「バッター1本でやっていきたいんですけど……」
 高校卒業後、杉本裕太郎は青山学院大学に進学し、野球部に入部した。大学側はピッチャーとして期待を寄せていたが、杉本の心は違っていた。既にピッチャーとしての自分の限界を感じ、逆にバッターとしての可能性を感じていたのだ。入部するとすぐに、杉本は監督に直訴し、バッターに転向した。そして、この勇断こそが今、彼を次なるステージへと引き上げようとしているのだ。
 右の長距離バッターとして期待された杉本は、1年春からリーグ戦に出場する機会を与えられた。だが、木製バットでは金属バットを使用していた高校時代のようにはいかなかった。
「とにかく1年の頃は、バットを何本も折ってばかりいました。金属の時は、大振りしてバットが外から出ても、当たれば飛びましたが、木製でその打ち方だとすぐに折れてしまうんです。ヒジをたたんで、内側からバットを出さないといけないのですが、いわゆる“手打ち”を直すのには本当に苦労しました。1カ月に1本はもたなかった。多い時には2本折ったりしていましたから……。バットは両親に送ってきてもらっているので、その頃はだいぶ迷惑をかけて申し訳なく思っています」

 これに関して父親の敏はこう語っている。
「1年生の時は、よくバットを送っていましたね。でも、それだけ練習している証拠だと思っていました。送る回数が減ったのは、2年生の秋頃からかな。バットを折らずに打てるようになったということですから、成長したんだろうなと嬉しさを感じていましたよ」

 開幕戦からDHとしてスターティングメンバーに選ばれた杉本だったが、2試合は無安打に終わった。
「上級生には自分よりも巧い人がたくさんいる中で、せっかくチャンスを与えられているのに……という悔しさでいっぱいでした。しかもDHでしたから、打たなければ何の意味もなかったんです」

 そんなある日、ひとりの先輩が杉本に声をかけてきた。
「杉本、オマエは1年生なんやから、結果なんか考えずに、思い切ってバットを振ったらいいんよ」
 その言葉で杉本は何かが吹っ切れたような気がした。
「よし、もう結果を気にするのはやめよう。打てなくてもいいから、思い切りバットを振ろう」
 余計な肩の荷をおろした杉本は、すぐに結果を出した。開幕3試合目となった駒澤大学との2回戦、2−0とリードしていたことも気持ちを楽にしたのだろう、杉本は初ヒットとなるホームランを放ってみせた。杉本の大学野球が、ようやくスタートした瞬間だった。

 苦戦した好投手揃いの東都1部

 前年秋に1部最下位となり、入れ替え戦で国士舘大学に敗れて1984年以来、実に52季ぶりに2部に降格した青山学院大は、この春、2部で優勝。入れ替え戦で勝利し、わずか1季で1部復帰を果たした。同年秋、杉本は初めて1部リーグの試合に臨んだ。今や最もレベルの高いリーグとも言われている東都大学野球リーグ。当時、中央大学の澤村拓一(巨人)、東洋大学の藤岡貴裕(千葉ロッテ)、國學院大学の高木京介(巨人)、亜細亜大の東浜巨(福岡ソフトバンク1位指名)……と錚々たるピッチャーたちが顔を揃えていた。

 なかでも杉本が最も印象に残っている試合は、東洋大との1回戦。先発は藤岡だった。0−0で迎えた4回裏、徹底して内角への直球で攻める藤岡に対し、杉本はその内角直球を思い切り叩いた。打球はレフトの頭上を越え、先制2点タイムリーとなった。これを口火に青山学院大はこの回、一挙4点を奪い、試合の主導権を握ると、その後2点を追加し、6−2で快勝した。翌日、スポーツ紙には「杉本裕太郎」の名が載った。
「自分が挙げた得点が直接勝利に結びついたというのは大学で初めてのことだったので、その一打はすごく嬉しかったですね。それに藤岡さんという有名なピッチャーから打ったということもあって、少しだけ自信をつけることができました」

 しかし、その後はなかなか快音を鳴らすことができずに苦しんだ。結局、そのシーズンは37打数7安打4打点、打率1割8分9厘に終わった。杉本は改めて東都リーグのレベルの高さを痛感していた。
「スピード、コントロール、キレ……全てがこれまでとは違いました。その中で木製バットでは芯に当てなければヒットにすることはできませんから、大変な世界に入ったなぁと不安な気持ちにもなりましたね。でも、せっかく期待してもらって試合に出させてもらっていましたから、もっと頑張ろうと思いました」

 史上6人目のサイクル安打

 杉本の打撃が開花したのは、翌年の秋だった。その年、2年生となった杉本は春のオープン戦から4番に抜擢された。春は42打数9安打5打点、打率2割1分4厘と納得のいく結果を残すことができなかったが、それまで一度も打つことができなかった亜細亜大の東浜からタイムリーを放ち、青山学院大にとって東浜からの初打点を叩き出すなど、確かな成長の跡を見せていた。そして同年秋、杉本は快挙を成し遂げ、東都リーグの歴史に名を刻んだのである。

