二宮清純: 今回のこの人と飲みたいは元プロ野球選手の大久保博元さんがゲストです。よろしくお願いします。
大久保博元 よろしくお願いします。

 

二宮: さて、大久保さん……というのもあらたまった感じなので、いつものようにデーブさんでいいですか?
大久保 全然、オッケーです。ところで、僕、『木挽BLUE』って毎晩、飲んでますよ。

 

二宮: えっ、ホントですか! じゃあ、話が早い。いつものように本格芋焼酎『木挽BLUE』をやりながら、たっぷりお話をうかがいましょう。
大久保 うちの店(肉蔵でーぶ)、夜中12時までやってるから、なんぼでも大丈夫でーす。

 

 

 

 

 酒に飲まれたことは一度もない

 

二宮: さて、『木挽BLUE』をいつも飲んでいるというのは、リップサービスではなく?
大久保 ホントもホントです。ただこれは25度じゃないですか。僕はいつも20度なんですよ。宮崎には普通に20度の木挽があるんです。今、テレビCMやってますけどその前から飲んでいて、毎晩4合くらい飲んじゃいます。

 

二宮: お味の方は?
大久保 僕は水とかで割って飲みますけど、『木挽BLUE』を含めて宮崎の焼酎は割っても味がしっかりしている。それが好きなんですねぇ。

 

二宮: デーブさんとお酒との出会いは?
大久保 小学校とか小さいときからお酒を飲む大人に囲まれていました。

 

二宮: お父さんとか?
大久保 いや、オヤジは全然飲めない人だったらしいし、僕が3歳4カ月のときに病気で亡くなりました。で、女手一つで育ててくれた母ちゃんは建築の営業レディをやってて、仕事柄お酒の席によく行ってました。そこでの話を子供にするわけですよ。

 

二宮: どんなことを?
大久保 「博元、将来、お酒で男を下げちゃなんねえぞ」と。付き合いの席で酒を飲んで失敗する人たちを見てたんでしょうね。それで僕に「酒は飲んでも飲まれんなよ」といっつも言ってました。

 

二宮: その効果は?
大久保 お酒を飲みだして随分経ちますけど、酔っ払って暴れたとか失敗したことは一度もないですね。

 

二宮: ちゃんとした、立派な大酒飲みですね。
大久保 母ちゃんの教育のおかげです。

 

二宮: 野球との出会いは?
大久保 素振りを始めたのは小学校1年生。保育園のころから野球選手かっこいいなーっていうのがあって、「将来何になりたい」「プロ野球選手!」「おお、いいな!」って言われてその気になったというか……。毎日、休まずに素振りしてました。

 

二宮: じゃあ小学校時代から大活躍だったでしょう。
大久保 小5までチームに入ったことがなかったんですけど、まあ体の大きな僕みたいなのが練習してるからそりゃあ打ってましたね。

 

二宮: 水戸商時代は当時新記録の高校通算52本塁打。今でいう清宮幸太郎選手みたいなもんですよ。怪童でしたね。
大久保 いやー、"かいどう"つっても僕は水戸街道、51号線ですよ。アッハッハッ。

 

二宮: あははは。水戸商は古豪ですが当時、茨城県の高校野球というと取手二高の時代ですか?
大久保 そうですね。木内(幸男)さんが監督をやっていて、石田文樹、吉田剛、中島彰一なんかがいました。ぶっちぎりで強かった。

 

二宮: 甲子園でKK(清原和博・桑田真澄)がいたPL学園の連覇を阻止して、84年の夏に優勝したんですよね。
大久保 いや、あれはうれしかったですよ。

 

二宮: その取手二高も水戸商、特にデーブさんを警戒していたと聞きました。
大久保 一度、取手二高と練習試合の予定があったんですよ。それで朝、集合して取手に向かうところで連絡が入った。「こっちは雨だから中止にする」って。水戸は雨なんて全然、降ってない。あとで聞いたら木内さんの戦略だったみたいです。練習試合でもうちに負けると嫌なイメージで県大会に臨むからよくない、と。それで中止にしたみたいだと、石田から聞きましたね。

 

二宮: 策士ですね。
大久保 はい。取手二高は違う学校を3校呼んで変則ダブルヘッダーをやったりしてたんですけど、なんだよそれーって(笑)。

 

二宮: 甲子園には出場できませんでしたが、デーブさんは西武にドラフト1位指名。目を付けられていたんでしょうね。
大久保 あとから聞いた話ですが、水戸商の先輩・豊田泰光さんが広岡達朗さん(西武監督・当時)に「水戸商にいいのがいるみたいだぞ」と言って、それで広岡さんがスカウトに伝えて見に来てくれたそうです。

