第21回 藤田俊哉(JFA技術委員会強化部会員)「欧州のスタジアムは社交場」

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「Sportful Talks」は、ブルータグ株式会社と株式会社スポーツコミュニケーションズとの共同企画です。多方面からゲストを招き、ブルータグの今矢賢一代表取締役社長、二宮清純との語らいを通し、スポーツの新しい可能性、未来を展望します。

 

 今回のゲストは元サッカー日本代表の藤田俊哉氏です。現役時代は主に攻撃的MFとして活躍し、Jリーグ・ジュビロ磐田の黄金時代を築き上げました。現在は日本サッカー協会(JFA)技術委員会強化部会員を務めています。

 

二宮清純: 藤田さんは日本サッカー協会(JFA)技術委員会強化部会員として、普段はヨーロッパに駐在されているそうですが、どのような業務を担当しているのでしょうか?

藤田俊哉: A代表やオリンピック代表候補の選手を招集する際、ヨーロッパのクラブからスムーズに連れてくることが僕の仕事です。要するに向こうのクラブと円滑なコミュニケーションを図り、代表の監督やコーチの繋ぎ役となります。プレーに関しては、試合を観ればわかりますが、普段の練習やクラブとの関係など、より細かい情報が分かるようにサポートする役割ですね。

 

二宮: 指示を受け、レポートを提出することも?

藤田: はい。その選手の練習環境や、チーム関係者の話をまとめて総合的に判断します。エージェントを介して聞いたら、基本的には良いことしか言いませんから。我々は我々で正しいジャッジをしていくためです。

 

今矢賢一: 選手個々のコンディションは、通常クラブで管理していますよね。日本代表の候補選手たちのコンディションデータはJFAにも提出するのでしょうか?

藤田: 例えばフィジカルコンディションの情報が欲しいのであれば、各クラブのフィットネスを担当している部署とJFAのスタッフを繋ぐこともあります。各クラブ、各選手と代表チームとのコミュニケーションを円滑にしつつ、ネットワークづくりが大事になってきます。このポストに就いたばかりの時は、「選手をケアする役割」と言われたこともありますが、それはほんの一部に過ぎません。実際はヨーロッパ中にコネクションを張り巡らせるのが仕事です。

 

今矢: これまで誰が藤田さんのような役割をしていたのですか?

藤田: 専門職の方はいなかったと思います。代表監督のオーダーをダイレクトに伝えられ、現地のクラブともコミュニケーションを図れる。僕自身、ヨーロッパに行ったことで、そういうポイントを絞った役割の人が必要なんじゃないかと思っていました。それをJFAに相談した結果、僕がその役職に就くことになったんです。

 

二宮: 2003年、藤田さんはジュビロ磐田からオランダ1部のユトレヒトにレンタル移籍をしました。藤田さんにとっての海外挑戦は、のちに選手以外でヨーロッパのクラブに関わることも考えていましたか?

藤田: 当時は選手としてレベルアップしたいとの思いだけでした。オランダでのプレーは残念ながら短期間に終わってしまいましたが、そこで得た経験やコネクションは大きな財産です。のちの日本人選手の移籍に繋がったと思いますし、僕が指導者を目指した際にもオランダのクラブが受け入れ先になってくれました。

 

 オランダでの経験

 

今矢: オランダはヨーロッパの中でも語学のレベルが高いと感じますね。しかも発音が綺麗。オランダやデンマークはネイティブに近いと思います。

藤田: オランダは国民の90%以上が英語を話せると言われています。スカンジナビア諸国の選手は語学への対応力が高いと感じました。アジャストする能力が抜群。もしかしたら国の教育面に秘密があるのかもしれませんね。

 

今矢: ジュニアの教育は私もすごいと思います。我々も海外のブランドを日本に輸入する際に知り合った北欧のディストリビューター(代理店、商社)に聞くと、英語教育がしっかりしていると言います。日本とはベースから違うなと感じることがあります。

二宮: オランダでプレーしていた時、ピッチ内のコミュニケーションで困ったことはありましたか?

藤田: すごく苦労しました。セットプレーなどのそれぞれに決まったタスクがあるものは、簡単でした。しかしシステムやメンバー変更があった際に、試合中で大きく状況が変わると、それに対応するのは非常に難しかったです。

 

今矢: 私の弟(直城氏。現・清水エスパルスコーチ)は23歳の時、選手としてヨーロッパに挑戦しました。彼は「日本には自分よりも上手いのに海外でプレーできない選手がたくさんいた。自分はフィジカルとメンタルとランゲージでは負けない自信があったから、ヨーロッパでも通用できた」と話していました。語学力はやはり大事だなと思いました。

藤田: アルゼンチン代表のリオネル・メッシクラスであれは、語学力はさほど必要ないかもしれません。しかしサッカーの実力で他を寄せ付けないレベルではないなら、語学力がなかったら置いていかれます。不利な状況になることが多いと思います。

 

二宮: 不利な状況とは?

