二宮清純: スーパーアグリの時代、ほとんどゼロからチームをつくって、22戦目のスペイングランプリで8位に入り、ポイントを取った。これはうれしかったでしょう。

佐藤琢磨: チームにとっては優勝に匹敵する成功でしたし、僕自身がチームの一員としてそれを達成できたことがすごくうれしかったです。

 

<この原稿は2011年3月11日に発行された『BS朝日 勝負の瞬間』(角川マーケティング)に掲載されたものです>

 

二宮: 2004年のアメリカグランプリで、表彰台(3位)へ上りましたね。日本人では、鈴木亜久里さん以来でした。あのころは日本人の優勝者がそろそろ現れるんじゃないかといわれていましたから、優勝も不可能ではないとの気持ちもあったんじゃないでしょうか。

佐藤: もちろんやっている時はトップしか目指していないですね。あの時はチームの環境もすごく良かった。車もチームもすごいコンペティティブでした。あの年は、フィラーリの次に競争力を持ったチームだと僕らは思っていました。ただ自分自身、F1レギュラー参戦になって2年目だったので、いろいろうまくまとめられなかった部分やメカニカルトラブルもあった。優勝こそできなかったんですが、予選のフロントローに(ミハエル・)シューマッハと並んだり、アメリカグランプリで3位に入ったりできたことで、自分にとっては間違いなくF1のキャリアの中でハイライトの年でした。

 

二宮: シューマッハと並んだ時の気持ちは?

佐藤: やっぱり気持ちいいですね。目の前に誰もいないわけですから。シューマッハを何とかして打ち負かしたい、という気持ちが強くなりました。

 

二宮: F1パイロット冥利に尽きる、ということですね。

佐藤: だからやめられない、みたいな。気持が高まってくる瞬間でしたね。

 

自分の“第三の目”とのコミュニケーション能力が問われるレース

 

二宮: F1の次はインディーカーシリーズに参戦されています。同じ世界最高峰のレースとはいえ、似て非なるものですから、最初のうちは違和感もあったのでは?

佐藤: もう全く違うカテゴリーです。マシンも姿形は似ているんですが、デザインコンセプトが違う。慣れるまで時間がかかりました。それ以上に車を走らせる環境が全然違うんです。ロードコースといういわゆる一般的なサーキット、ストリートコースといわれる市街地、それと楕円形のオーバル。ストリートとロードは、似た環境ではあるんですが、F1だと、市街地でもきれいに舗装し直して、なるべく凹凸が無いようにしてあるんです。

 

二宮: モナコなんてそうですよね。

佐藤: モナコはすごく丁寧に舗装が行われているんですが、それでもF1マシンで走るとバンピーに感じる。でも、インディーカーシリーズでアメリカに渡ってからは、モナコがスムーズなコースに思えるくらい、とんでもない凹凸とバンプがある。そういう環境の中で走らせなきゃいけないので学ぶことがたくさんありました。

 

二宮: オーバルだと同じところを200周とか250周するわけですよね。目が回ったりしませんか。

佐藤: 最初のうちは回ります。オーバルを走ったことのないドライバーは、一定のルールに沿ってオーバルを走る練習をするんですね。すると一日が終わって車を降りた時、真っすぐに立てない。乗っている時には、目が回っている感覚はないんですが。もちろん何度も走っているうちに徐々に慣れてほとんど感じなくなりました。

 

二宮: それこそ、横や後ろもほとんど見えないでしょう。

佐藤: そうですね。オーバルレースは高速で走りますから。1周の平均速度が350キロくらいなんです。

 

二宮: すごいスピードですよね。当たり前の話ですが新幹線よりも速い。

佐藤: だから他の車とのポジショニングが大事なんです。それだけの高速域で2台が並んでいたりするので、動くと非常に危険。だから、フェアプレー精神でレースをする。誰かが外側や内側にいる時は、絶対にレーンをチェンジしない、というのがオーバルの鉄則。ライバルたちを信頼して、リスペクトがないとできない競技です。

 

 自分の目で見えない部分の代わりをしてくれるのが、スポッターといわれる人です。彼らは外から見ていまして、無線でドライバーに話し掛けるんです。ドライバーは前方視界と完全な後方はミラーで見るんですが、どうしても死角になる部分がある。その部分はスポッターがドライバーに情報を与え続けるんです。

 

二宮: いわば「自分の第三の目」ですね。そうなると、スポッターとのコミュニケーション能力も重要だし、お互いの意思疎通を事前にきっちりやっておかないといけないですね。

佐藤: 正しい情報と同じくらい大事なのが、フィーリングなんです。これはチームクルーも同じ。優秀なレースエンジニアもドライバーとの相性が極めて重要なんですよね。だから、パドックに優れたエンジニアがいたとしても、それが必ずしもドライバーにとってベストかどうかは分からない。相性はそれくらい大きいです。

 

刻一刻と変化する状況に、瞬時に対応する力

 

二宮: レース中は、ありとあらゆることを考えないといけないわけですよね。状況は刻一刻と変わる。いろんな材料を頭に入れながら、素早くディシジョンする。しかも机の前ではなくて300キロ以上のスピードの中でやっているのが、われわれから考えたら超人的です。