 

二宮: スカウトの前でいいところは見せられましたか?
大久保 その日はグラウンドの整備期間中で、土を入れ替えたりしていたんです。僕はキャプテンだったけどちょうど熱を出してて「あれやれー、これやれー」と指揮してたんですけど、急に監督が「大久保、打て」と。それでゲージが用意されて、しかも「木のバットで打て」と。

 

二宮: 木製ですか。
大久保 周囲の人たちに常にプロを意識しろと言われていて、練習や試合でも木のバットを使っていたんです。その練習では調子がよくてボコボコ、ホームランを打ちました。

 

二宮: スカウトも即決だったでしょうね。
大久保 部長と監督に「彼を指名する!」と。「ついてはもうホームランを打たないでくれ」って(笑)。

 

二宮: 他球団対策ですね。
大久保 でも監督からは「次の試合からは金属バットで打て」と言われました。なんでかなぁ、と思ってたら、監督曰く、「プロに行くのに値打ちをつけろ。ホームランを打て」と。木製だとスタンドに届かないこともあるじゃないですか。それで金属で打つようになって、当時、1つ上の藤王康晴さん(享栄高)が持ってた高校通算本塁打記録(49本)を抜いたんですよ。

 

二宮: やっぱり怪童だったんですね。
大久保 いやいや、だから僕は水戸街道ですって。

 

 強面だけど優しかった先輩たち

 

二宮: デーブさんがプロ入りした85年、西武は黄金期を迎えつつありました。強い球団から1位指名と感慨深かったのでは?
大久保 プロ野球の1位指名はうれしかったんですが、それが西武というのが複雑でした。

 

二宮: 複雑というと?
大久保 僕、とにかく巨人が好きだったんですよ。だから西武というのは巨人をやっつける嫌な奴ら、敵役という感じでした。

 

二宮: 当時の西武には役者が揃っていました。
大久保 もう野村克也さんや田淵幸一さんはいなかったけど、トンビさん(東尾修)がいて、大田タクさん(大田卓司)がいて、モリシゲ(森繁和)さんがいて……。

 

二宮: すごいメンバーですよね。
大久保 あと、金森(栄治)さんもいましたけど、「あの金森か!」って思いました。

 

二宮: あのって、どの金森ですか(笑)。
大久保 83年の日本シリーズ、江川(卓)さんからサヨナラツーベースを打った、あの金森ですよ。コイツかー、って。

 

二宮: 西武の練習はどうでしたか?
大久保 ハンパじゃなくきつかった。本当にしんどかった。スパイクで1時間走った後に100mダッシュを100本とか、そういうメニューなんです。「うへー」って思ってたら、コーチに「明日は半分だから安心しろ」って言われて喜んでいたら、200m50本だったっていう(笑)。

 

二宮: あはは。デーブさんが親しかったのは渡辺久信さんとかですか?
大久保 そうですね。ナベちゃんは1つ上で、その上に笘篠(賢治)さんがいて、その上に工藤公康。それで僕と翌年に入った清原(和博)で5兄弟と呼ばれるくらい仲が良くて、いつもつるんで遊んでました。

 

二宮: モテたでしょう?
大久保 渡辺、工藤はほんとにモテましたね。洋服も東京モード学園の子がファッションショーをやった後のお下がりをくれてたんですよ。

 

二宮: デーブさんはその服、無理だったでしょう。
大久保 いやいや、何をおっしゃいます。僕も当時は減量させられてて細身の服も着られたんですよ。78キロくらいでしたから。ただ痩せてたときは打球が飛ばなくなって、「ユーは何しにプロ野球に?」みたいな状態でした。走れない、守れない、打球は飛ばない。そんな中距離ヒッターはいらないですよね。

 

二宮: 当時、西武は伊東勤さんが正捕手でした。デーブさんも使おう、という話にはならなかったんですか?

大久保 ならなかったです。入った当時は「伊東さんよりオレの方が打てる」なんて思っていたら、そんなことはなかった。総合力で見て、どうやっても伊東さんの勝ちですよ。

 

二宮: 総合力?
大久保 伊東さんは足は速いし、肩は強いし、ワンバウンドを含めてキャッチングもうまい。しかも打てる。片や"大久保捕手"ときたらキャッチングは下手、ワンバウンドも下手、肩も弱い。仮に40本ホームラン打ってもキャッチャーでは使えないですよね。だったらDHかファースト……って思ってたら、清原が入ってきちゃった。

 

二宮: 西武以外の球団に行けば良かったと思いませんでしたか?
大久保 そうですね。ただ僕も西武に入って、トレードで巨人に行き、その後もいろいろ成功も失敗もありましたが、無駄なことはひとつもなかったと思っています。西武という厳しいチームにいたから、最先端の野球に触れることができましたから。

