呂比須にとって最も輝かしい経歴は、1998年のフランスW杯出場だろう。
 前年、マレーシアのジョホールバルで行われたアジア第3代表決定戦で日本代表はイラン代表に勝利し、W杯初出場を決めていた。日本人としてW杯出場に大きく貢献した呂比須には多くの友人たちから連絡がきた。
(写真:日本のW杯初出場に貢献した呂比須ワグナー 撮影:西山幸之)
「ブラジルの友人はすでに何度もW杯に出場した経験があった。カレッカ(元・柏)、ファルカン(元・日本代表監督)、オスカー(元・京都監督)……。W杯は特別な大会である。どのように大会に臨めばいいのか。彼らは自分の経験を話してくれたんです」

 例えば――。
 W杯直前の親善試合は、強豪国と対戦する必要はない。直前の試合は、選手たちが自信を持てる相手にすべきだ。強豪国と対戦するのならば、大会までに体力と自信を回復できる、余裕のある時期を選ぶべきだ――などなど。

 ブラジル代表としてプレッシャーをくぐり抜けてきた彼らの言葉には説得力があった。話を聞いて、W杯までの日本代表の試合日程を見ると不安を感じた。大会直前に、ユーゴスラビア代表やパラグアイ代表という強豪国との対戦が組まれていたのだ。
 呂比須は自分が教えてもらった情報を、当時の代表監督だった岡田武史に言うべきか悩んだ。

 呂比須には苦い思い出があった。
 日本に行く前、ブラジル時代のことだ――。
 監督の練習、試合前の選手選び、指示に呂比須が不信感を抱いたことがあった。若かった呂比須は監督のところに行き、自分の意見を話した。すると、次の試合から呂比須は起用されなくなった。
(写真:W杯期間中は町中に国旗が掲げられ、ブラジルの試合時間には、ショッピングセンターも銀行も休業する。それがW杯なのだ。)

 呂比須は、常に真摯な態度でサッカーに取り組む岡田のことが大好きだった。その岡田は、W杯の目標をメディアから尋ねられると、「1勝1敗1分けだ」と答えていた。これを聞いて呂比須は、冗談交じりに岡田にこう言ったことがある。
「岡田さん、そんなことを言わないでくださいよ。ぼくたちを信用していないんですか。形だけでも3戦全勝って言いましょうよ」
 岡田は気さくな男ではあったが、呂比須が監督の彼に言えるのはこの程度が限界だった。
 岡田の怒りを買って、メンバーから落とされては今までの苦労が水の泡になってしまう。ブラジル生まれの呂比須は、誰よりもW杯の重みを知っているつもりだった。

 呂比須はブラジルの友人たちからもらったアドバイスについて、周りの信頼できる日本人に岡田と話をすべきかどうか尋ねた。彼らは一様に「やめた方がいい」と首を横に振った。
――岡田さんがどんな風にとらえるか分からない。
――日本では年長者を重んじる。岡田さんやスタッフが、呂比須へアドバイスを求めてきたら、話せばいい。それまでは、言うべきではない。

 これまで何度もスポーツ新聞などに、自分が全く話していない内容の記事が出たことがあった。万が一、自分が岡田に意見したとなれば、大変な騒ぎになることは予想がついた。
「みんながW杯に出たがっているのは分かっている。その中で誰かを落とさなくてはならない。自分は国籍は日本人になったけれど、100パーセントの日本人じゃない。そのぼくは一番落としやすい選手といってもいい」
 そう考えた呂比須は岡田に意見は言わずに、監督の指示通り全力を尽くすことに決めた。そして、呂比須はW杯のメンバーに残ることができた。

 大会直前、日本代表は合宿が続き、家族とも連絡が取れない状態だった。一日でもいい、家族を呼んで自由にできる日を作れば、選手たちはリラックスして大会に臨めるだろうと思ったこともあった。
 しかし、チームのスケジュールは監督の決定事項であると、口を閉ざすことにした。
 結局、日本代表にとって初めてのW杯は3戦全敗。W杯に出場したという誇らしさと、自分が思っていたことを言わなかったという後悔――呂比須は複雑な気持ちで大会を終えた。

 W杯後も呂比須は日本に残り、03年、アビスパ福岡で現役を引退した。チームからは、コーチとして残らないかという打診を受けていた。このオファーを断れば、日本との関係が途切れてしまう。二度と日本に戻れないかもしれない。
 しかし、日本で生まれた息子から、現役生活を終えた後は、自分たちの“母国”であるブラジルで生活してみたいと言われていた。
 そのため、呂比須は後ろ髪を引かれる思いで、ブラジルに戻った。

 それでも、未だに日本のチームを指導してみたいという思いが呂比須の中にはある。ブラジルで指導者として結果を残せば、日本からいずれ誘いがあるだろう。呂比須はそう信じている。
「本当は選手時代、奥さんに引退したらサッカーの世界から離れると約束していたんですよ。彼女はぼくがサッカーの監督やコーチになれば苦労するだろうと思っていたから。その時は、引退したら家族サービスに徹して、新しい人生を送ろうと思っていた。でも、ぼくはサッカーを愛している。サッカーから離れることはできないんです。このまま監督を続けていたら、奥さんから“出て行け”と言われるかもしれない。でも、出て行かないけどね」
 そう言って、呂比須は笑った。
(写真:パウリスタのスタジアムにて。呂比須はいつの日か指導者として日本に帰るつもりだ。)

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年2月1日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに4月『辺境遊記』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行。
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