メジャーリーグ最優秀監督賞(Manager Of the Year Award)の受賞者には、いずれ劣らぬ名将、知将が並ぶ。日本と異なるのは下位球団からでも選ばれることだ。たとえば2006年にマーリンズを率いたジョー・ジラルディ。78勝84敗のナ・リーグ東地区4位ながら、若手主体のチームでワイルドカード争いをした手腕が評価され、同賞に選出された。


 それにならえば、10年のセ・リーグ最優秀監督賞は東京ヤクルトの小川淳司に与えられてもよかったのではないか。5月26日に成績不振の責任を取るかたちで高田繁が休養、そのバトンを受け継ぎ翌27日から監督代行として指揮を執った。


 期待値が低かった分、その采配力には驚かされた。監督代行就任時には19もあった借金を完済し、4つの貯金を積み上げてみせた。指揮を執ってからの勝率6割2分1厘は、リーグ優勝した中日・落合博満監督の5割6分を大きく上回るものだった。


 絵に描いたようなV字回復の原動力が3番からトップに戻った青木宣親だ。打順変更は小川の周到な計算によるものだった。


 当時の取材メモには小川の次のようなコメントが記されている。「青木のバッティングに対する集中力は凄まじいものがある。その代わり、守備や走塁にはあまり興味を示さない。同じリーダー格でもチーム全体のことを考えてプレーする宮本慎也(現ヤクルトヘッドコーチ)とはそこが違っている。では、どうすればチームを引っ張ってくれるのか。彼は数字にこだわるタイプなので、それに集中させようと。その姿を見た若い選手が“青木さんがあれだけ頑張っているんだから、自分たちもやらなきゃ”と思ってくれれば、チームもいい方向に行くんじゃないかと…」


 小川の狙いは的中した。元の居場所に戻った青木はヒットを量産し、自己最高の209安打、打率3割5分8厘を記録したのである。


 メジャーで6年間プレーした青木の古巣復帰が決定的となった。日米通算3割1分1厘の安打製造の腕前はダテではない。小川は再び青木を核弾頭にして低迷からの打開を試みるのだろうか。いずれにしても、これでセ・リーグはおもしろくなりそうな予感がする。キャプイン前の朗報だ。

 

<この原稿は18年1月31日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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