 

二宮: 日本シリーズで巨人と対戦しても臆することはなかった?
大久保 全然、まったくなかった。野球の質が違ってました。西武では「こんなことも練習するの?」っていうプレーも練習してましたから。

 

二宮: 例えば?
大久保 ランナー一、三塁で外野に中間フライが飛びました。それでファーストランナーがタッチアップ、サードランナーもタッチアップでスタート。さあ、どうやって刺す? こんなプレーはほぼ起きないし、起きたとしても10年に1回あるかどうか。でもそういうプレーに対しても徹底的に練習させられました。あとギャンブルスタートのきっかけとか、打球判断とか、走塁ひとつでもベースの蹴り方とか徹底的にやらされたから、後でトレードで巨人という伝統球団に行っても野球の内容に対してはまったくブルッてなかったです。あ、こんなもんなの、って感じでしたね。

 

二宮: デーブさんがいた頃、西武は投手陣もすごかった。ボールを受けた中で印象に残っているのは?
大久保 トンビさんのシュートもすごい、郭泰源のスライダーもすごかった。渡辺智男のスライダーはフォークみたいで、あと潮崎哲也のシンカーなんて構えているこっちのケツが上がりましたからね。

 

二宮: シンカーだとわかっているのに?
大久保 そう。正面から見てそうなんだから、斜めに見ているバッターはそりゃ打てない。でも当時、投手陣には「ミットの音が鳴らないヤツには受けさせない」って言われてました。

 

二宮: パチーンといい音をさせろ、と。
大久保 どんなに仲が良くても、ボスッなんてなったら「デーブ、あっちいって、あっちいって」って。トンビさんなんて2時間くらい説教されながら受けたことがあります。

 

二宮: 説教ですか!?
大久保 「サインに気持ちを込めろ! さあ来いって言え! 声が小さい! 気持ちが入ってない! ちゃんと捕れ! ちょっと来い!」で、マウンドに行くとバコーンって殴られて、「戻れ!」って。2時間くらいずっとそんな感じで、バッティング練習もせずにずーっとブルペンにいました。

 

二宮: それ投げている東尾さんもしんどいですよね。
大久保 そうなんですよ。だから厳しくされたんですけど、育ててくれてるんだな、と。先輩たちには本当にかわいがってもらいました。

 

 バットケースの中身は……

 

二宮: 怖そうな先輩たちも面倒見のいい人ばかりだった?
大久保 ですね。中でも大田タクさんには本当にかわいがってもらいました。

 

二宮: 大田さんは西鉄時代からの生え抜きですから、個性も強烈だったでしょう。
大久保 85年、阪神との日本シリーズのときです。僕はルーキーでしたが勉強のために帯同させてもらってたんです。そのときにタクさんが門限を破って飲みに連れてってくれた。おお、プロだなあ、かっこいいなって。

 

二宮: たぶん大田さんは朝まで飲んでたんじゃないですか。
大久保 でしょうね。当時、日本シリーズはデーゲームでしたが、朝、出発時間になってもタクさんがバスに乗ってない。あれー、と思ってたら、タクさんが出てきて「先に行っといてくれー」って。

 

二宮: 先にって(笑)。
大久保 でも朝まで飲んでた状態なのに甲子園の第5戦で1本塁打含む2安打でしたからね。いやあかっこいいなって。

 

二宮: 昔のプロ野球選手の真骨頂ですね。他に先輩たちの武勇伝は?
大久保 なんぼでもあります。キャンプの宿舎は禁酒だったんですよ。でもトンビさん、タクさんは急須にビールを入れて飲んでました。

 

二宮: 監督も一緒でしょう? バレないんですか?
大久保 いや、バレてたでしょう。中身がそのうちビールから焼酎に切り替わって、どんどん顔が赤くなっていくんですから(笑)。あとモリシゲさんなんて練習後、夏は缶ビール飲んでましたからね。プシッ、プハーッて。

 

二宮: それも広岡監督は?
大久保 もう森祇晶さんでしたが、森さんも別に注意しない。まあ、そういう人たちも結果は出してましたからね。

 

二宮: いやあ、古き良き時代のプロ野球ですね。
大久保 キャンプといえば西武は本当にきつかったんですよ。昼間の練習は当然として、夜は8時くらいまで座学があった。広岡さんが「野球必勝法・必敗法」という、「これをやったら勝てる」「これをしたら負ける」というのが左右対称でズラーッと書いたものを使ってお勉強です。それが終わると夜間練習ですから、まあキツかった。