藤田: 言葉を理解していないと、重要な場面であればあるほど信頼されない。つらい状況になると、責任を取らされる。なぜなら反論できないから。その一方で、わからないのにわかったふりをすると後で痛い目に遭います。そのあたりのバランスは非常に難しいですね。

 

二宮: 半年間の期限付き移籍ではありましたが、オランダで得られた経験は大きかったと?

藤田: はい。日本に戻った後の05年、ジュビロから名古屋グランパスに移籍しました。同じ頃グランパスに所属していた本田圭佑がオランダ行きを希望した時、僕も力になれたと思います。それにチームの監督はオランダ人のセフ・フェルホーセンさんでした。セフさんはオランダ南部のリンブルフ州の名士。彼の紹介で、本田は最終的にVVVフェンロへ移籍するチャンスを掴みました。

 

今矢: その後、同じグランパスから吉田麻也選手もフェンロへ移籍しましたね。

藤田: もちろん彼らの実力が認められたからこそなのですが、本田も吉田も日本代表の主力になる前でした。セフさんの力添えと、日本が築いたオランダのルートとの条件がうまく重なったと思います。

 

二宮: 実力だけでなく人脈も必要、またクラブの成り立ちなどの歴史や文化を知ることが成功に繋がると?

藤田: そう思います。どうしても僕らは、オランダはオランダ、イングランドはイングランドと国・地域単位で見てしまう。でもそれぞれの州、地区によって特色があり、それがサッカースタイルになり、まちの文化になっている。それは現地に行かないとなかなかわからないことでした。またそこでの人との出会いは大きく、僕自身恵まれていたなと感じています。グランパスでもオランダとの繋がりを深めたことで、現役引退後に“指導者になりたい”と思った時に受け入れ先があったこともラッキーでした。

 

 ライセンスの壁

 

二宮: 13年に日本でS級ライセンスを取得し、翌年には本田選手、吉田選手が在籍したフェンロのコーチに就任しました。

藤田: 1年目にオランダのコーチ協会に登録し、いろいろなコーチが集まる講習会に行きました。そこで現在スペイン1部のバルセロナの監督を務めるロナルド・クーマン、ドイツ1部のレバークーゼン監督のペーター・ボスと会うことができた。彼らといろいろと話せるようになったことで、ネットワークもさらに広がりました。それは僕の財産になっています。

 

二宮: 日本のS級ライセンスは、ヨーロッパでの互換性がないと伺いました。

藤田: 世界でサッカーの指導者をしようとすれば、はっきり言って価値がありません。僕がS級を取った時、「S級はヨーロッパのA級と同じ」とアドバイスしてくれた方ももいました。しかし、明確な基準はありませんでした。当時はトライする人もいなかったから、誰もわからなかった。しかし当事者になって、初めてわかりました。日本のS級ライセンスはAFC(アジアサッカー連盟)との互換性がありアジア内では使えますが、現状では残念ながらヨーロッパの指導資格との互換性はありません。

 

今矢: アジアが下に見られているんですね。

藤田: FIFA(国際サッカー連盟)の下にあるAFCが認めたライセンスならば、地域ごとのライセンスであるヨーロッパとの互換性があってもいいはず。しかし現状UEFA(欧州サッカー連盟)は、自分たちとAFCではコーチレベルにおいて差があると考えています。彼らの言い分としては、ヨーロッパはどの国もサッカーレベルが高いが、アジアはバラつきがある。それを等価交換していいものなのかという考えがあるようです。

 

今矢: 要するに明確なルールはないわけですね。

藤田: 僕もずっと悩みました。AFCプロライセンス=UEFAのAという第一例に自分がなってしまったら、後に続く人も同じになってしまう。それは絶対良くないと思ったので、しばらくは交渉を続けながらコーチをしていました。

 

今矢: アジア側の課題として、アジア全体のレベルがまちまち過ぎるというのは向こうの言い分としてはわからなくもありません。一方でAFCの中でも選ばれた国は特例とするなど、ルールを修正すべきでは?

藤田: あるいは向こうでトライし、実力を認められた指導者は互換性を認めるというかたちでもいいかもしれません。まずは互換性を求めて交渉し、そこから双方が歩み寄り、譲歩していくべきだろうと思います。

 

二宮: 17年に当時イングランド2部のリーズ・ユナイテッドでフロントに入ったのはどういう経緯でしょうか?

