巨人やメジャー・リーグのヤンキースなどで活躍し、2012年いっぱいで現役引退をした松井秀喜が15日、野球殿堂入りを果たした。43歳7カ月での殿堂入りは野茂英雄の45歳4カ月を上回り、史上最年少記録だ。得票率も91.3%と高い支持を得ての選出だった。日米通算507本塁打、1649打点、打率2割9分3厘の成績を残した稀代のスラッガー。プロ4年目の途中に掴みかけたバッティングの“感覚”があったという。「怪物」の片鱗を見せていた松井の打撃論に21年前の原稿で触れてみよう。

 

 <この原稿は1997年4月14日号『Number』(文藝春秋)に掲載されたものです>

 

「誰にも打てないようなホームランを打ちたい」

 松井秀喜は口ぐせのように言う。

 

 バットの真芯でとらえたときの打球は、それこそ空気の振動が耳にまで伝わるような快音を発して、マッハのスピードで空間を切り裂いていく。

 

 昨年8月27日、広島市民球場で放った場外弾は、彼が昨シーズン記録した38本のホームランの中でも“ビンテージ”と呼べるものだった。

 

 その夜、私は三塁側の内野スタンドにいた。ピッチャーはカープのエース紀藤真琴。140㎞のストレートがインローにスッと入ってきた瞬間、重さ940gのバットが鋭く振り抜かれた。

 

 火の出るような打球が、雨あがりの夕なぎを切り裂く。文字どおり“驚弾”と化した打球は、あっという間にライトスタンド最後方の広告看板を越え、場外へと消えた。

 

「あれならメジャー・リーグでも文句なしのホームランでしょう」

 

 いつもはホームランを打った後も淡々としている松井だが、このときばかりは珍しく声を弾ませた。

 

 距離にして推定150m。ライト緒方孝市は守備位置から一歩も動くことができず、茫然とこの打球を見送った。気のせいか表情が青ざめて見えた。

 

「記憶」の長嶋茂雄、「記録」の王貞治。ならば松井秀喜の特権は「衝撃」か。

 

 思えば、ベースボールというスポーツが誕生して以来、バッティングに関する技術は、たったひとつの目的を達成するために存在してきたと言っても過言ではない。すなわち、どうすればボールをより遠くへ飛ばすことができるか――。

 

 シンプルこのうえない命題だが、長きにわたって多くの打者がこの命題に挑戦し、真理に一歩でも近づこうと探求を重ねてきた。飛距離への挑戦――それはベースボールの神に選ばれし、ほんのひと握りの者にのみ許される尊い営みなのである。

 

<日本人の中では一番スケールの大きいバッターだ>

 

 昨シーズンの松井の活躍ぶりについては、今さら説明の必要もないだろう。130ゲームすべてに出場し、打率3割1分4厘、38本塁打、99打点。ホームランキングのタイトルこそ、わずか1本差でドラゴンズの山崎武司に譲ったが、それよりも格上のタイトルであるMVPに輝いた。

 

「一番価値のあるタイトルですからね。素直に嬉しかったし、自信になりました」

 

 日米野球では、日本人としては最高の2本のホームランを放った。1本はヒューストン・アストロズのエースで、シーズン16勝をあげたシェーン・レイノルズから。そして、もう1本はニューヨーク・メッツが誇る通算323セーブの快速サウスポー、ジョン・フランコから。

 

「数試合見ただけの印象だが、日本人の中では最もパワフルでスケールの大きなバッターだ」と、MLBで3度のMVPに輝いたバリー・ボンズは語っていた。今やワールドクラスのスラッガーに成長したと言っても過言ではないだろう。

 

 昨シーズンの開幕前、松井に訊ねた。

 

「理想の打球は?」

 

 返ってきたセリフはこうだった。

 

「やはり弾丸ライナーです。グーンと伸びた打球が、そのままスタンドに突き刺さっていくのが理想。僕の一番いい打球はライトから右中間方向に飛びますよ」

 

 1年後、同じ質問を本人にぶつけると微妙にニュアンスが違っていた。

 

「弾丸ライナーもいいけど、もっとやさしい打球も打てるようになりたいんです。グーンばっかりじゃなく、高く上がってフワっと入るような打球かな。要するに完璧に打ち切った打球じゃなくてもホームランにしたいんです」

 

 日米野球で松井は、ドジャースのマイク・ピアザが体勢を崩しながらも、左手一本でレフトスタンドに打球を運んだのを見て、カルチャー・ショックを受けた。

 

「完璧に崩されているのに、左手一本だけで変化球を拾い上げたでしょう。あの感覚ですよ。あれを僕もマスターしたい」

 

 繰り返すが、昨年の成績は“発展途上”の状態にあった松井に、自信を植えつけると同時に、ホームランへの夢をさらに増幅させるものだった。

 

 ボールをできるだけ近くに呼び込み、腰の鋭い回転を利した今の打法でも、タイミングさえ合えばフェンス・オーバーしない打球はない。しかし、タイミングを崩された場合はどうするべきか――。

 

 松井は昨シーズンよりもさらにバッティング技術のステージをあげ、いよいよ“完全無欠”を目ざし始めたのである。

 

「昨年と比べ、技術的に変わった点は?」と質すと、松井はひと言で片づけた。「ボールを長く見られるようになったことです」

 

 ピッチャーならボールを長く持てる、バッターならボールを長く見られる、というのが好選手に共通する条件である。

 

 バッターの場合、ボールを長く見られるということは、それだけ球種やスピードの判別に時間をかけられることを意味する。必然的に打ち損じも少なくなる。

 

 また、ボールを身体に近い部分ぎりぎりにまで引き寄せながら、それでも決してバットの出が遅れないのは、ヘッドスピードの速さと、フォームのバランスの良さを裏付けてもいる。

 

 ここで松井を見つめる客観的な視線も紹介しよう。語るのはヤクルト・スワローズのスコアラー・安田猛氏。

 

「一昨年までは来たボールに対し、バットが真っすぐに出ていた。物を叩くときのカナヅチと一緒。ゴーンという感じで打っていました。ところが昨年は、構えたときの手首の部分がやわらかく感じられました。小さな円を描くようにラクに握っている。一昨年までのようにバットを最短距離で出そうという意識が少なくなってきたのではないか。

 

 これにより、遠心力を使えるようになったのが大きい。カナヅチでもそうですけど、いきなりゴツンとやるより、手首を利用して反動の力で釘を打ったほうが、少ない力で大きな成果を得ることができるでしょう。バッティングの理屈もこれとまったく一緒なんです。

 

 過去の名選手を例にとっても、皆、そういう打ち方をしてきました。王さん、長嶋さん、あるいは落合(ファイターズ)にしても、手首を回して打っています。手首を固定したまま、ゴツンという感じで打っていた名選手はまずいないと思います。4年目にして松井はこの打ち方を完全にマスターした感がありますね」


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