新型コロナウイルス感染拡大の影響により様々なスポーツ、エンターテインメントが中止・延期を余儀なくされている。その中で人々に娯楽を提供し続けているのが無観客で開催されている競馬だ。さる4月27日、大井競馬場から明るいニュースが届いた。63歳の現役ジョッキー・的場文男が通算7300勝(地方=7295勝、中央=4勝、海外=1勝)を達成した。人は歴代最多勝利記録を更新し続ける彼を「大井の帝王」と呼ぶ。2年前の原稿で帝王の記憶に残るレースを振り返ろう。

 

<この原稿は『ビッグコミックオリジナル』(小学館)2018年6月5日号に掲載されたものです>

 

 地方競馬における最多勝利記録は20世紀の大騎手・佐々木竹見の持つ通算7151勝である。

 

 5月7日現在、的場文男は、この大記録にあと31勝と迫っている。佐々木が「川崎の鉄人」なら、的場は「大井の帝王」だ。

 

 地方競馬のジョッキーは、常に同じ勝負服を身に纏う。色柄はジョッキー自らが選択する。つまりデビューから引退まで、同じ勝負服で通すことになる。

 

 的場の色柄は「赤、胴白星散らし」。デビューから45年、この勝負服でゴールに挑み続けてきた。

 

 61歳には代名詞がある。「的場ダンス」と呼ばれる、馬上で躍るような独特の騎乗スタイルだ。

 

 以前は両膝を締め、馬にピタッと吸い付くような乗り方をしていた。これだと馬に負担をかけない。

 

 ところが齢を重ねるうちに体が硬くなってきた。的場によると馬の能力を引き出そうとすると、どうしても上体が起きてしまうという。つまり理想的な乗り方からは遠ざかっているわけだ。

 

 それでも人々が「的場ダンス」に魅了されるのは、勝ちたい、ひとつでも先着したいという気持ちが、ダンスを通じて誰よりも強く伝わってくるからだ。「走れ、このヤローって思うんですよ」と的場。この負けん気が7120の白星を生み出してきたのである。

 

 大記録達成目前の的場に記憶に残るレースを2つあげてもらった。まず1つ目が1997年6月、コンサートボーイに騎乗した帝王賞である。

 

 本来、的場はナイキジャガーという馬に乗る予定だった。ところが脚の故障でレースに出られなくなった。

 

 コンサートボーイの乗り役は現在、中央で活躍する内田博幸。その内田が騎乗停止になったことで的場にお鉢が回ってきたのだ。

 

 本命は中央の人気ジョッキー武豊の乗るバトルライン。コンサートボーイは4番人気だった。

 

 枠順抽選の前日、長男が不思議な夢を見た。コンサートボーイが3番枠になったというのだ。それは正夢となった。本当に3枠3番を引き当てたのだ。

 

「これは何かあるかもしれない……」

 

 的場には不安があった。コンサートボーイは後ろから行く馬のため、早めに仕掛けないと勝負にならないのだ。

 

 好スタートを切ったコンサートボーイは3番手の好位置をキープした。的場はバトルラインの後ろでじっと我慢した。風の抵抗を避けることでスタミナを温存させたのである。

 

 馬を外に持ち出したのは残り200メートルを過ぎたあたりだ。バトルラインをかわしはしたものの、後方から3番人気のアブクマポーロが猛然と突っ込んできた。最後はクビ差の勝負になったが、勝者はコンサートボーイだった。

 

 2つ目はそれからちょうど10年後、ボンネビルレコードで制した帝王賞である。

 

 この時は1番人気がブルーコンコルド。2番人気が武豊が乗るシーキングザダイヤだった。

 

「武さんが外に行けば内に行こう。内に行けば外に行こう。それだけを考えていました」

 

 最後の直線、外から伸びてきたブルーコンコルドを、シーキングザダイヤの後ろに付けていたボンネビルレコードが内から差し切った。1馬身差以上の完勝だった。

 

 帝王賞は古馬のダート最強馬決定戦である。「地方の意地」と「中央の誇り」が激突するレースとしても知られている。大井を知り尽くしている的場にすれば「負けられないレース」でもあったのだ。

 

 07年のレースも97年同様、的場は武豊の馬の後ろにピタリと付けた。4コーナーをインコース3番手で回ってくる。全ては計算通りの快勝劇だった。

 

 的場は佐賀から上京して、17歳で大井競馬のジョッキーとなった。積み重ねたのは勝利ばかりではない。体には無数のメスの跡が刻み込まれている。

 

 今から11年前の2月には、危うく命を落としそうになった。浦和競馬で気性の荒い馬に振り落とされ、両脚で背中を蹴られたのだ。

 

 肋骨の骨折なら何度も経験している。こんなものはケガのうちに入らない。しかし、今回ばかりは何かがおかしい……。不安に襲われるうちに意識が薄れ、話すこともできなくなってしまったのだ。

 

 救急車で運び込まれた病院で、医師たちのささやきが耳に入った。

「出血が2000CCを超えている。もう限界だ」

「それでは緊急手術に入ります」

 

 そこから先のことは何も覚えていない。手術は6時間にも及んだ。

「意識が消える瞬間、“死ぬときはこうなんだな”と覚悟しました。結局、脾臓と腎臓を摘出しました。体重50キロの人が2000CCも出血したら、普通は生きていられないそうです。僕はたまたまいい病院に運び込まれたから死なずにすんだ。そこにはカテーテルの名医がいたんです。その意味で僕はラッキーでした」

 

 健康には人一倍、気を遣っている。アルコールはほんの少ししか口にせず、夜7時には寝床につく。騎手を悩ませる減量に苦しんだこともない。

 

「馬から降りればただのオジさん」という的場には2つの大きな目標がある。ひとつは佐々木の大記録を塗り替えること。そして2つ目が、2着を9回も記録しながらもまだ制したことのない東京ダービーの優勝ジョッキーに名を連ねること。

 

「この年になっても、まだ目標があるのは幸せなことですよ」

 

 61歳の青春である。


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