インディ500――。日本では耳馴染みがないが、F1のモナコGP、スポーツカーレースのル・マン24時間とともに世界3大レースと呼ばれている。この中で最も古い歴史を持つのが1911年に第1回大会が開催されたインディ500である。100年を超える歴史を誇るこの大会を、5月28日に佐藤琢磨がアジア人として初めて制した。F1から転向し8年目の快挙。琢磨はいかにしてカーレースの舞台に足を踏み入れたのか。彼のルーツを6年前の原稿で振り返ろう。

 

<この原稿は2011年3月11日に発行された『BS朝日 勝負の瞬間』(角川マーケティング)に掲載されたものです>

 

二宮清純: 世界のトップクラスのレーシングドライバーは、3、4歳のころからカートに慣れ親しんでいるのが相場です。ところが佐藤さんは、モータースポーツを始めるのが20歳と、とてつもなく遅かった。それをハンデと思ったことはありませんでしたか。

佐藤琢磨: 幼少のころからレースができるドライバーを、うらやましく感じた部分はありました。でも、昔からやっていなかったからダメなんだ、というのは、自分の中で許せなかったんです。

 

二宮: だいたいみんな途中で夢を諦めるんですよ。ちょっと遅かったとか、もう少しオレも若かったらやれたのに、とか。佐藤さんが素晴らしいのは、そこから本当にレーシングドライバーの道を歩むわけでしょう。しかもレーシングドライバーになって5年でF1のシートを獲得する。常識的にはあり得ない話です。

佐藤: とにかく、自分としてはやるしかなかったんです。確かに英才教育は素晴らしいと思うけど、僕はやりたくてもやれなかった環境にいたわけですよね。だからやってみるまでは分からないじゃないか、という気持ちがすごくあった。やる前から限界を決められるというのは、一番嫌いでした。自分自身で納得できなかったんです。

 

二宮: モータースポーツとの出会いは?

佐藤: 1987年、10歳の時でした。F1日本グランプリです。以来、レースが大好きになてしまって。

 

二宮: やっぱり子どものころの感動が大きかったんですね。

佐藤: F1マシンやサーキットがどういう物かは、事前に写真で見て知っていたんです。でも実物を見たら、まずサーキットのスケールの大きさに驚いて。あれは実際に行ってみないと分からない。

 

二宮: その時はどういうきっかけで鈴鹿に行くことになったんですか。

佐藤: 父の友人が自動車ディーラーをやっていまして、チケットが手に入った、と誘っていただいたんです。

 

二宮: 当時はアイルトン・セナ、アラン・プロスト、日本だったら中嶋悟さんたちが全盛期のころですね。

佐藤: 僕も中嶋さんが乗るロータス・ホンダを応援していました。その時のチームメートがセナだったので、セナに注目がいったのは自然な流れだったんですが、目の前で予選7番手から2位まで上がっていく姿を見てしまって。これで全身がF1に染まってしまった。

 

二宮: それで将来はレーシングドライバーになりたいと。

佐藤: その瞬間は思わなかったです。でも、セナが自分の中のヒーローになりましたし、F1に対する憧れも強くなった。いつかあんなマシンに乗ってみたいという気持ちになりました。仮にその時にF1に出合っていなかったとしても、遅かれ早かれ間違いなく僕はレースの世界に引き込まれていたでしょう。だから、結果は同じだったと思います。

 

まずは自転車に乗ることから始まったF1への道

 

二宮: 子どものころから乗り物が好きだったそうですね。車でも電車でも。

佐藤: とにかく車輪が付いて転がる物が大好きでした。車に乗っていたら、いつでも幸せな子どもでしたね。

 

二宮: 小学校低学年の将来なりたい職業は、だいたいバスとか電車の運転手さんですよね。男の子は乗り物が好きだから。

佐藤: 憧れますよね。道具を操って、自分にできないことができるわけです。車が素晴らしいのは、生身の人間では到達できない速度域に到達できること。自動車は機械として、とても興味深かった。

 

二宮: それでまず自転車を始められるんですよね。

佐藤: とにかく運転がしたくてしょうがなかったんです。その時、一番身近にあって、乗れる物は自転車しかなかった。だから、自転車に乗るのが大好きになったんです。でも僕のイメージでは車を運転しているんですよ。特にF1を見た後は、もうF1マシンを操るがごとく自転車に乗る。そんなイメージでよく遊んでいましたね。

 

二宮: 中学では陸上をされましたね。これは将来レーシングドライバーになるために、体を鍛えておこう、ということだったんですか。

佐藤: いや、まったく関係ありません。実は、僕は走るのが嫌いだったんです。でも、授業や競技の一環として走り続けているうちに自分がトップになっていて。自分より背の高い子たちが、どんどん後ろに行った時、身体的な限界まで挑戦する面白さを初めて知ったんですよね。

 それが楽しくなって、陸上部に入ってみたいと。走って体力の限界に挑戦するようになると、自転車の乗り方も変わっていきました。ただ遊ぶことから、いかに速く走るか、へ。それで競技としての自転車の世界を知ったんです。そしたら、やるからにはもうトップになりたいと、陸上も自転車も続けていました。

 

