第125回 羽生連覇で見えたフィギュアの未来
冬季五輪におけるフィギュアスケート(男子シングル)の連覇は1948年サンモリッツ大会、52年オスロ大会を制した米国のディック・バトン以来、66年ぶりという。
羽生結弦が2014年ソチ大会に続いて18年平昌大会も制した。ショートプログラム(SP)とフリースケーティング(FS)合わせて317・85点という高得点を叩き出した。冬季五輪史上1000個目の金メダルというプレミアム付きだった。
演技を終えた羽生はリンクの上で右足首を撫でた。
「右足が頑張ってくれた、という思いが強い」
昨年11月、NHK杯の公式練習で4回転ルッツに失敗し、右足関節外側靭帯損傷の重傷を負った。リンクから離れること約3カ月。ぶっつけ本番で臨んだ大舞台だった。
海外のレジェンドたちも羽生を絶賛した。
「すさまじいシアターだったよ」(ディック・バトン)
「なんてチャンピオンなんだ」(06年トリノ大会金メダリスト、エフゲニー・プルシェンコ)
「1位だ。美しい」(ロシアの名指導者タチアナ・タラソワ)
右足首への負担を考慮し、FSでの4回転ジャンプはサルコーとトーループにしぼった。難度の高いループとルッツを回避したのは、それでも勝てると判断したからだろう。総合力でライバルたちを寄せ付けなかった。
SP後のインタビューで羽生は「僕はオリンピックを知っている。元オリンピックチャンピオンなので」と自信たっぷりに語った。何を選択し、何を捨てるか。演技中のリカバリーも見事だった。
目を見張ったのはFSでのネイサン・チェン(米国)の演技だ。SP17位と出遅れたことで開き直ったのだろう。
なんとプログラムの中に4回転ジャンプを6回も盛り込み、そのうち5回を成功させた。FSではトップの215・08点を叩き出した。
フィギュアスケートの専門家の中には、そう遠くないうちに“5回転時代”がやってくる、と予言する者もいる。必然的にケガのリスクは高くなる。技術の進歩に人間の身体が降り落とされてしまわないか、との不安がつきまとう。
当然、その懸念はISU(国際スケート連盟)も共有しており、来シーズンから4回転の基礎点を下げる検討に入ると見られている。スター選手がケガばかりしていたら興行にも影響が出るだろう。
技術力と表現力のバランスはフィギュアスケートが抱える古くて新しい課題である。絶妙の“着氷点”を見出してもらいたいものだ。
<この原稿は『漫画ゴラク』2018年3月16日号に掲載されたものです>