市川孝徳が所属する東洋大学陸上競技部には、昨シーズンまで“神”と呼ばれた男がいた。「東京箱根間往復大学駅伝競走」(箱根駅伝)で4年連続山登りの5区を任され、すべて区間賞、うち3度の区間新記録を叩き出した柏原竜二(現富士通)である。東洋大が手にした大学駅伝全4つのタイトルは柏原在学時のものだ。その絶対的なエース、“山の神”が抜け、市川ら新チームが目指すのは同校初の大学駅伝三冠だった。


 最上級生となった市川は陸上部副将、駅伝主将に任命された。酒井俊幸監督は、責任を与えることによって、全体を見る力が養われ、更なるレベルアップを期待した。そして市川の熱い気持ちを評価し、「去年の柏原のようにチームの闘志に火をつけるような役割を果たして欲しい」との狙いがあった。

 市川は“神”と称された偉大な先輩について、こう語る。「柏原さんはチームで一番熱いハートを持っていました。メディアから注目され、まわりからのプレッシャーもあった中、4年間で3度も区間新を塗り替えて、自分に打ち克っている。並大抵の気持ちの強さではできないことです。(今の)自分たちのプレッシャーを、柏原さんはほぼひとりで受けていました。主将として学ぶ点は、そういう気持ちの強さです」

 そして、大学生最後のシーズンがスタートした。春は不調だったが、夏に入ると徐々に調子を上げてきた。7月に群馬県の記録会で3000メートル(7分59秒16)、9月には埼玉県の記録会で5000メートル(13分55秒61)と、いずれも自己ベストを更新。それぞれ目標とする7分台、13分台を記録し、いい流れで戦いの秋を迎えた。

 神風吹く、波乱の幕開け

 絶対的な本命不在の今シーズンの大学駅伝界は群雄割拠の様相を呈していた。そんな中、10月に学生三大駅伝の開幕戦、「出雲全日本大学選抜駅伝」が行なわれた。10月は旧暦で“神無月”だが、出雲では神々が集まる土地として“神在月”と呼ばれている。そこに集まった神たちのいたずらか、この日の出雲には“神風”が吹いていた。強い向かい風が1区の選手たちを襲い、優勝候補の東洋大、早稲田大学、駒澤大学の3校は8位、10位、11位と出遅れる波乱の幕開けとなった。

 市川が、任されたのは2区だった。出雲駅伝は全6区間、総距離44.5キロは、三大駅伝の中で最短である。2区は“スピード駅伝”と称される出雲においても、最短5.8キロの“スピード区間”だ。前半型のメンバー構成を組んだ監督の酒井は、市川の2区での起用理由を「一番短い区間ではありますが、主力区間を繋ぐ非常に大事な区間です。チームに勢いをつける走りをして欲しい」と述べ、4年生で唯一エントリーした駅伝主将に火付け役を期待した。

 まさかの8位で1区の設楽啓太から襷を受けた市川は、巻き返しを図る。だが、1区の走者たちを悩ませた向かい風が市川の前にも立ちはだかった。トップ集団から離れた位置にいたため、風をもろに受けなければならなかったのだ。これについては本人も「突っ込まなければいけない展開でしたが、逆にひとりで走ってしまった。風をずっと受けている状態で、なかなかエンジンもかかりませんでした」と反省の弁を述べた。それでも後半は意地を見せた。順位を4つ上げ、4位で3区の服部勇馬に襷を託した。ただ、市川の記録は、区間6位。1位との差は、さらに17秒開いてしまった。

 波に乗れない優勝候補たちを尻目に、抜け出したのは青山学院大学だった。3区のルーキー久保田和真が区間賞の快走で首位に躍り出ると、続く4区の4年生・大谷遼太郎が区間新記録をマークし、その差を広げる。追いかける2位・東洋大も5区の高久龍が区間新で青学大との差を20秒に詰めた。勝負は青学大・出岐雄大、東洋大・大津顕杜のアンカー対決となった。2位と20秒差――。その僅かなリードも、エースの出岐にとっては十分だった。そのまま先頭を譲ることなくゴールテープを切り、大会新記録で出雲を制した。青学大は、大学駅伝初優勝を飾った。

 敗れた東洋大の大津はゴール後、悔しさで泣き崩れた。大津に肩を貸し、抱きかかえるように控室へ連れていく市川もまた目を潤ませていた。「オマエだけのせいじゃない。みんなの結果だ」と、1学年下のアンカーを慰めつつも、市川は自分自身を責めていた。敗戦の悔しさ、関係者への申し訳なさで、溢れ出る涙を止めることはできなかった。レース後、酒井監督は「前半型で出遅れたら勝負にならない。惨敗だった」と厳しい表情で語った。

