メジャーリーグのポストシーズンゲームにおいて、日本人初の勝利投手となり、ワールドシリーズ出場を決めたレッドソックスの松坂大輔がこう語った。
「野茂さんの試合結果はネットで確認しました。すべてがすごい。僕なんてまだまだ及びませんよ」

 野茂英雄が海を渡ったのは1995年。その頃、松坂は中学3年生だった。登板のたびに衛星放送で野茂の雄姿を見ていた。
「僕のアイドルでしたよ」
 以前、松坂はそう話していた。

 その野茂がベネズエラのウインターリーグで復活ののろしをあげた。昨年6月に右ヒジを手術し、551日ぶりの実戦マウンド。わずか1イニングのみのピッチングだったが、無失点に封じ、メジャーリーグ復帰への第一歩を踏み出した。
 ウインターリーグで実績を残せば、翌年、メジャーリーグのスプリング・トレーニングに招待選手として呼ばれる道が開けてくる。さらにエキシビションゲーム(オープン戦)で好投すれば、メジャーリーグ契約の可能性が高くなってくるのだ。

 そのチャンスを手にするためにはウインターリーグで結果を出しておく必要がある。ヒジに痛みさえ出なければ、まだまだやれるとの自信が本人にはあるのだろう。
 ウインターリーグで野茂が所属するチームの監督、カルロス・ヘルナンデスはドジャース時代のチームメイト。
 野茂の全盛期を知る男が「私の知っている野茂だ。私もまたプレーしたくなった。今日の彼ならすぐにメジャーに上がれる」と言うのだから、メジャーリーグ復帰の可能性は決して低くはなさそうだ。

 デビルレイズを解雇されたのが2年前の7月。年齢的にメジャーリーグ復帰はかなり厳しいのではないかと思われた。その頃、私は野茂が読んでくれることを願って「クローザー転向の薦め」という原稿を書いた。
 野茂といえば、メジャーリーグでも屈指の奪三振率を誇る。長いイニングは無理でも1イニングならピシャリと封じてくれるのではないか。そう期待したのだが……。

 私が描いたイメージは晩年の江夏豊である。
江夏は先発で活躍した後、クローザーに転向した。野茂と同じようにヒジを痛め、広島時代はパラフィン療法(温熱療法の一種)に明け暮れた。言うまでもなく、江夏は200勝200セーブポイントを記録した日本でただ一人のピッチャーである。

 しかし、野茂にはクローザー転向の意思はまったくないようだ。あくまでもスターターであり続けたいのだろう。
 かつて野茂は私に、
「寝る前に一回から九回まで相手の打線を思い浮かべ、完封のシミュレーションをする。それが先発の醍醐味だ」
と語ったことがある。
 伝説のトルネードは蘇るのか。

<この原稿は07年11月11日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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