか空回りしているように見えた頃の姿は完全に消えうせていた。

 

 そして4月4日、ハンブルクとのホームゲームでは試合を決定づける2点目をゲット――。

 

 また、なのか。今度こそ、なのか。ともあれ、彼ももう28歳。ここで一皮剥けなければ、おそらく、残されたチャンスはそう多くない。

 

 

<この原稿は17年4月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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