1993年にスタートしたJリーグは現在、J1、J2、J3合わせて54のクラブを擁している。

 

 

 目下、54クラブは38都道府県にまたがる。Jクラブが存在しないのは、青森、福井、滋賀、三重、奈良、和歌山、島根、高知、宮崎の9県だけとなった。

 

 悲願だったワールドカップ出場もJリーグ発足から5年目にしてかなった。

 

 それだけではない。Jリーグが船出する際に掲げた「地域密着」の理念は他の競技にも伝播していった。プロ野球の日本ハムが札幌市移転を機に「北海道」、新規参入した楽天が仙台市を本拠に定めると同時に「東北」と名乗ったことでも明らかだ。

 

 何事もスタートが肝心だ。Jリーグ開幕にあたっての初代チェアマン川淵三郎のシンプルで力強いスピーチは今も語り草だ。

 

<開会宣言。スポーツを愛する多くのファンの皆様に支えられまして、Jリーグは今日ここに大きな夢の実現に向かってその第一歩を踏み出します。1993年5月15日、Jリーグの開会を宣言します。Jリーグチェアマン、川淵三郎>

 

 このスピーチの肝は「サッカーを愛する」ではなく「スポーツを愛する」としたことだ。サッカーが先頭に立って、この国のスポーツの姿そのものを変えていくのだとのメッセージが込められていた。

 

 ところで川淵によると、この30秒のスピーチには、ある仕掛けが用意されていたというのだ。

 

「実はスピーチの終わりではなく、間に“1993年5月15日”と日付を入れたことがミソなんです」

 

 どういうことか。

「このオープニングセレモニーの様子は、この先テレビで何回も取り上げられる。長いとカットされるので30秒くらいにまとめようと。それでも、テレビ局が長いと感じた場合は15秒くらいにカットするはず。間に日付を入れると、開会宣言の前半と後半、どちらを使っても格好がつく。そこまで計算して、ああいう構成にしたんです」

 

 今でも、事あるごとに開会宣言は取り上げられるが、30秒のフルバージョンか15秒のハーフバージョンのどちらかだ。全ては川淵の計算通り。

 

 川淵は自称「演劇少年」で将来の夢は俳優になることだった。あまり知られていないがNHKのラジオ放送劇にも出演していた。

 

 開会宣言をより劇的なものにするには、どうすればいいか。「1週間以上考え抜いた」末の名演出だった。

 

<この原稿は『漫画ゴラク』2018年5月25日号に掲載されたものです>

 


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