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俊野達彦(群馬クレインサンダーズ/愛媛県松山市出身)第3回 「吉と出た決断」

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 俊野達彦は高校進学を考える際、愛媛県外の高校も視野に入れていたという。だが、心にあったのは全国大会出場への思いだった。全国の舞台へ上がるために選んだ新田高校。彼の決断は間違っていなかった。高校1年時
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俊野達彦(群馬クレインサンダーズ/愛媛県松山市出身)第2回 「父が感じた息子の素質」

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 俊野達彦の実家の庭にバスケットボールリングが現れたのは、小学3年の頃だった。俊野の父・正彦が自身の運動不足解消のために設置したものだ。正彦はバスケットボールの経験者であり、祖父も当時の愛媛県ミニバス
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俊野達彦(群馬クレインサンダーズ/愛媛県松山市出身)第1回 「伝家の宝刀を携えたルーキー」

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 切れ味鋭い日本刀――。これが俊野達彦のプレイを見た時の第一印象だ。スピードに乗ったドライブで相手の守備ブロックを切り裂く。本人も「(ドライブは)他の選手と比べても負けていない」と絶対の自信を誇る。8
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市川孝徳(東洋大学陸上競技部/高知県高岡郡四万十町出身)最終回「“神”への挑戦」

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 市川孝徳が所属する東洋大学陸上競技部には、昨シーズンまで“神”と呼ばれた男がいた。「東京箱根間往復大学駅伝競走」(箱根駅伝)で4年連続山登りの5区を任され、すべて区間賞、うち3度の区間新記録を叩き出
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市川孝徳(東洋大学陸上競技部/高知県高岡郡四万十町出身)第3回「“山”を越え、見えた新しい景色」

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 人は、試練という“山”を乗り越えて、大きく成長を遂げる。東洋大学陸上競技部の市川孝徳にとって、2011年1月3日に刻まれた敗戦が越えるべき“山”だった。「初めて勝負の世界を知り、そこで負けたことが、
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市川孝徳(東洋大学陸上競技部/高知県高岡郡四万十町出身)第2回「箱根に笑い、箱根に泣く」

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 関東学生陸上競技連盟加盟大学のシード権を持つ10校と予選会を勝ち抜いた9校に、関東学連選抜を加えた合計20チームが出場する「東京箱根間往復大学駅伝競走」(箱根駅伝)。東京都千代田区大手町から鶴見、戸
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市川孝徳(東洋大学陸上競技部/高知県高岡郡四万十町出身)第1回「エリートに非ず、されど光る才能」

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「“東洋大学”という看板を背負っているので、その誇りは常に心の中にあります」。そう力強く語ったのは、東洋大学陸上競技部の市川孝徳だ。毎年1月2、3日に行なわれる新春の風物詩「東京箱根間往復大学駅伝競走
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橋本将(愛媛マンダリンパイレーツ/愛媛県宇和島市出身)最終回「現役続行を賭けた大勝負へ」

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「レギュラーとしてもう一度勝負したい」 橋本は2009年のオフ、大きな決断をする。15年間在籍したロッテからのFA宣言だ。前年に国内のFA権を取得した橋本は、その時も権利を行使するか迷っていた。キャッ
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橋本将(愛媛マンダリンパイレーツ/愛媛県宇和島市出身)第4回「里崎と2人体制での日本一」

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 レギュラー目前と思われた橋本に立ちふさがった新たな壁、それが同世代のライバルだった。翌2001年には2学年年上の清水正海が再びレギュラーとしてマスクを被ると、03年からは同い年の里崎智也がレギュラー
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橋本将(愛媛マンダリンパイレーツ/愛媛県宇和島市出身)第3回「プロのキャッチャーへの道のり」

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 プロ1年目の春のキャンプで多くの新人は洗礼を受ける。これまでアマチュアでやってきた野球とのレベルの違いを思い知らされるのだ。強打のキャッチャーとしてドラフト3位で入団した橋本も例外ではなかった。まず
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