第811回 ハンドバイクに光を「障がい者市民活動家」の苦悩
ハンドバイクがパラリンピックの正式競技となったのは2008年の北京大会からだ。20年東京大会ではロードレース、タイムトライアル、チームリレーの3種目が行われる予定だ。
ハンドバイクとは、ひらたく言えば手漕ぎ三輪自転車のこと。かつてはハンドサイクルと呼ばれていた。
一般人にとって、馴染みの薄いハンドバイクという競技に光を当てたのは元F1ドライバーのアレッサンドロ・ザナルディである。01年9月、ドイツで行われたインディカーレースで後続車に追突され、その事故が原因で両足を失った。だが、このイタリア人は不死身だった。死の淵から生還し、09年からハンドバイクに本格転向した。12年ロンドン大会、16年リオデジャネイロ大会でともに2つの金メダルと1つの銀メダルを胸に飾った。「オレの人生、捨てたもんじゃない」との言葉は胸にジンと響くものがあった。
「ザナルディのレースは衝撃的でした。マシンと人間が完全に一体化していた。まるでガンダムのようでした」。そう語るのは「プロハンドサイクリスト」を肩書きに持つ永野明である。3年後に迫った東京パラ出場を狙っている。彼は脳性麻痺で身体障害者手帳は1級だ。
日本パラサイクリング連盟によると競技人口は30~40人。超マイナースポーツだ。普及が進まない理由はハンドバイクの値段。永野によれば、競技用ともなれば1台70~80万円。そのため国内には300~400台しか出回っていないという。これが車椅子だと福祉用具として扱われるため、助成の対象となる。ところがハンドバイクの場合、レジャー用品と見なされるため全て自費だ。「せめて普通の自転車くらいの値段で買えるようになれば、もっと普及するのでしょうが…」。永野の見解である。
ハンドバイクに乗るようになってから生活圏が広がった、と永野は語る。「健康で文化的な最低限度の生活」は憲法25条で全ての国民に保障されている。だが、国や地方の財政事情を考えれば、範囲の拡大には自ずと限界がある。「ハンドバイクは障がい者だけのものではない。足腰が弱った高齢者も買い物などで必要になってくる。まずはパラリンピックで認知度を高めることが重要だと考えています」。助け合い、支え合う社会づくりを42歳の「障がい者市民活動家」は模索している。
<この原稿は2017年8月30日付『スポーツニッポン』に掲載されています>