舞台は1990年代の米ニューヨーク。ヒップホップ、パンク、スケートボード、サーフィン、グラフィティ、ファッションを始めとするストリート・カルチャーを描いた代表的なドキュメンタリー映画に『ビューティフル・ルーザーズ』がある。

 

 ルーザーズ、いわゆる“社会の落ちこぼれ”と烙印を押されたアウトサイダーの若者たちには居場所がない。唯一、自己を表現する場はストリート。行き交う通行人が観客だ。彼らのポリシーは「Do it yourself」。路上のクリエイターは言う。「自分の力を信じている。自分を表現できるものは他に誰もいないんだ」。国歌や国旗から最も遠い存在ながらも、己の腕を疑わない誇り高き若者たち――それが彼らだった。

 

 IOCがスケボーやサーフィン、スポーツクライミングを新競技として採用した背景に、若者のオリンピック離れがあることは広く知られている。24年パリ大会では新たにブレークダンスが加わる。

 

 そこで新型コロナウイルスの感染が拡大する前、プロスケーターも姿を見せるという駒沢オリンピック公園を歩いてみたことがある。管理事務所に聞くと、公園内にデッキを持った若者たちが集まり始めたのは「2000年の前半くらいから」ということだった。「誰かが敷地内に勝手に木材を持ってきて障害物の坂をつくってしまった。それがスケートボード施設の発端となった。しかし、我々としては“これはイカン”と(笑)。こちらが意図したものではなかったんです」

 

 年齢も服装も皆まちまち。彼らは三々五々集まり、帰っていった。集合時間もなければ指導者もいない。上下関係もなければ男女の区別もない。学校体育や部活動とは正反対の風景が、そこには広がっていた。

 

 仮設の有明アーバンスポーツパーク。男子ストリートでの堀米雄斗に続き、女子も西矢椛が金メダルを胸に飾った。西矢に至っては日本人最年少の13歳。16歳の中山楓奈も銅メダルに輝いた。

 

 ストリート・カルチャーの名残りは解説者が発する言葉にも表れていた。「痛そうっすねぇ」「かっけーす」「ビッタビタはめてましたねぇ」。ついていくのに必死だった。どれも今年の流行語大賞候補だろう。

 

 さすがに還暦を超えた今、スケボーに乗ろうとは思わないが、彼らの躍動によって、この競技の魅力を存分に堪能することはできた。テレビ桟敷の今の気分? いやぁ、鬼やばいっす

 

<この原稿は21年7月28日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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