これを「属性史観」と指摘されたら、返す言葉に窮するのだが、定量的に見た場合、以下の事実からそれなりの信憑性を有しているとも言える。

 

 商業高校①から進学した明大出身②の投手③は成功する--。そんな仮説を立て、過去に遡って検証してみたい。

 

 日本で初めてスライダーを投げた投手は誰か。巨人などで活躍した藤本(中上)英雄(下関商)というのが定説である。通算200勝87敗、防御率1・90。この通算防御率は通算2000イニング以上で歴代1位。また1950年には日本プロ野球史上初の完全試合も達成している。

 

 スライダーの元祖が藤本なら、フォークボールの元祖もまた商業高校出身の明大OBである。中日などで通算215勝(123敗)を記録した杉下茂(旧制帝京商)だ。“打撃の神様”と呼ばれた巨人・川上哲治が杉下のフォークを評して「キャッチャーが捕れないボールを、どうやって打つんだ!?」と語った話は有名である。54年、杉下は32勝をあげ、中日を球団史上初の日本一に導いた。

 

 2リーグ分立を機にセ・リーグに新規参入した大洋が球団史上初の日本一に輝いたのは、名古屋の歓喜から6年後の60年だった。MVPは六大学通算33勝の秋山登(岡山商高と岡山産高が統合した岡山東高・現在の岡山東商)。この年、21勝10敗。大毎との日本シリーズでは4試合全てにリリーフし、スイープ(4連勝)の立役者となった。

 

 2年前に他界した星野仙一(倉敷商)の名前も記しておきたい。中日一筋のキャリアの中で特筆すべきは74年の沢村賞である。この年、巨人はV10がかかっていた。それを阻止しての沢村賞だけに価値がある。またリリーフのスペシャリストとして巨人と西武で10回のリーグ優勝、5回の日本一に貢献した鹿取義隆(高知商)は使い減りのしない肩で、通算91勝131セーブをマークした。

 

 近年では川上憲伸(徳島商)の活躍が目立つ。日米通算125勝。2004年と06年には最多勝に輝いた。川上の徳島商-明大の大先輩にあたる林義一は大映時代の52年、ノーヒットノーランを達成している。

 

 そして今季、先の3条件を満たす継承者が現れた。広島のドラフト1位ルーキー森下暢仁(大分商)である。21日の横浜DeNA戦では7回を無失点に封じ、上々のデビューを飾った。これも縁である。伝統の系譜に名を連ねる選手になってもらいたいものだ。

 

<この原稿は20年6月24日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


◎バックナンバーはこちらから