170824unkai1二宮清純: 篠原さんが柔道を始めたのは中学生の時ですよね。そのきっかけは?

篠原信一: 当時の柔道部監督から強制的に部に入られました(笑)。私の身体が大きかったので、悪さをしないようにと考えたようです。これが柔道との出会いです。

 

 

二宮: 子どもの頃からオリンピックを夢見て、柔道家に憧れたわけではなかったんですね。

篠原: 中学に入るまで柔道を全く知りませんでした。山下(泰裕)先生、斉藤(仁)先生の存在ですら高校に入ってから知ったほどです。小中学生の頃はオリンピックも見たことがなかった。

 

二宮: では小さい頃からのヒーローは?

篠原: ウルトラマン、仮面ライダーですよ(笑)。

 

二宮: 中学の時、稽古は厳しかったでしょう。柔道を辞めたいと思ったことはありませんでしたか?

篠原: 最初の頃は毎日のようにサボることばかり考えていました(笑)。それを防ぐために柔道部の先生はホームルームが終わるのを教室の外で待ち構えていたこともありましたね。だからホームルームの前に帰ったこともあります(笑)。先生が家まで来て連れ戻された経験もありますね。

 

170824unkai3二宮: 先生は篠原さんの素質を見込んでいたのでしょう。

篠原: いえ、私は運動神経が悪かった。「どんくさい」と、ずっと言われてきましたから。 

 

二宮: でも、その先生との出会いがなかったら、今の篠原さんはありませんよね。

篠原: そうなんです。今でも先生とは一緒に食事に行ったりもしますが、「まさかこんなに強くなるとは思っていなかった」とおっしゃっていましたから。ただ単に悪さをさせないように心がけていたそうですよ。

 

二宮: 大学は名門の天理大学に進みました。

篠原: 大学1年生の時は毎日泣いていました。私は高校3年の時に兵庫県大会で優勝しましたが、私より強い同級生は4、5人いました。先輩もいますから、もっと強い人がいる。稽古では投げられる、抑えられる、関節を取られるで大変でしたよ。

 

 敗因は2人の後輩!?

 

二宮: その後の篠原さんの活躍は説明するまでもありません。やはり篠原さんと言えば、2000年シドニー五輪での100kg超級決勝が思い出されます。相手はフランスのダビド・ドゥイエさん。オリンピックでは1992年バルセロナで銀メダル、96年アトランタで金(いずれも95キロ超級)メダルを獲得していました。シドニーではオリンピック連覇を狙っていた強敵です。私も現地で取材しました。

篠原: 実は私が負けた要因は2つあったんです。

 

170824unkai6二宮: ほほぅ。

篠原: 1つは野村(忠宏)です。彼は60kg級なので初日に金メダルを獲りました。私の試合は最終日。野村は大学の後輩なので、私と同じ部屋になりました。これで私の金メダルが遠のいたんです。なぜかと言うと、野村は試合が終わって気分が良いんです。「先輩頑張ってください。尽くしますよ」と言ってくれた。「何か飲みますか?」と聞かれた時に「水をくれ」と言うと、冷蔵庫から水を持ってきてくれました。しかし、よく見るとペットボトルにメダルが掛けられている。

 

二宮: ネタみたいな話ですね(笑)。

篠原: 本当の話です。試合の前日に選手村の食堂へ行った時もアイツは金メダルを持って行った。そうすると世界各国からいろいろな競技の選手が寄って来る。「写真撮ってくれ」「握手してくれ」と囲まれていましたから。部屋に戻って「先にシャワー入っていいぞ」と声をかけると、「お先に失礼します」としつこく言ってくる。「なんやねん」とパッと野村を見たら金メダル2つぶら下げていました(笑)。「明日試合やぞ。ええ加減にせえよ」と思ったのですが、今考えると、野村なりに私が緊張しないようにあえてそういう行動をとっていたのかもしれません。

 

