レギュラー目前と思われた橋本に立ちふさがった新たな壁、それが同世代のライバルだった。翌2001年には2学年年上の清水正海が再びレギュラーとしてマスクを被ると、03年からは同い年の里崎智也がレギュラーとして起用された。2軍での実績は十分にかかわらず、控えキャッチャーとして1軍でも満足に起用されない日々。その不満を、思わずオフの契約更改の席で担当者にぶつけてしまったこともあった。
「今になってみれば、まだまだ考えが子供だったなと思いますよ。1軍で結果を出していなかったし、得意のバッティングも全然ダメでした。でも、その時は言わないと気が済まなかったんでしょうね」

 「里崎がいなければ今の僕はない」

 転機は2004年に訪れた。ボビー・バレンタイン監督の復帰である。橋本にとってはバレンタインは入団時の指揮官。自分の存在を知っている監督がチームを率いることは大きなチャンスだった。

 そしてバレンタイン監督はキャッチャーに関して奇抜な起用法を試みる。右打ちの里崎と左打ちの橋本を相手先発に応じて使い分けるのだ。自陣のピッチャーとの相性ではなく、打撃面を重視したツープラトン体制。「捕手は1人で固定するほうがチームは強い」という球界の常識とはかけ離れた発想だった。

 ただ、橋本にとって、このボビー流の起用は出場機会を増やすことになる。04年には前年の倍以上となる93試合に出場。翌05年は里崎と交互にマスクを被り、チームは快進撃をみせる。とはいえ、結果を残した次の試合でもバレンタインは相手ピッチャーに応じて容赦なくスタメンを外すこともあった。内心ではこの起用法をどう思っていたのか。
「周りからはあれこれ言われましたけど、僕は割りきっていましたよ。起用は監督が決めること。チームもそれでいい成績を残していたし、不満はなかったですね。むしろ試合に出ない時はいい勉強の機会だと思って里崎のリードを見ていましたし、プラスに捉えられていましたね」

 もちろん、できればレギュラーとして毎試合キャッチャーミットを構えたい気持ちがなかったわけではない。ただ、里崎というライバルでもあり、仲間がいなければ、「今の自分はなかった」と橋本は断言する。
「里崎に負けたくないという気持ちがあったから、頑張れたところもある。刺激し合って、お互いに成長できた面もあるのではないでしょうか」

 橋本自身、ようやく一人前のキャッチャーとしてプロでリードできるようになったのは、この頃からだと振り返る。
「試合の中で全体を見て配球や守備の指示を考えられるようになりました。ゲームをコントロールしているという感覚を抱けるようになりましたね」

 壮絶なプレーオフを勝ち抜いて

 里崎と橋本、2人のキャッチャーに導かれたロッテはレギュラーシーズンを2位で通過。プレーオフ第1ステージで3位の埼玉西武を下し、1位通過の福岡ソフトバンクとの第2ステージに臨む。
「このプレーオフの雰囲気はすごかった。今までに味わったことのないものでした。おそらく今後も味わえないでしょう」

 第1ステージを連勝で突破した勢いに乗り、第2ステージもソフトバンクに初戦、2戦目と勝利。しかし、王手をかけた第3戦、4−0とリードしながら最終回に抑えの小林雅英が崩れ、まさかの逆転負けを喫してしまう。これをきっかけにロッテは連敗。逆王手をかけられた。

 実は第3戦の最終回、マスクを被っていたのが橋本だった。
「責任を感じました。何としても勝たなければと思いました」
 第6戦、橋本はベンチで祈るように試合を見つめた。1点リードで小林が登板し、今度は抑えた。橋本の目からは自然と涙がこぼれていた。

 11年目で初めて味わう勝利の美酒だった。
「チームにとっても30年ぶりの優勝でしたからね。レギュラーを10年張っていても優勝できない人もいますから、僕の人生でも大きな出来事でしたね」
 その後の日本シリーズ、ロッテは阪神に4連勝。橋本は野球人生で最高の瞬間を迎えていた。

(最終回につづく)
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<橋本将(はしもと・たすく)プロフィール>
 1976年5月1日、愛媛県出身。宇和島東高時代は甲子園に4度出場。3年春にはベスト8に進出する。94年のドラフト会議で千葉ロッテから3位指名を受けてキャッチャーとして入団。ケガもあって1軍に定着できない日々が続いたが、6年目の00年に77試合でマスクを被り、打撃でもプロ初本塁打を放つなど結果を残す。04年からはボビー・バレンタイン監督の下、里崎智也と併用で起用され、05年にはリーグ優勝、日本一に貢献した。10年にFA権を行使して横浜に移籍。11年は腰痛が悪化したこともあり、1軍出場がなく戦力外に。今季は地元のアイランドリーグ・愛媛でプレーした。NPBでの通算成績は実働13年、727試合、打率.234、44本塁打、229打点。アイランドリーグでの成績は63試合、打率.276、4本塁打、34打点。身長179cm、88kg。背番号10。



(石田洋之)
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