連続試合出場の“世界記録”を更新し、国民栄誉賞にも輝いた衣笠祥雄さんが23日、死去した。71歳だった。


 現役時代、「鉄人」の愛称で親しまれた衣笠さんだが、むしろ私には「哲人」のイメージの方が強かった。自らの豊富な経験から紡ぎ出される言葉には得も言われぬ深みと重みがあった。


 衣笠さんが精も根も尽き果てそうになったのは1979年のシーズン前半である。開幕からスランプが続き、連続フルイニング出場に黄信号が灯り始めた。その頃、流行していたのがインベーダーゲーム。キューン、キューンと独特な金属音を立てて、頭の上に爆弾が落ちてくる。それを必死になってバットで打ち返そうとするのだが、振れども振れども当たらない。もうダメだと観念した瞬間にパッと目が覚めるのだという。それだけ追い詰められていたのだ。


 衣笠さんは語った。「(夢の中で)懸命にバットを振るんだけど、全部空振りなんだ。あの時は全然、眠れなかった。ホッとできるのは素振りしたりボールを打っている時だけだったな」


 結局、連続フルイニング出場記録はその年の5月28日に途切れるのだが、ベンチに座る時間が増えたことで自分とサシで向き合えるようになったと衣笠さんは語っていた。

「ベンチに座っていたら、いろいろなことに気付くんだよね。たとえばヒット。試合に出続けていた時はカキーンと快音を発するのがヒットだとばかり思っていた。ところが実際にはグチャッとかボテッというヒットの方が多いんだ。その時初めて、オレは自分の高慢さに気付くわけよ。“オレ、あんなヒットでは喜ばなかったな。これからは、もっと素直に喜ぼうよ”って。多分、試合に出続けていたら、オレはもっと高慢ちきな人間になっていただろうね」


 他の選手よりも大きな成功を収めることができたのは、他の選手よりも多くの失敗をしたからだとも衣笠さんは語っていた。夜の街に繰り出し、午前様になってもバットを振り続けた。それは義務感からではない。グリップを握るヒンヤリとした感覚、静まり返った空気を切り裂く音。それがたまらなく好きだったというのだ。「人生の中で、ただひとつ飽きなかったのが野球。野球はいいよ。本当にいいよね」

 

 あの人懐こい笑みは、もう見られないのか。あの甲高い声は、もう聞けないのか。今はただただ悲しい。合掌。

 

<この原稿は18年4月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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