 2011年10月6日、日本大学との2回戦。杉本にとって忘れられない試合となった。それまで打率2割9分6厘とまずまずの結果を残していた杉本はその日、1打席目からヒットを放つと、2打席目にはソロホームラン、3打席目には二塁打を放った。三塁打が出ればサイクル安打となる杉本に、周囲は期待を膨らまし始めた。しかし、本人はまったく狙ってはいなかったという。
「三塁打なんて、狙って打てるものではありません。確率的にはホームランよりも難しい。ですから、サイクル安打については考えていませんでした。それよりも3−4と1点を追いかける展開でしたから、なんとか二塁ランナーを返して同点にしたいという気持ちで打席に入りました」

 2球目、高めのストレートを迷うことなく振り抜いた。感触はあまり良くはなく、多少詰まり気味だったという。しかし、それが功を奏した。左中間に飛んでいったボールを、相手のセンターが勢いよく前進し、ダイビングキャッチを試みた。だが、グラブには収まらず、ボールは転々と外野の奥へと転がっていった。それを見た杉本は二塁を蹴り、三塁へ……。

「セーフ!」
 塁審が両手を大きく広げたその瞬間、リーグとして19年ぶり6人目となるサイクル安打が達成されたのである。このシーズン、杉本は初めて全試合に出場し、打率も3割2分2厘と自己最高をマークした。さらにベストナインにも選出され、リーグにおける存在感を高めた。

 しかし、相手チームは頭角を現し始めた杉本を厳しくマークするようになっていった。昨年、杉本は変化球攻めに苦しみ、春は打率2割6分7厘、秋は2割6分5厘に終わった。特に1年秋以来となるホームランゼロだった秋は悔しさが残っている。反省点のひとつは、変化球のボール球に手を出し、三振が多かったことだ。
「ボールの見極めをしっかりとすること。そして、甘い球に対する打ち損じをできるだけ少なくすること。これが今後の課題です」

 さらなる成長への期待

 4年生が引退し、新チーム発足後、杉本は副将となった。そんな彼に期待を寄せている先輩がいる。杉本が1年時の主将だった下水流昂だ。青山学院大卒業後、Hondaに入社した下水流は昨年のドラフト会議で広島に4位指名を受け、今年、プロの世界に飛び立つ。そんな下水流にとって、3つ後輩の杉本についてこう語っている。
「1年の頃の杉本は、ちょっと抜けていて、逆にそういうところが“かわいい後輩”という感じでした。まぁ、そのまま成長してくれたかなという感じで、今もまったく変わらないですけどね(笑)。とにかく彼の魅力は長打力。自分の経験上、4年の1年間は一番伸びる時期なので、小さくまとまらずに思い切りのいいバッティングをしてほしい。副キャプテンとしてチームをまとめる立場でもありますから、頑張ってほしいなと思います」

 実は1年の頃、杉本は活躍するたびに、下水流に頭をポンポンと叩いてもらえることが何より嬉しく、そしてそれをしてもらいたいために頑張っていたという。その話をすると、「そういうことを言うところが、またアイツのかわいいところなんですよ」と少し恥ずかしそうに、だがやはり嬉しそうに下水流は笑った。

 10カ月後にはプロ野球ドラフト会議が待っている。既に候補のひとりとしてスカウトから注目されている杉本だが、父・敏は「今のままでは厳しい」と感じている。
「もちろん今も一生懸命に練習をしているとは思いますが、まだやり尽くしてはいません。特に打てなくなると、そのままズルズルといってしまう弱さがある。もっと気持ちを強くもって、打てない時でも粘り強さが欲しい」

 とはいえ、父は息子の潜在能力を信じている。
「親の私から言うのもおかしな話かもしれませんが、子どもの頃から“あの子は何かもっているな”と感じていました。ありがたいことに地元のみんなも期待してくれています。私自身、あの子がこれからどんなふうに成長してくれるか、楽しみにしているんです」

 一方、杉本本人は今、プロに対してどう考えているのか。
「もちろん、プロにはチャンスがあれば行きたいです。でも、今の実力では指名してもらえないと思っています。まずはプロうんぬんというよりも、1年生から試合に出させてもらっているその期待を裏切らないように、ラスト1年はきっちりと結果を残すことを考えています」

 そして、こう付け加えた。
「自分にはまだ伸びしろがあると信じています」
 輝きを見せ始めている原石は、果たしてこの1年でどんなふうに変化していくのか――。杉本裕太郎の大学ラストイヤーがもうすぐ始まる。

(おわり)

杉本裕太郎(すぎもと・ゆうたろう)
1991年4月5日、徳島県阿南市生まれ。小学1年の時、「見能林スポーツ少年団」に入り、野球を始める。中学3年時には県総体で優勝、四国総体で4強入りを果たした。徳島商業高では1年春からベンチ入りし、2年秋からエースとして活躍する。青山学院大では野手に転向し、1年春からレギュラーとして試合に出場。2年秋には東都リーグ史上6人目となるサイクル安打を達成し、ベストナインにも選ばれた。189センチ、80キロ。右投右打。

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(斎藤寿子)
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