二宮: アハハハ。先輩思いの後輩ですね。

篠原: 本人から直接聞いたわけではないので、そう思いたいですね(笑)。そしてもう1つは井上康生が原因なんです。現地に入った調整練習の時に彼と一緒に乱取り(実戦練習)をやったんです。そこで井上康生に2度も背負い投げで投げられた。今まで日本でも投げられたことのない技で2度も。その時に私は思ったんです。“オレは調子悪いんだ”と。次の日に井上康生に「練習をしよう」と言ったら、断られてしまった(笑)。

 

二宮: やはり金メダルを獲る人は違いますね(笑)。

篠原: 井上康生は100kg級で金メダルを獲りました。後日、本人から断った理由を直接聞きました。「篠原先輩を2度も背負いで投げた。自分は調子良いんだ」と。その気持ちのまま試合に臨みたかったそうなんです。それぐらいワガママじゃないとダメ。オリンピックとは“自分が一番になる!”という思いで臨まないと金メダルは獲れない。私みたいに心の優しい人では金は獲れなかった(笑)。

 

 “誤審”よりも悔しかったこと

 

170824unkai8二宮: とはいえ、ドゥイエさんとの決勝では篠原さんの内股すかしが決まりました。私は前の席で見ていましたが、あれはどう見ても篠原さんの一本勝ちです。しかし、判定は相手の有効でした。

篠原: 正直、私も一本と思いました。正面にいた副審も一本のジェスチャーをしていましたから。ところが振り向いたら主審と副審が有効のジェスチャーをしたんです。それを見た瞬間、「一本でしょう!」と口に出しました。審判団が協議して判定が訂正されるのかと思ったら、それもないまま試合は続行されたんです。“オレの勝ちだろ。試合終わってるだろ”と思いながら、試合をしていました。「待て」がかかって、一旦、試合が切れるとコーチボックスの斉藤先生から「信一! オマエがポイント取られているから攻めろ!」との声が聞こえてきました。それを見て初めてリードされていることに気付いたんです。

 

二宮: それは動揺したでしょうね。

篠原: 試合時間は5分(当時)。半分が過ぎた頃にはどんどん焦っていきました。“このままでは負けてしまう”と。焦りばかりで技をかけても返される。試合終了のブザーが鳴って負けてしまった。畳を降りてから表彰式までは10分か15分ぐらいあるんですが、控室でタオルを頭に被ってうなだれていました。

 

二宮: 印象的なシーンだったので、私もよく覚えています。

篠原: その時にふと思ったんです。なぜ内股すかしの後に、“もう1度投げてやろう”という気持ちになれなかったのかと。あそこで気持ちを入れ替えていれば、結果は変わっていたかもしれない。そう思った時に涙が止まりませんでした。武道において必要な心技体のうち、一番大切な心の部分が足りなかった。その自分自身への悔しさが涙になったんです。

 

二宮: 表彰式での涙も印象的です。

篠原: 表彰式には涙を拭いていったのですが、表彰台の銀のところに立った瞬間に涙が溢れてきました。金メダルを獲りに厳しい稽古を積んできて、金メダルを獲るためにシドニーに来たんです。「篠原は誤審で負けて悔しがって泣いている」と思われた方が多いのですが、実はそうじゃなかった。気持ちの切り替えができなかったことが悔しくて泣いていたのです。

 

 柔も剛も必要

 

170824unkai7二宮: 篠原さんから見て、ライバルとして強かったのは誰ですか?

篠原: 井上康生ですね。彼は「篠原さんは力が強かった」と言うし、私に対して世間では「篠原は日本人離れしたパワーだ」という声が多かった。でも彼と組み合った時、両手で引きつけても片手で弾かれる。実は井上康生も相当力が強い。その上、スピードがあって、技も切れる。「技の康生」というイメージがありますが、彼は片手だけで自分の間をつくれるんですよ。もちろん巧さもあるのですが、この説明をしても、柔の井上と剛の篠原と見られていましたね。

 

二宮: どうしても「柔」と「剛」の対立図式をつくりたいと。

篠原: そうなんです! メディアの方たちはそうでしたね。もう康生のほうがよっぽど力が強い(笑)。彼の場合、スピードも巧さもあるので一概には言えませんが、力の弱いヤツは絶対上には行けません。野村もメチャクチャ力が強いですから。

 

二宮: 男子60kg級でオリンピック3連覇の野村さんにも「柔」のイメージがあります。

篠原: アイツも力が強い。私もある程度真剣にガーッといかないと危ないですから。

 

二宮: え!? 100kg超級の篠原さんとの体重差がそれだけあっても?

