第904回「熊殺し」vs.猪木の“面子”保ったリング下の死闘
格闘家のニックネームは、武闘派ぶりを強調するあまり、ややもすると誇大広告的になるのが相場だが、さる7日、67歳で世を去った極真空手の猛者、ウィリー・ウィリアムスの「熊殺し」は掛け値なしだった。
いくら飼育員に飼い馴らされたサーカス用の熊とはいえ、身長245センチ、体重320キロのグリズリーである。蛮勇にも程がある。
だが熊くらいで驚いていてはいけない。極真空手の創始者・大山倍達は霊長類最強と呼ばれるゴリラとも闘っていたのだ。
ゴリラの名前はバロン。極真会館ローデシア支部長のイアン・ハリスが飼っていたという。<私は丸太のようなその腕を左右の正拳内受けではねのけると、相手の内懐深く大きく一歩踏み込みざまにジャンプしながら、右の膝蹴りをゴリラの下腹部に蹴り込んだ。蹴ったこっちの方が痺れるほど強烈な手ごたえがあって、さすがに、今度はバロンも完全に腰くだけとなったと思うと、そのままドスンと尻もちをついた>(『ケンカ空手・世界に勝つ』スポニチ出版局)。ゴリラを金的で仕留めたというのである。
これに対する評論家・平岡正明の見解の何たる透徹。<人間のいる家のなかで戦ったから勝ったのであり、ゴリラ側の闘志、すなわちバロンが打倒極真カラテの執念に燃えていたはずはないし、かりに、密林で飢えた大山倍達と飢えたゴリラとが一房のバナナを争ったら、ゴリラの優位は動かしがたいだろう>(本人著『大山倍達を信じよ』秀英書房)
話をウィリーに戻そう。プロレスの雄・アントニオ猪木との異種格闘技戦は1980年2月に行なわれた。結果は4ラウンド、両者はもつれあったままリング下に転落し、ドクターストップによるドロー。政治的、興行的な色を帯びた不可解な結末だった。
だがリング下は違った。両陣営の加勢合戦はラウンドが進むごとに殺気を帯び、それは任侠映画の「出入り」を連想させた。猪木は「場外で誰かに頭を蹴られた。後味の悪い試合」と言い、ウィリーサイドの添野義二は「猪木のアバラの骨折は僕の蹴りが原因」と後日、私に語った。無政府状態と化したリング下のリアル。皮肉なことに、血気にはやる者たちの無垢な暴走により、メッキの剥がれかかった「格闘技世界一決定戦」という金看板の真実味は、かろうじて保たれたのである。
<この原稿は19年6月19日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>