高校3年夏の千葉県大会1回戦、五十嵐は稲毛高を前に12奪三振の完封劇を演じた。この試合の2回、彼は自己最高の144キロを記録した。ヒットこそ4本許したものの、打球はいずれも球威に押されて詰まっていた。
 ネット裏には10球団、13人のスカウトが集結していた。当時のスポーツ紙にはスカウトの次のようなコメントが紹介されている。
「腕の振りの速さは天性のもの。真っすぐが速いのが魅力だね」(日本ハム・田中スカウト)、「球の離し方とヒジの使い方がうまいから手元でボールが伸びる」(広島・苑田スカウト)。
 2回戦の相手は2度の全国優勝を誇る名門・習志野。下馬評も習志野が圧倒的に有利。しかも五十嵐はカゼをひき、38.5度の熱を出していた。誰の目にも敬愛学園に勝ち目はないように映った。

 習志野は2回に2点を先制し、5回にも1点を奪い、試合を有利に進めた。しかし、敬愛学園も懸命に食い下がる。8回に2点を返し、9回表、キャプテンの岡本にも逆転ツーランが飛び出す。
 終わってみれば4対3、敬愛学園の劇的な逆転勝利だった。

 五十嵐は語る。
「実は試合の前から急性胃腸炎にかかり、毎日、点滴を射っていたんです。熱が38.5度ある上に下痢もひどかった。にもかかわらず、体はびっくりするくらい軽かった。9回にキャプテンの逆転ツーランが飛び出した時には、まるで優勝したかのような騒ぎになりました。高校時代、一番思い出に残っているゲームといえば、やはりこれでしょうね……」

 続く東京学館総合技術戦でも、五十嵐の右腕はうなりをあげる。なんと9回2死まで“ノーヒットツーラン”という奇妙な記録をつくってしまうのである。
 ノーヒットノーラン……すなわち1安打も許していないのに、相手に奪われた得点は2点。コントロールの悪さがはっきりと露呈した試合だった。

 しかし、この試合をネット裏でつぶさに観察したプロのスカウトは五十嵐の評価に二重丸をつけた。荒削りなピッチングを潜在能力の高い証拠と判断したのである。プロのスカウトたちは五十嵐の右腕にダイヤモンドの原石のような輝きを見てとったのである。

 いったい、五十嵐はどんな指導をされたのだろうか。屈託のない笑みを浮かべて20歳は言う。
「ウーン、指導といっても、ピッチングに関しては基本を教えてもらっただけでフォームの矯正とかはされませんでした。ボールも投げ込みのようなことは命じられませんでした。きっと“大事に育ててやろう”という思いが監督にはあったんでしょうね」

 それを受けて古橋は言う。
「速いボールを投げる子というのは、体のすべての力を出そうとするから、どうしても体のバランスが崩れ、コントロールが悪くなる。これをなおすには体を回転運動させることです。コンパスの軸と同じ要領ですよ。
 しかし、高校時代の五十嵐は、まだそこまでいってなかった。なにしろ実際には高校に入って初めてピッチャーをやったような子ですから、コントロールがどうのこうのの前に、まず体づくりから始める必要があったんです。どんなにいいフォームで投げようとしても、それを支える筋力がなかったら、バラバラになってしまいますからね。
 五十嵐の場合、まだまだ体は成長するし、筋力も強くなる。すなわちスピードもコントロールも、これからさらによくなるということです。いったい。どこまで成長するのか、私自身が一番、楽しみにしています」

 五十嵐亮太の名前が、一躍、全国にクローズアップされたのは入団記者会見の席だった。
 当時、スワローズの監督だった野村克也は五十嵐の頭髪に目をやるなり、不機嫌な表情になった。
「髪が長い!」
 18歳の五十嵐は気をつけの姿勢をしたまま「はい!」と返事した。
 記者会見終了後、五十嵐はすぐに床屋に飛び込み、髪を短く切った。
 それが彼のプロ生活のスタートだった。

 1年目、いきなり大きな舞台が巡ってきた。
 沖縄・宜野湾でのファーム選手権。
 先発した五十嵐は5回までタイガース打線を1安打、無失点に封じる好投を演じ、見事MVPに輝いた。
「僕って運がいいんですよ」
 人懐っこい笑みを浮かべて、五十嵐は言う。
「ファームといえども日本一を決める試合でしょう。そんな試合に投げることができ、しかもMVP。これまでの野球人生を振り返っても、節目節目でいい指導者に会っているし、好きな球団にも入れた。ツイているな、と思いますね」

 プロ初登板は99年4月20日のドラゴンズ戦。五十嵐は2対2の同点で迎えた延長12回から登板し、敗戦投手になったものの、見る者に鮮烈な印象を残した。
 驚くことに、彼の投じた19球は、そのすべてがストレートだったのだ。
 神宮球場にどよめきが生じた。
 外連味のかけらもない、真っ向勝負のピッチングは、誰もが少年の日に夢見たベースボールの原風景そのものだった。

「僕、本当は目立ちたがり屋なんですよね」
 不意に五十嵐は言った。
「スタンドが“ウォーッ!”とどよめいているのを聞くと“そう?”という気になってくるんです。ファンレターの中に、時々“あなたのストレートを見ていると気持ちがいいんです”とか書いてあると、こっちまでうれしくなってくるんです。見る人に“すごい!”と思われるなんて、考えるだけでゾクゾクしてくるじゃないですか。もっともっと驚かれるピッチャーになりたいですよ」

 今シーズンの成績は36試合に登板し、6勝4敗1セーブ、防御率4.91。高卒2年目の若手にしては上々の成績だ。
 成績の中でもキラリと光るのが奪三振率。11.14という数字は、1試合投げ切れば、それだけの三振がとれることを意味するものであり、なみはずれた球威と球速を裏付けている。

 三振の魅力について、五十嵐はこう語る。
「三振に対するこだわりは自分自身、人一倍強いと思っています。なにしろ“ここで三振をとってくれ”と思われる場面で、実際に三振をとってみせられるピッチャーが僕の目標ですから」

 キャッチャーの古田敦也は、未完の大器をどう見ているのだろうか。
「すごい素質を秘めた選手ですよ。ストレートが速いというのは、ピッチャーにとって一番の財産ですから。ただ変化球はサムいですね。どこに来るかわからないんですから。もしフォークが狙ったところにバンバン落ちてくるようになったら、彼は5億円プレーヤーになりますよ」

 五十嵐には、どうしてもかなえたい夢がある。それは日本人で初めて160キロのボールを投げてみせることだ。
「皆、びっくりするだろうなァ……。スタジアムのどよめきを想像するだけでもうたまらないですよ」
 あどけない表情を上気させ、恐れ知らずの20歳は最後にとびっきりのストレートを投げ込んだ。
「マウンドでもっとドキドキしたいんです。なぜ野球やってるのかと言えば、生きているという実感を味わいたいから。普通に生きていたらドキドキできないじゃないですか。それってつまらないですよ」

(おわり)

<この原稿は『家庭画報』2000年2月号に掲載されたものです>
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