冬季五輪のレジェンドと言えば、ノルディックスキー・ジャンプの葛西紀明の代名詞だ。1992年アルベールビル大会から2018年ピョンチャン大会まで8大会連続で五輪に出場した。

 

 

 獲得したメダルは1994年リレハンメル大会での団体銀、2014年ソチ大会で個人ラージヒル銀と団体銅の三つ。

 

 ではパラリンピックにおけるレジェンドは誰か? クロスカントリースキーの新田佳浩を挙げたい。

 

 こちらは1998年長野大会から2018年平昌大会まで6大会連続の出場が決まっている。

 

 競技生活のハイライトは10年バンクーバー大会だ。

 

 日本選手団の主将として臨み、10キロクラシカル、1キロスプリントの2種目を制した。帰国後、本人は勝因をこう述べた。

 

「1年前から(本番の)3月18日に自分の調子を合わせていくことを考えていました。シーズンに入ってからは、だいたい2週間で調子を上げて、2週間で落としていくというバイオリズムでずっとやっていたのですが、それを3月18日から逆算して考えていたんです。だから、本当に10キロは自分自身、狙ってとった金メダルでした」

 

 しかし、前回のソチ大会では4種目に出場しながら、メダルなしに終わった。20キロクラシカルの4位が最高だった。

 

 敗因は本人によると地元ロシア勢を中心とした世界の急成長についていけなかったこと。ロシアのあまりの強さの裏にはドーピングの影もちらついていた。

<でも結果は結果。泣いても叫んでも変わることはありません。悔しかったら、ピョンチャンで晴らせば良い。喜びたいなら、ピョンチャンまで頑張れば良い>(14年3月24日自身のブログより)

 

 パラリンピックは障害のレベルによりクラスが細かく分けられる。クロスカントリースキーの場合、大きく立位、座位、視覚障害の3つのカテゴリーからなり、新田は立位。実走タイムに障害の程度に応じて設定されている係数を掛けた計算タイムで順位が決まる。

 

 さて新田とはどんな男なのか。鳥取県に近い岡山県西粟倉村の農家の生まれ。3歳の時、祖父が運転するコンバインに左腕を巻き込まれ、切断を余儀なくされた。

 

 温暖な岡山県とはいっても北部は冬、雪が積もる。4歳でスキーをはじめ、17歳で初めてパラリンピック(長野大会)に出場した。

 

 新田は「挑戦」という言葉を好む。

「クロスカントリースキーは日頃、練習してきたことが全て試合に出る。だから、自分がどこまでできるのかチャレンジしたことが、結果として出る。つまり“自分への挑戦”なんです。それがクロスカントリースキーの魅力だと思います」

 

「障害を負ってはいますが、選手たちは今ある自分の能力をいかに最大限に出せるか、それに挑戦している。僕も自分の可能性を信じてスキーを続けている」

 

 クロスカントリースキーは、ある意味、自然との闘いでもある。追い風の日もあれば、向かい風の日もある。それは、まるで人生の縮図のようだ。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2018年2月25日号に掲載されたものです>

 


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