 チーム一丸、最後の箱根路へ

 出雲から約1カ月後、学生三大駅伝の第2戦である「全日本大学駅伝対校選手権大会」を迎えた。鉄紺の襷をかけた東洋大の選手たちは、全日本での初優勝を目指し、伊勢路を駆け抜けた。2年生の田口雅也が1区で区間賞の走りを見せ、同大は好スタートを切った。2区でトップを譲ったものの、3区で再び先頭を奪い返すと、4区で23秒、5区で40秒と徐々に2位との差を広げていった。

 6区で襷を受けた市川は、出雲での失敗を振り払うように出だしから飛ばした。はじめの5キロを14分10秒で入った。レース前のプランでは14分20秒から25秒で走るつもりが、思ったよりも体が動いたのだ。

 闘志溢れる走りで先頭を引っ張っていた市川だったが10キロ付近でペースダウン。上り坂に入ると、表情は険しくなっていた。それでも最後は力を振り絞るように7区の佐久間健に襷を渡し、「行け!」と叫び背中を押した。2位・駒大との差は15秒広がり、55秒差がついていた。狙っていた区間賞こそ3秒差で逃したが、35分33秒のタイムは従来の区間記録を11年ぶりに更新するものだった。

 7区の佐久間は、区間賞を獲得し、アンカーの1年生・服部に1分7秒の貯金を作って襷を渡した。将来のエース候補である服部に対して、2位・駒大はエースの窪田忍がアンカーを務めた。2年連続で大役を任された窪田は、これぞエースという走りを見せた。中間点で45秒詰め、1年生アンカーにプレッシャーをかける。13キロ過ぎに服部をとらえた窪田は、15キロ手前で一気に突き放した。最終区の逆転で、駒大は2年連続10度目の日本一を果たした。

 市川はレースを振り返り、「出雲の反省を生かし、序盤から主導権をとりましたが、最後の詰めが甘かったです。自分も含め、各区間の残り数キロで差を詰められてしまった。服部にはもっと楽な展開で襷を渡したかった」と悔やんだ。

 東洋大は出雲で青学大の、全日本では駒大の、一戦にかける“覚悟”に屈した。このまま無冠では終われない。市川は部員たちと話し合い、「全員が戦わないといけない。メンバー外でも1人1人の役割がある。皆が使命感を持って戦おう」との意思統一を図った。シーズン最後の戦い、自身の集大成となる箱根駅伝へ向け、チームで一丸となることを誓ったのだった。

 世界を知る、未完のランナー

 箱根を越えた先の市川の目標は、トラックの日本代表になることだ。勝負する距離は5000メートルもしくは1万メートル。そして、いつかはマラソンにも――。そんな長距離ランナーの“王道”を走りたいと思っている。

 市川は学生界のトップランナーでもなければ、東洋大のエースでもない。国際大会の出場経験もない市川だが、実は“世界レベル”を体感している。彼が3年間下り続けた箱根の山下りでは、坂を駆け下りるスピードは最速100メートル14秒台だといわれ、そのペースは1キロ平均約2分30秒。5000メートルに換算すると、12分30秒となる。これはトラックでの世界記録(12分37秒35)を上回るピッチで走っていることになるのだ。つまりアフリカ勢が多くを占める世界トップのランナーたちは、平地で下り並のスピードで走るのだ。市川は「ちょっと信じられない」と笑ったが、「でも負けると思ったら負けるので」と、すぐに顔を引き締めた。その強い眼差しには「いつか日の丸を背負って、世界の舞台に立つ」という覚悟が垣間見えた気がした。

 そんな市川について、東洋大にスカウトした佐藤尚コーチは「勝負をかけられる選手にならないとダメ」と言い、入学時から彼を見ている酒井監督は「(出雲、全日本で)勝てていないのは力不足。もうひと踏ん張りして欲しい」と注文をつけた。監督とともに選手たちと同じ寮で暮らし、生活面もケアをする谷川嘉朗コーチも成長を認めつつ、「みんな市川には厳しいんです」と語り、そして続けた。「それは、それだけ市川に期待しているからなんです」

 母親の自慢だった走りの美しさ、“近所の先生”が期待した潜在能力、名スカウトが見抜いた才能。四万十町が生んだランナーに、多くの人たちが期待を寄せている。その期待に対する自覚と責任の“襷”を肩にかけ、市川は新たなスタートラインに立つだろう。来年1月、箱根という大きな山を越えて――。

(おわり)

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市川孝徳(いちかわ・たかのり)プロフィール>
1990年11月3日、高知県生まれ。小学校1年生からサッカーを始め、高校1年生から本格的に陸上競技に転向する。高知工業高校では、3年連続で「全国高等学校駅伝競走大会」に出場した。東洋大学進学後は、1年生から「東京箱根間往復大学駅伝競走」(箱根駅伝)に出場を果たし、復路の山下りの6区を任され、優勝を経験する。2、3年生の時も6区を任されている“山下りのスペシャリスト”だ。3年生の時には、「出雲全日本大学選抜駅伝競走」と箱根駅伝で、区間賞を獲得し、チームの2冠に貢献した。今シーズンから陸上競技部の副将、駅伝主将を務める。身長177センチ、51キロ。

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(杉浦泰介)


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