二宮: 自転車で高校時代はインターハイ優勝、大学でも全日本選手権で優勝されています。努力はもちろんセンスもないとトップには立てません。

佐藤: というより、自転車が好きだったんですね。中学でも放課後に自転車で遊んでいる時、いかにコーナーを速く回るか、ものすごい集中して練習していました。そのうち街の自転車プロショップに通うようになって。まるでF1マシンのような自転車の競技車両があるんです。ただ速く走るためだけにデザインされた究極の機能美。そういう世界にどっぷり漬かって、魅力に引きずり込まれていった。どこかにF1に対する憧れは残っていましたが、あのころの自分は自転車一本でした。

 

不安よりも期待感が常に上回っていた

 

二宮: 自転車競技でオリンピックに出るとか、そういう思いはなかったですか。

佐藤: ありました。だから、大学に入った時も自転車を続けたかったし、その中で頂点を極めたいなと思ってオリンピックを夢見たりしていたんです。でも、モータースポーツへの関心は以前と変わっていませんでした。雑誌を読むと、ちょうど同年代のプロレーシングドライバーがデビューしていて、みんな3歳とか4歳から始めていたりすることを知って。そして自分はやってみたかったけど、そういう環境にはなかったことにも気付きました。本当はやりたくて仕方がないわけです。ただ、自分の目の前にあるのは、自転車と大学の講義。18、19歳のころは、心の葛藤がすごくあった時期でした。

 そんな時、雑誌でレーシングスクールの記事を見つけたんです。年齢制限があるから自分にとってはまさにラストチャンスでした。この機会を逃したら、普通にカートを始めて、そこから全日本トップになってヨーロッパ選手権、世界選手権、フォーミュラーに上がって、と莫大な資金と時間がかかる。レーシングスクールに入ってスカラシップを獲得して、上級カテゴリーにステップアップするという、僕にとってはまさに自分のために用意されたようなプロセスが目の前に出現したんです。もうこれしかない、と。

 

二宮: ここまでの話を聞いても夢に対して純粋ですよね。強い信念を感じます。

佐藤: 結局、好きだったんだと思います。だからこそやってみたかった。不安よりも期待感が常に上回っていました。

 

二宮: 念願かなってスクールに入り、レーサーとしてのスタートラインに立ったわけですよね。この時の喜びはひとしおだったでしょう。

佐藤: でも一度、その世界に足を踏み入れるといろんな現実が見えるわけです。F1が本当に雲の上の存在で、目標にさえならない、ということも。まさに夢のままで、階段すら見えないぐらい遠かった。僕としては、とにかく目の前のタスクを1つ1つ完了していくしかない。まずはスクールに入ることが1つの難関でした。

 そして入ったら、今度はスカラシップを取らなくてはいけない。その後は、レースデビューして上に行かなければいけない。F1に到達するには、いろんなアプローチがあるんですが、やっぱり自分が憧れたセナの存在が大きかった。彼はイギリスに渡ってフォーミュラー・フォードを制して、イギリスF3でマカオを制して、F1に上がっていった、その軌跡が僕にとっては理想だったんです。

 最大の目標はイギリスF3に出場することでした。当時、最も多くF1ドライバーを輩出していたカテゴリーでしたから。ただ、海外生活の経験は全然なかったので、英語もしゃべれない。F3を目指してやっていた時期は、試行錯誤の連続で、いいリザルトも決して出たわけじゃないし、失敗ばかりでした。それでも何としてもF3に認められる形で出たいというだけでモチベーションを上げていました。実際F3に上がってからは、ここでチャンピオンを目指してF1に行くんだと、目標を1つ1つクリアしていくために戦っていました。

 

劣っている部分を何とかしてやろうと思い続ける

 

二宮: F1レーサーになるにはハードルを何十台、いや何百台と越えなきゃならない状況だった。それこそ情熱の持続力が、佐藤さんはすごく強いじゃないかなと思うんです。

佐藤: 負けず嫌いですよね、基本的に。それは全てのことに対してではなく、自分の好きなものだけですけど。それが僕にとっては自動車レースで、極めたいという気持ちがすごく強かった。失敗もたくさんあるし、自分が劣っている部分もいっぱい見えてくるんです。そこがまず面白くないですよね。だからそこを何かしてやろうと思い続けることが、モチベーションにつながったのかな、と思います。

 

二宮: くじけそうになったりすることは?

佐藤: いっぱいありました。

 

二宮: そういう時の励まし方、モチベーションの高め方みたいなものはあるんですか。

佐藤: 最終的には、ドライバーがコックピットでレースをしますが、一人じゃ本当に何もできない。レースはチームスポーツなんです。たくさんのスタッフがいて、車をセットアップするエンジニアがいて、それをジョブシート通りにセッティングするメカニックがいて、初めてレースができる。

 仲間とつくり上げていくという作業があって、試行錯誤の連続の末に成功があるんです。だからこそ、成功がうれしいんです。その爆発的な喜びを一度でも味わってしまうと、もっと次、さらに高く、となってくる。目の前にはたくさんの失敗があって、そのたびにへこんでつらいけど、ここをうまくやればもう一度あの頂点に行けるかもしれないと思ったら、もうやらざるを得ないんですよ。みんなでつくり上げて勝った時の喜びは、一人で頑張って何かを成し遂げた時よりも、数倍に膨れ上がるんです。それを一度経験してしまうとやめられないです。

 

(後編につづく)


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