3月15日、有明コロシアムは久しぶりに満員の人を飲み込んでいた。
 近年、テニス人口が減っている訳ではないのだが、人を呼べる選手が少なくなったのが原因なのか、「ここまで人が入ったのは久しぶりだ」と関係者が喜んでいた。
 その有明コロシアムのコートでは3人のアスリートが光を浴びていた。ステフィ・グラフ、マルチナ・ナブラチロワ、伊達公子。80〜90年代を沸かせた往年のスーパープレイヤー達だ。彼女達見たさで集まった人々の興奮感は客席でも十分に感じる事が出来た。
(写真:3月15日、有明コロシアムにて行われた「ドリームマッチ2008」にて。往年の名テニスプレーヤー、(左から)伊達、グラフ、ナブラチロワ)
 それにしても、現役選手のプレイではなく、一昔前の選手を見に来るというのはどういう心境なのだろうか?
 確かに、あの当時はテニスをやっていなくとも、名前を知っているテニス選手がいたものだ。ボルグ、マッケンローから始まりレンドル、アガシまで。女子でもエバート、ナブラチロアからグラフ、セレシュとすぐに顔が浮かんでくる。ところが今はシャラポワ、フェデラーくらいしかすぐに出てこない。私の興味が薄れているだけとは思えない現状だ。その点、今日の3人は紛れもなく誰もが知っている選手だった。プレイは見たことがなくても、顔が浮かんでくるアスリート。だからこそ、この日のイベントには多くの人が集まったのだろう。客席にはかつての記憶を確認するかのように、年齢層のやや高めなファンが3人を見守る姿が目立った。

 プレイの内容はさすがだった。
「伊達VSナブラチロア戦」、「グラフVSナブラチロア戦」とエキシビジョンマッチにふさわしい和やかな雰囲気のなかに、時折でてくる素晴らしいプレイ。客席を笑わせてくれる仕草など、プレイヤーとしても、エンターテイナーとしても場数を踏んできた風格が漂う。予想通りの心地良いテニスショーだった。
 ところが、最後の「伊達VSグラフ」戦が始まると空気がガラッと変わる。先ほどまでの和やかな雰囲気はなく、まるで公式戦を見ているよう。客席にいてもその緊張感を感じるし、観客自身も思わず姿勢を正さなければいけない感覚。2人にとってこれはエキシビジョンではなく、あくまでも真剣な戦いだったのだ。

  伊達公子はこの試合に向けて相当な準備を重ねていた。
 半年以上前に会った時にも、「たががエキシビジョンマッチなのに、どうしてそこまで入り込めるのだろう」と不思議に思えるくらい気合が感じられた。それからの彼女のトレーニングは「現役に復活するのでは」と思わせるくらいにまじめなものだった。身体作りを担当するパーソナルトレーナーが、根を上げるくらい熱心にトレーニングし、現役当時から身体をケアしているトレーナーの所にも足繁く通い、万全を期した準備だった。たった1日の為にどうしてそこまでやれるのか。そこまでやらなくても、お客さんは満足するのでは? というのは愚問。これは彼女にとってこれは大切な試合だったのだ。尊敬するアスリート2人に失礼のないように、「テニスプレイヤー伊達公子」を作ってくれた父の為に、自身の可能性にチャレンジする為に……。

 彼女は軽くスポーツするという事が出来ない。
 マラソンに取り組んだ時も、「血の味がしないと練習したって気がしない」と言って走りこんでいた。周りで見ているほうが「別に仕事じゃないんだから」と言うくらいの入り込みようだった。その成果もあり、初マラソンでいきなり3時間半を切るタイム。「彼女はすごいアスリートだから」と一言でくくる人も多いが、彼女がすごいのは身体的才能もさることながら、ストイックなまでにトレーニングに打ち込めるメンタリティーだというのを実感させられた。だからこそ、周りは彼女が新しい事にチャレンジするのを少々恐れている。どこまでも入りすぎてしまうのではないかと、身体を壊すまでやってしまうのではないかと……。

 今回も、故障と隣り合わせなくらい追い込んでいた。
 試合前からトレーナーが「いつ故障が出るのか」、そればかり気にしていたほど。だからこそあの素晴らしいプレイを見せることが出来たのだろう。あのプレイの陰には想像を上回る汗が流されていたのだ。けっして現役時代の貯金でプレイした訳じゃない。本物のスポーツを見せる事の出来るアスリートだからこそ、彼女は人を集める事が出来るのだろう。

 時を越えた真剣勝負に客席からは「終るのが惜しいねぇ」と声も聞かれたが、まさにそれは皆の気持ちの代弁である。

「ドリームマッチ」の名前にふさわしい上質なスポーツエンターテイメントだった。


白戸太朗オフィシャルサイト

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦している。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。
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