 

二宮: そりゃあお酒が息抜きになりますね。
大久保 僕はモリシゲさんの部屋に呼ばれて話し相手と買い出し役でしたね。

 

二宮: 買い出し?
大久保 当時、缶チューハイが出たばかりの頃で、モリシゲさんはそれをクイックイッ開けていくんですよ。なくなると僕がホテルの自動販売機に買いに走って、本館・別館含めて全フロアの缶チューハイを売り切れにしちゃいましたからね。

 

二宮: 売り切れって、どんだけ飲むんですか!
大久保 ある晩なんて買い出しに行ったらコーチの黒江(透修)さんとばったり。

 

二宮: まずいじゃないですか。
大久保 僕、バットケースに買った缶チューハイを詰めてたんですよ。パンパンだからめっちゃ重いんですけど、黒江さんがそれを見て「お前、何をしとるんだー!」「いや、あの」「お、なんだ。これから素振りか?」「はい、そうです!」「おお、大したもんだー」って。

 

二宮: あはははは。まさか中身が……。
大久保 缶チューハイとは思わなかったでしょうね(笑)。

 

二宮: 西武ではレギュラーになれず、腐ることはなかったですか?
大久保 管理部長だった根本(陸夫)のオヤジには「トレード出してください」って何度も言ってました。

 

二宮: 根本さんは?
大久保 「ばかやろー! たかが選手の言うこと聞いてトレードしてたら組織なんて機能しねぇんだっ! 黙って励め」と。

 

二宮: でも結局は根本さんが動いて、巨人に決めてくれたんですよね。
大久保 はい。オヤジ……僕は本当のオヤジは亡くなってたから、根本さんが父親のような存在でしたね。感謝してますよ、本当に。

 

二宮: さて、巨人に移籍した後やコーチ、監督時代のことは後編でうかがいます。お酒のおかわりは?
大久保 じゃあ、同じ『木挽BLUE』の水割りで。あ、うちの料理も食べてくださいよ。日本中のうまい肉料理と、母ちゃんの肉料理が揃ってますから。あとチーフの作ったおばんざいもおすすめです。

 

二宮: じゃあおばんざい盛り合わせと豚バラケチャップ炒め、を。
大久保 はい、よろこんで! おばんざいとバラねー。

 

二宮: 居酒屋店主、板についてますねー。
大久保 ようやく2年目、まだ駆け出しのルーキーですけどね。

(後編につづく)

 

<大久保博元(おおくぼ・ひろもと)プロフィール>
1967年2月1日、茨城県出身。水戸商時代、当時最多となる高校通算52本塁打を記録。84年秋、ドラフト会議で西武ライオンズから1位指名を受けてプロ入りを果たした。西武時代は正捕手・伊東勤の陰で主に代打での出場が多かったが、92年5月に中尾孝義とのトレードで巨人に移籍。村田真一と正捕手の座を争い、巨人在籍4年間で200試合に出場。95年、現役引退。プロ通算成績は打率2割4分9厘、41本塁打。引退後は解説者やデーブ大久保の名でタレントとしても活動した。08年、西武の1軍打撃コーチに就任。12年、東北楽天・1軍打撃コーチ、13年、同2軍監督、15年から星野仙一の退任に伴って楽天監督を務めたが1シーズンで退任。16年3月、東京・新橋に居酒屋「肉蔵でーぶ」を開業した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回、デーブ大久保さんと楽しんだお酒は芋焼酎「木挽BLUE(ブルー)」。宮崎の海、日向灘から採取した、雲海酒造独自の酵母【日向灘黒潮酵母】を使用し、宮崎・綾の日本有数の照葉樹林が生み出す清らかな水と南九州産の厳選された芋(黄金千貫)を原料に、綾蔵の熟練の蔵人達が丹精込めて造り上げました。芋焼酎なのにすっきりとしていて、ロックでも飲みやすい、爽やかな口当たりの本格芋焼酎です。

 

提供/雲海酒造株式会社

 

<対談協力>
肉蔵でーぶ
東京都港区新橋3-3-7 1F
TEL:03-3502-2245
営業時間: 11:30~14:00(昼営業は月~金)、17:00~0:00
定休日:日曜(日月連休の場合は日曜営業・月曜休)

 

☆プレゼント☆

 デーブ大久保さんの直筆サインボールを芋焼酎「木挽BLUE」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらのメールフォームより、件名と本文の最初に「デーブ大久保さんのサインボール希望」と明記の上、下記クイズの答え、郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)を明記し、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストをお書き添えの上、お送りください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は18年2月8日(木)。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、デーブ大久保(大久保博元)さんと楽しんだお酒の名前は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。


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