俊野達彦は高校進学を考える際、愛媛県外の高校も視野に入れていたという。だが、心にあったのは全国大会出場への思いだった。全国の舞台へ上がるために選んだ新田高校。彼の決断は間違っていなかった。高校1年時のインターハイは逃したものの、冬の全国高等学校選抜優勝大会(ウインターカップ)に出場した。俊野自身の出場時間は少なかったが、自信を掴むきっかけには十分だった。
 自信をつけ始めたことは父・正彦の次のような言葉からもわかる。
「中学校までは私もああしろ、こうしろとアドバイスしていました。特にシュートフォームに関しては口うるさく言っていて、彼も受け入れていました。それが、高校に入ってからは “このフォームで固めていく”と自ら考えて決断するようになっていったんです」

 俊野のシュートの決定率が低くなる理由ははっきりしていた。シュートを打つ際にタメが不十分なことで、シュートの距離も精度も安定しなかったからだ。ゆえに正彦はヒザを曲げるなど、体のどこかでタメをつくるようにアドバイスしてきたという。俊野が「これで固めていく」といったフォームには、父のアドバイスも含まれていた。ヒザを曲げることに加え、シュートを構えた時の手首の返し方を深くすることで独特のタメをつくるようになっていたのだ。息子自身が編み出した新フォームは、正彦も「なるほど」と納得できるものだった。

 さらに実力をつけた俊野は高校2年から国民体育大会(国体)の愛媛県選抜に選ばれた。チームとしてはインターハイに2年連続、ウインターカップは3年連続で出場。結果はいずれも初戦で敗退したものの、全国レベルの高校で過ごした3年間は大きかった。全国大会に加え、遠征にも多い時で月に3回ほど行っており、全国の強豪との対戦に刺激を受けた。そして、俊野の中にある思いが芽生えた。
「やっぱり、全国にはうまい選手がたくさんいると感じましたね。大学進学を機にさらに上のレベルでバスケットをしたいと考えるようになりました」
 2006年4月、俊野は18年間を過ごした愛媛を離れ、大阪商業大学に進学した。

 進化を促したミスマッチ

 大商大は関西選手権4回、関西1部リーグ8回の優勝を誇る強豪だ。実は高校時代の実績が認められ、俊野には複数の大学から推薦入学の話があったという。だが、「バスケットの強い大学に行きたかった」という思いに加え、大商大には新田高校バスケ部の先輩が在籍していたこともあり、「どうせなら先輩がいる大学に行こう」と大商大を選んだ。この俊野の決断は、高校の進学先を決めた時と同様に、吉と出る。大商大で彼が最も影響を受けたという当時のヘッドコーチ・島田三郎(現アシスタントコーチ、大商大名誉教授)に出会ったのだ。
「島田先生にディフェンスの基礎とバスケットの考え方を教えてもらいました。それらが現在の自分のプレイに一番影響していると思います」

 俊野は高校まではどちらかというと攻撃に偏ったプレイスタイルだった。しかし、大商大が掲げていたのはディフェンス重視のバスケット。練習も守備に関わるメニューが多かった。
「ボールを持っている相手選手への対応やヘルプ(味方選手が抜かれた時に、カバーに入ってボールを奪いにいくこと)、ローテーション(ヘルプによって空いたマークを他の選手が順次ずれて引き継ぐこと)……。あまりディフェンスは好きではなかったのですが、大学に入って面白みを教えてもらいました」

 俊野のバスケットへの考え方は、「ディフェンスがしっかりしていないといい選手にはなれないし、チームも勝てない」というふうに変化した。
「常に勝てるチームをつくろうと思ったら、やっぱりディフェンスでどれだけ失点を抑えられるかがすごく大事になってきます。ということは、ディフェンスを常にきちっとやる意識がベースにないと、どれだけ“オフェンスで頑張ります”といっても意味がないんです」

 成長したのは守備面だけではない。攻撃面ではアウトサイドからのシュートを打つ本数が増えた。きっかけはポジションの変化だ。高校時代までは、ポイントガード(PG)でプレイすることもあったが、大商大ではシューティングガード(SG)やスモールフォワード(SF)を務めることが多くなった。司令塔役のPGは、リバウンドにあまり参加せず、相手選手とマッチアップすることもそれほど多くはない。だが、SGとSFはリバウンドへの参加はもちろん、PGよりもシュートを打つ機会が多いため、対人プレイの重要性が大きいのだ。だが、身長185センチの俊野はバスケットボール選手としては小柄だ。それだけに、自分より体格の大きい選手とのミスマッチがほとんどだった。
「大きい選手が多いので、(ドリブルで)中にばかり切り込んで行っても、点は取れない。そこで、アウトサイドからのシュートを磨こうと思ったんです」
 ミスマッチが彼に進化のきっかけをもたらしたのである。

 普段のトレーニングでは、アウトサイドからのシュート練習に重点的に取り組んだ。その結果、スリーポイントシュートなど、アウトサイドからのシュート成功率が格段と上がった。インサイドに加え、アウトサイドにも強くなったことで、相手選手はドライブでくるのか、そのままシュートを打ってくるのか判断に迷う。プレイの引き出しを増やした俊野はバスケット選手としての幅を広げたのである。

 大商大での4年間は、チームとしては2部降格を経験するなど、決して輝かしい結果とはならなかった。それでも、個人としては着実に成長することができた。次は小さい頃から目指してきた日本のトップカテゴリーへ――。ところが、である。俊野はJBL(日本バスケットボールリーグ)、bjリーグ(日本プロバスケットボールリーグ)どちらのリーグのトライアウトも受けず、埼玉県の米菓メーカーに就職したのだ。

俊野達彦(としの・たつひこ)プロフィール>
1988年1月18日、愛媛県生まれ。雄新中―新田高―大商大―草加クラブ―千葉エクスドリームス。小学3年時にバスケットボールを始める。新田高時代は1年時から全国大会に出場。小中高ともに愛媛県の優秀選手に選出。大学は関西大学バスケット界の名門・大商大に進学したが、卒業後は就職し、第一線から離れた。しかし、プロになる夢を諦めきれず、2011年のbjリーグ合同トライアウトやチームトライアウトを受験。同年に入団した千葉エクスドリームスで練習を重ね、今年6月の合同トライアウト最終選考に合格。同月、ドラフト会議で群馬から2位指名を受けた。現在、新人ながら全試合に出場を続けている。高い身体能力と鋭いドライブが武器。身長185センチ、80キロ。背番号33。



(鈴木友多)
◎バックナンバーはこちらから