日本サッカー協会の故・岡野俊一郎元会長は1968年メキシコ五輪の銅メダリストである。そう書くと「エッ、岡野さんはコーチじゃなかったっけ!?」と驚く方もおられよう。そのとおりなのだが、メキシコ大会を日本は選手登録枠にひとり足りない18人で戦った。

 

 用意されたメダルは19個。岡野さんにメキシコ協会から「選手登録してもいいぞ」との打診があった。「ひとつ余っているんだったら、もらおうかな」。こうして、晴れてメダリストの仲間入りを果たしたというのである。

 

 幸運にも、こんなエピソードが聞けたのは、私が岡野さんの“部下”だったからだ。日本サッカー協会は2003年12月、02年W杯開催を記念して日本サッカーミュージアムを創設した。岡野さんは初代館長。その下にアドバイザリーボードが置かれ、私も末席を汚した。

 

 会議で、岡野さんがしばしば口にしたのが「レガシー」という言葉である。「私たちの仕事は2002年のレガシーを残し、新たに築き上げることです」。IOC委員を長年務めるなど国際派で知られた岡野さんの語りには説得力があった。

 

 日韓W杯が開催された02年の秋、メキシコシティで開かれたIOC総会で「レガシー」という言葉が五輪憲章に盛り込まれた。<オリンピック競技大会のよい遺産を、開催国と開催地に残すことを推進すること>。レガシーには有形のものもあれば無形のものもある。もっといえば「正」もあれば「負」もある。

 

 新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言下でのオリンピック。後世に伝えるべきレガシーはあるのか。あるとすれば、それは苦闘の記録だろう。包み隠さず記録し、記憶し、直視し続ける。2021年の私たちが愚かだったか賢かったかについては、後代の歴史家に判断を委ねればいい。

 

 近代オリンピックの父・クーベルタン男爵が1927年に語った言葉がある。「もし輪廻というものが実際に存在し100年後にこの世に戻ってきたなら、私は自分が作ったものすべてを破壊することでしょう」。世を去る10年前の、いわば“遺言”だ。

 

 それから、ほぼ100年。深読みすれば、「新しい五輪を創造し、構築しろ」という、まだ見ぬ世代へのメッセージだったのではないか。偉人の遺言、それもまたレガシー。東京モデルを世界に問うて欲しい。

 

<この原稿は21年7月24日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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