「キンシャサの奇跡」といえばボクシング史上最高の名勝負といっても過言ではない。“象をも倒す”と恐れられた無敗のチャンピオン、ジョージ・フォアマンに数々の伝説を生み出したとはいえ、オールドタイマーのモハメド・アリが挑戦すると聞いた時、誰もが試合後のアリの無惨な姿を思い浮かべたはずだ。

 しかし、結果はアラーの神すら予期しないものとなった。8回、アリのKO勝ち。アリの右ストレートを浴びたフォアマンが宇宙飛行士のように体を一回転させながらキャンバスに沈む姿は、今もなお網膜にはっきりと刻み込まれている。あれから33年がたつというのに、このシーンだけはいささかも色褪せない。

 アリの作戦は奇妙なものだった。初回からロープを背負い、フォアマンの重いブローを浴び続けた。アリの代名詞といえば「蝶のように舞い、蜂のように刺す」華麗なるボクシングだが、キンシャサのサッカー場でのアリはゴールキーパーのように用心深かった。アゴだけを両腕でガードし、フォアマンの打ち疲れを待った。「ロープ・ア・ドープ」――それがアリが名づけた作戦だった。

「あれは仕組まれた試合だった」。衝撃の告白を行ったのは、伝説の名勝負のもうひとりの当事者であるフォアマンだ。先頃、出版した『God in My Corner』という自叙伝の中でフォアマンは「何かが私を疲れさせた」と述べ、こう続けている。「私は、その時トレーナーに思わずはっきり言ってしまったんだ。“なぁ、オレはこの水にクスリが入っているってわかっている”とね。私はクスリの味がなかなか口の中から消えない中で、やっとの思いでリングにもぐりこむことができたんだ」

 フォアマンによるとタイトルマッチ直前になってトレーナーから「医療薬のような味がする飲み物」を与えられたのだという。「3ラウンドが終わってみると、私はまるで15ラウンドを戦ったかのように疲労していた。何が起こっているんだ? 誰が私の水にクスリをしのびこませたんだ?」

 つまり「ロープ・ア・ドープ」のドープ(dope)は「秘密」ではなく「薬物」だったということか。聖職者の告白だけに名勝負の真贋(しんがん)論争に火がつく可能性も否定できない。

<この原稿は07年5月30日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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