藤田: 3年半、フェンロでコーチして、2部で優勝もしました。次の年から1部リーグに上がれるのですが、僕自身はこのままやっていても監督になれないというのがわかったんです。それでも、どうしても監督に挑戦したかった。アンダーカテゴリーのチームの監督のオファーをもらい、オランダサッカー協会に行ったら「NO」と言われました。ここで僕が持っているライセンスに互換性がないことが、はっきりとジャッジされた。それまでは「ちょっと議論する」というものでしたから。それで、もうオランダは諦めようと決めました。ちょうどその時にリーズの現会長アンドレア・ラドリッツァーニに会ったんです。

 

 ビジネス機会を創出

 

二宮: イタリア出身のラドリッツァーニ会長はクラブ再建の立役者と言われています。

藤田: 当時、彼は50%しかクラブの株を持っていませんしたが、「いずれリーズを買うことになる。3年計画があり、3年のうちにプレミア(イングランド1部)に上がりたい。アジア進出も考えていて、アジア人も必要になる」と言われました。僕も二つ返事で「行く」と答えました。行くと決めた時にはコーチングスタッフが決まっていた。そこに入れないのはわかっていましたが、オランダではコーチしかできない。それならばイングランドを経験してみようと思ったんです。リーズにいた約2年は、会長の考えていることや、やろうとしていることを近くで感じられる貴重な時間でした。

 

今矢: ラドリッツァーニ会長が藤田さんに話した「3年計画」通り、3年でプレミア昇格を果たしましたね。

藤田: 彼はリーズの会長になってから、かつて経営難で売却したスタジアム(エランド・ロード)を買い戻しました。自分のイメージするチェアマンズボックスをつくるなど、スタジアムのレイアウトも変えました。

 

今矢: ヨーロッパと日本が違うのはスタジアムですよね。向こうはスタジアムでちゃんと稼ごうとしている。

藤田: 人数で稼げるビジネスだとパイが決まっちゃうじゃないですか。8万人収容ならば、その8万人がいくら払うかのビジネスになる。しかしヨーロッパのサッカーはスタジアムをコミュニティのひとつと考えています。いろいろな階層の人が来て、一番メインのビジネスシートには地元の名士がいっぱい集まる。そこでビジネスの話をしながら、サッカーを見て社交の場にする。それぞれが稼いだ金をサッカーに還元しやすい状況をつくり、サッカークラブを持つステータスも高い。リーグはリーグで華やかさを全世界に売るから放映権料がある。放映権とコミュニティでお金を稼ぐのがビジネスの軸となる。チケット収入は世界的ビッグネームの選手を獲得したらなくなってしまうほどの額しか稼げない。もちろんチケット収入でも稼ぐことは大事だけど、フォーカスしなきゃいけないのは違うところにあると僕は考えます。

 

二宮: 社交の場というのは確かにそうですね。日本の場合は社交の場という認識はあまりない。

藤田: 年間行う試合の約半分は自分たちのスタジアムで開催する。シーズン中の月2回は地元の名士たちが集う、ビジネス機会がサッカーで創出できる。これは結構大きいですよね。

 

今矢: スポーツホスピタリティなど、日本はまだまだ社交できる場が少ない印象がありますね。

藤田: ヨーロッパはスタジアムで様々な形でお金を稼げる構図になっています。ですから、そのための部屋がないなんて考えられません。コミュニティがサッカーを大事にしているから成り立つのかもしれませんが、みんなすごく試合を楽しみにしていますね。

 

二宮: それを含めての文化だし、日常生活が豊かになるということですかね。

藤田: だからこそヨーロッパのスポーツは情熱、楽しみという側に振り切れるわけですよね。日本は、少し教育的な面に傾く。例えば、スタジアムは競技をするところという発想になりがちです。スタジアムをつくろうとしている今だからこそ、今後どうしていくのかをきちんと議論しないともったいないと思います。

 

藤田俊哉(ふじた・としや)プロフィール>

1971年10月4日、静岡県生まれ。清水商業高校、筑波大学を経て、94年にジュビロ磐田に入団した。主力選手として、リーグ優勝3回、アジアクラブ選手権大会優勝1回という磐田の黄金時代を築き上げた。01年にはMVPを獲得。07年にはMF登録初のJ1通算100得点をマークした。12年6月に現役引退。日本代表としては国際Aマッチ24試合に出場し、3得点を挙げた。引退後は指導者として14年、オランダ2部のVVVフェンロのコーチに就任。16-17シーズンで2部優勝し、1部昇格に貢献した。17年にイングランド2部のリーズ・ユナイテッドの強化部入り。18年9月からは、日本サッカー協会のスタッフとなり、技術委員会の欧州駐在強化部会員として日本代表の強化に携わっている。

 

(鼎談構成・写真/杉浦泰介)

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