第195回「仲間を信じるな!?」
本当に残念な事件である。
正直、国内でこんな問題が起きるとは想定していなかった。残念という感情以上に、今後の業界への影響を憂慮している。
昨年末に起きたカヌーの禁止薬物混入事件。内容はすでに多くの方がご存知だと思う。
ドーピングと競技スポーツは簡単に切り離せるものではなく、極限まで追求し、かかるものが大きくなればなるほど、その影がちらついてくる。もちろんスポーツによっても状況は違うが、世界というフィールドで戦うならば無感心ではいられない。
だからこそ、選手はもちろん関係者も神経をとがらせ、風邪薬を飲むにもスタッフに確認し、食べものにも細心の注意を払うのが通例だ。さらに海外遠征の際は、出元が分からないものは飲み食いしない、開封されているものは飲まないなど気を付けるようにしてきた。僕もドーピング検査を受ける立場だったので、この辺りの注意は散々受けてきたし、そのような事例も聞いたことはあった。それは日本代表クラスの選手はもちろん、日本選手権出場クラスの選手でさえ今や常識だ。
しかし、僕も含めて想定していたのは「海外遠征時は」ということ。まさか国内で、それもトレーニング仲間しかいないところで起こるなどと、誰が想像しただろう。
おそらく、日本のスポーツ界でそんなことを想定していた団体などなかったのではないか。
自身のパフォーマンスアップのために、禁止薬物を摂取する。チームとして行う。もちろんこれも許されることではないが、想定の範囲内だろう。だからこそ、抑止するために意識レベルを高める教育は行われてきた。その成果もあり、国内でのドーピング数は世界的に見て極めて少ないと言っても過言ではなかった。
だが今回は、そんな自身のためだけでは収まらない。他者を貶める行為……。「まさか国内でこんなことが」とショックを受けたスポーツ関係者は多かっただろう。
スポーツの良さが失われる不安も
僕が心配するのは、今後の選手や関係者への対応だ。
今回の事件を受け、日本カヌー連盟では監視カメラや警備員の配置などを打ち出した。
当該競技団体としては、できる対策を打っているというのはよく分かる。
ただ今回のような不正を本当にやろうと思えばこれだけで防げるとは思えない。ナショナルチームなどは、大きな大会前には一緒に合宿をすることが多い。つまり生活を共にし、食事も共にする。そこで何かを混入しようと企てるものがいたなら、大会時だけ警備員を配置しても仕方がないということになる。
そう、今回の難しいところは、加害選手が内輪であったということだ。他国や他チームの選手であれば、関わることが少ないので警備、警戒することは難しくない。しかし、同じ釜の飯を食っている仲間であることに難しさがある。
もし完全に防ごうとするならば、「自分以外の誰も信用するな」と教えるしかない。
同じチームの選手であっても「いつも心を許すな」ということになってしまう。これではあまりにも切ない。
スポーツの良いところは、一緒に競い合ったライバルでも、同じものに心砕く同志として仲間意識が芽生えることだ。その友情がまさに財産になる。しかし、今回の事件でそれが否定されると思うと……非常に複雑な心境なのである。
当該選手は、良心の呵責に苛まれ、自ら申し出てきたという。周辺選手のコメントを聞いてもかなり尊敬されていた側面もあるようだ。推測でしかないが、きっとスポーツマンらしく好人物だったのではないかと思う。とはいえ、一連の事件のような闇の部分があったのも事実。本当に残念ではあるが、これが人間という生き物である。ぜひ彼の猛省と、人として更生してくれることを期待したい。
競技スポーツと倫理のバランスを取るのは簡単ではない。今回も改めてそのことを思い知ったのだが、人間不信を増長するような教育や風潮にならぬことを強く望む。
白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための会社「株式会社アスロニア」を設立、代表取締役を務める。17年7月に東京都議会議員に初当選。著書に『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)、石田淳氏との共著『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)などがある。