佐藤: 時速が300、350、380キロと聞くと、一般的にはすごく緊張感が高まるんじゃないかと思われるんですが、レーシングドライバーは、ストレート区間でトップスピードに達する時が唯一リラックスできるんです。F1やインディーカーでもストレート区間は基本的にアクセルを踏むだけなんですね。これは、ドライバーには一番楽なんです。

 

 

 逆に集中力を高めないといけないのは、ブレーキングの手前です。ブレーキングをした瞬間に車の状態を感じ取りながら、いかに短い時間で車速を落とし、正確にラインをトレースしてコーナーを曲がれるかが問われる。だからここで集中力を上げるために、手前のストレート区間は一回リラックスさせるんです。肉体的にリラックスして休んで心拍数も下がって、コーナーに入って頑張る。その繰り返しなんですよね。

 

 確かに300キロを遥かに超えて、ものすごい勢いで景色も後方に飛んでいくので、慣れていないと緊張感はあるんですが、僕らはもう何とも思わないです。それよりも難しいのはコーナーに入っていく進入スピードと、いかに正確に入っていくかということ。実はその時に、一番スピードを感じるんです。

 

二宮: 気分を一気に緩めたり締めたりする。ベストパフォーマンスをするには緊張状態も必要だし、一方でリラックス状態も必要だということですね。それも意識しながら。

佐藤:いや、無意識なんです。最初のころは意識的に手にすごく力が入っちゃって。ちょっと緩めてハンドルを軽く持とうと意識するようにしていましたけれど、慣れてくると身体が自然と反応するんですよね。インディ500の長いコースでは3時間ぐらい走るんですが、その間ずっと集中力を維持し続けるなんて、人間にとっては不可能です。どこかで休んで集中力を上げて、という繰り返しをしないといけない。だから一番楽に3時間パフォーマンスを上げることを考えるんです。

 

 ストレート区間に入ると体がリラックスするのは、長年の経験の中で身に付きますね。ただ、始めたころは余裕がなくて常にピーンと糸を張っているような状態でしたから、例えば車が不意に滑ってしまった時に対処が遅れてしまったりしました。ルーキーが経験者に比べてミスが多くなるのは、そういうところなんです。

 

自分の感情をいかにうまくコントロールするか

 

二宮: 人間は感情を持った動物ですが、それをコントロールしないといけないわけですよね。冷静さや自分を抑制する能力は、相当訓練が必要では?

佐藤: レースは科学なんです。本来の車のパフォーマンス以上は絶対に出ない。でもいわゆるオーバードライブ、自分の気持ちばかりが前に行ってしまって、空回りして余計に車が遅くなってしまうような時には、パフォーマンスを引き出すために少し自分をリラックスさせて、車からいろいろと聞いてやることを意識します。そういう判断は、経験からくるものと、ナチュラルに持っているものと、複合的なものだと思います。レースをしながらタイヤも含めて刻々と状況が変化することを考えて、車のポテンシャルを引き出す。そういう作業を常にしてあげないといけない。

 

二宮: レースは科学、というのは名言ですね。

佐藤: とは言いつつも、やっぱりスポーツですから人間同士は熱くなる。例えば、予選では本当に冷徹で冷静にならなきゃいけないんですが、バトルで相手に勝つには、もうメンタリティーの勝負だったりします。お互いに目は見えないんですけど、車の動きで“熱さ”を感じたりする。前を走っていたり、真横にいるドライバーの心境がわかったりするんです。

 

二宮: つまり心理戦になるわけですね。

佐藤: そのあたりは駆け引きもありますね。情熱を持ったドライバーはアタックしてくる傾向にありますから、相手がどんなドライバーかを知っておくのも大事です。

 

二宮: 走りながら、いろんなシミュレーションもするわけですか。こいつはこう来るかな、とか、作戦はこうかな、とか。やりがいもあるかもしれませんが、相当ハードですね。

佐藤: でも楽しいです。ドライバーとしては、純粋に車を速く走らせるところを極めたい。でもレースはエキサイティングだし、相手との勝負でもありますから、前にいるドライバーを抜いていくのは本当に楽しい。その瞬間は最高の気持ちになります。

 

二宮: 今の日本は経済状況も厳しいし、就職難も続けています。若者が夢を持ちにくい社会だと言われていますが、若い人たちにアドバイスを求められたら何と答えますか。

佐藤: 人間、誰でも好きなことが一つや二つは必ずあると思うんです。そこに真正面から向き合って、動いていくことじゃないでしょうか。人に言われるんじゃなくて、自分自身の内から出てくる力がきっとあると思う。

 

 でも、それを引き出すのは何かきっかけが必要だと思うんですよね。そのためにはものを見たり、刺激されたり、というのがすごく大事だと思う。だからこそ、行動しないといけない。僕自身は車が好きですが、行動に移したきっかけは、10歳の時の衝撃だったわけです。あの体験がなかったら、大胆な決心をするほど心は動かなかったかもしれない。そして、たまたまチャンスに出合えた。何かを動かすものって、行動していれば必ず生まれると思うんです。

 

 スポーツでも芸術でも、何でもいいから、自分にいろんな刺激を与えるべきです。環境とか経済とかに影響されて、行動や思考の範囲が縮小してしまうのは悲しいですね。考えたり、行動すること。それをずっと続けていくべきだと思います。

 

(おわり)


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