篠原: ええ。掴まれたら本気でバチッと切らないと、切れないくらいです。でもそうでなければ、力が強い外国人選手たちを圧倒できないでしょう。

 

二宮: それは引く力が強いということですか?

篠原: 引く力と押す力の両方ですね。それを私はマスコミに懇々と説明しているんです。「柔よく剛を制す」と言われますが、力も強くないと井上康生や野村みたいには勝てません。巧さだけではダメなんですよ、と。

 

二宮: まず前提条件として「剛」がないといけないと。

篠原: その通りです。でも力が弱い世界チャンピオンなんていないんです。

 

170824unkai4二宮: なるほど。確かにそうかもしれませんね。ところで前回は日本代表間での“飲みニケーション”の話を伺いましたが、お酒にまつわる思い出は?

篠原: 現役時代はさすがにありませんでしたが、フランスのドゥイエさんとは引退後に酒を酌み交わしたことがあります。私が解説者の時や監督の時に会場などで会うと、普通にフランス語で喋りかけてきます。まぁ軽い挨拶程度に「ボンジュール」とかね(笑)。通訳がいる時はいいのですが、いない時はほとんど言葉がわからないので“とりあえず飲みに行こうぜ”というジェスチャーだけ。これは万国共通ですから。飲みに行くと言っても、乾杯して「おーイエスイエス」言っているだけなんですが(笑)。そういう意味ではお酒は出会いのツールでもありますね。

 

二宮: もうこんな時間になってしまいました。本当、楽しい時間はあっと言う間ですね。改めてそば焼酎『雲海』の「そばソーダ」感想は?

篠原: ソーダで割ることでスッキリした飲みやすさ。そこは「柔」であり、濃いめに割れば「柔」と「剛」を兼ね備えたお酒になります。とても美味いです。

 

二宮: お土産も用意していますので、“飲みニケーション”に使ってください。

篠原: ありがとうございます! グビグビとイケちゃうので、口も滑らかになってきて後輩たちと本音で語り合えそうです。

 

二宮: 3年後の東京オリンピック・パラリンピックでは柔道全日本代表の活躍が期待されます。祝勝会はぜひ「そばソーダ」で!

篠原: それは必ず! 3年後が待ちきれませんね。

 

(おわり)

 

170810unkaiPF篠原信一(しのはら・しんいち)プロフィール>

1973年1月23日、兵庫県出身。中学1年より柔道を始める。育英高、天理大を経て旭化成に入社。99年世界選手権で100kg超級&無差別級の2冠を達成した。翌年シドニー五輪では、100kg超級で銀メダル。03年に現役を引退。08年から柔道男子日本代表監督に就くと、12年ロンドン五輪終了まで指揮を執った。現在、解説者を務める傍ら、その明るいキャラクターでTV番組など幅広いジャンルで活躍している。

 

 今回、篠原さんと楽しんだお酒は本格そば焼酎「雲海」。厳選されたそばと、宮崎最北・五ヶ瀬の豊かな自然が育んだ清冽な水で丁寧に造りあげた深い味わい、すっきりとした甘さと爽やかな香りが特徴の本格そば焼酎です。ソーダで割ることで華やかな甘い香りが際立ちます。

提供/雲海酒造株式会社

 

<対談協力>

おとら

東京都港区西麻布2-13-12

TEL:03-6451-1355

 

営業時間

月~土 17:00~翌5:00(L.O.翌4:00)

日・祝 17:00~23:00(L.O.22:00)

 

☆プレゼント☆

篠原さんの直筆サイン色紙を本格そば焼酎「雲海」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらより、本文の最初に「篠原信一さんのサイン色紙希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は9月14日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、篠原さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

 

(構成・写真/杉浦泰介)


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