小川直也(プロレスラー)<後編>「次元が違う猪木ワールド」

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二宮: 本格そば焼酎「雲海 黒麹」のソーダ割り、Soba&Sodaも、だいぶ進んできました。もう1杯いきましょう。
小川: 飲みやすいから、これは何杯でもいけそうですね(笑)。ソーダ割りは気軽に飲めるところがいい。後味がすっきりとして食事にも合う。新しい飲み方を教えてもらえて良かったです。

[size=medium] 昼食のためだけに九州へ[/size]

二宮: そもそも柔道からプロレスに転向しようと思ったきっかけは?
小川: 仕事をしながら、柔道を極めることに限界を感じたからです。個人的な思いとしては、ずっと柔道をしていたい。でも、プロではないので会社の人間としても成長していかなくてはいけない。バルセロナで銀メダルを獲って以降、ずっとジレンマを抱えていました。とはいえ、プロの柔道家にはなれないので、どうしようかと考えていた時、明大の先輩でもある坂口征二さんから声をかけられました。

二宮: 坂口さんも柔道からの転向組ですね。そして、97年にアントニオ猪木さんの設立したUFO(世界格闘技連盟)に入団します。
小川: 猪木さんには、大学3年の世界学生選手権でグルジアのトビリシに行った際にお会いしているんです。ちょうど猪木さんは異種格闘技戦の相手でショータ・チョチョシビリをスカウトに来ていました。僕たちの試合会場にも来ていただいて、坂口さんの仲介でホテルで会うことになりました。その時に、猪木さんは僕に対してピンとくるものがあったようです。坂口さんに「あいつをスカウトしろ」と言っていたとか。もちろん、当時の僕は五輪を目指していましたから、「それは勘弁してください」と断りましたよ(笑)。それから、ずっとタイミングを待っていてくださったみたいなんですね。

二宮: では、かなり前から目をつけられていたんですね。
小川: 実際に猪木さんと話をすると、不思議な世界観を持っていて引き込まれる。仕事を続けるよりも、おもしろそうだなと思わず、乗ってしまったんです(笑)。

二宮: 確かに猪木さんの話は壮大過ぎて、ついつい聞き入ってしまう魅力がありますよね。あの発想力は天才的です。
小川: 猪木さん曰く、「パッとひらめいて見えるものがある」そうです。見えるものがあれば、それに向かって邁進するエネルギーがすさまじい。

二宮: その猪木さんの付け人を3年間務めたのですから大変だったでしょう(苦笑)。
小川: 家にはほとんど帰れなかったですね。夜中まで飲んでいても、「明日の朝はトレーニングだ」と6時や7時集合になる。「いつ寝ているんだろう?」とビックリしましたよ。しかも、スケジュールはその日になってみないとわからない。ある日は「昼飯は地鶏を食べに行こう」と誘われて、行った先が九州でした(笑)。

二宮: え!? 地鶏を食べるためだけに?
小川: わざわざ飛行機に乗って九州に渡り、空港からタクシーで1時間くらいかけて山奥のお店に行きました。焼酎を飲みながら地鶏を食べて、温泉に入って帰る。ものすごい昼食だなと驚きましたよ(笑)。

二宮: アハハハ。それは猪木さんにしかできない芸当でしょうね。
小川: こちらは付き人として、猪木さんの予定に合わせるしかない。前日に「明日は何時にお迎えに行けばいいですか?」と聞いたところで、「う〜ん」と言うだけで明確な返事はないんです。だから、毎朝ずっと猪木さんの自宅に行って出てくるのを待っていました。

二宮: そんな生活を3年間続けたのだから、本当に頭が下がります。
小川: 猪木さんは我々とは全く次元が違うんです。イベントでも最後に猪木さんが出てきて、まとめてくれると思ったら、「今日はオレ、帰る」と言って途中でいなくなってしまう……。カバン持ちでロサンゼルスに行った際には、いつも泊まっている宿舎に着くと従業員がバーッと集まってきて荷物を運んでくれました。すると、猪木さんから「おい、これ、チップだから」と50ドルをポンと渡すんです。従業員は「サンキュー」って大喜びですよ。みんな、知っているから一気に集まってくるんですね(笑)。

[size=medium] 重要な「タメ」と「間」[/size]

二宮: 大変な日々だったとはいえ、今になってみれば貴重な人生経験と言えるかもしれません。
小川: 柔道の世界では絶対にできない経験でしたね。プロレスの世界で生きる術を間近で見て勉強できたことは大きかったです。柔道を飛び出してしまった以上、もう元には戻れないと感じていましたから、なりふり構わず、やるしかない。そもそも僕は柔道家としても他人とは違う道を歩んできました。小さい頃から柔道に取り組んでいたわけではなく、人と同じことをやっていては強くなれない。身長の高さを生かして、当時は邪道と言われた奥襟をつかむ柔道をしていました。先輩たちからは「あんな力づくの柔道では長続きしない」「奥襟を掴むなんて伝統を汚す気か!」と怒られたこともあります。でも、柔道歴の少ない中で結果を出すには手段を選んでいる場合ではないと考えたんです。

二宮: 今では奥襟を取るのは日本でも当たり前になっています。小川さんがイノベーションを起こしたわけですね。
小川: その後、日本でも大柄な選手が増え、奥襟を取り始めると海外の選手もマネをしました。今の柔道はパワーが重視されていますから、軽量級の選手でも奥襟を持つのは普通です。プロレスだって、柔道から転向して人と同じことをしていては芽が出ない。だから、敢えてヒール役を引き受けたんです。

二宮: 小川さんが敵役として大きな注目を集めたのが橋本真也さんとの抗争です。普段はあまりプロレスに興味のなさそうな人たちまで、両者の対決を話題にしていました。
小川: それも裏で糸を引いたのは猪木さんですからね。猪木さんは優れた選手であり、プロデューサーでもありました。「自己プロデュースができない人間はプロレスをする資格はない」。そういう考えを持っていましたね。

二宮: では、ヒールとしてのアドバイスをもらったのも猪木さん?
小川: そうです。猪木さんはベビーフェイスのようで、実際はヒールもできる。「お客さんの反応を感じとってやることがヒールは大事だ」と。最初は、どこまでやっていいのか難しかったのですが、徐々に感覚がつかめてきました。

二宮: ヒールが、ただの悪人では興行が成り立ちません。どのタイミングで何をすればお客さんを沸かせられるか。ベビーフェイス以上にセンスと頭の回転の速さが問われる役回りと言っていいでしょう。
小川: 猪木さんからのアドバイスは「そこでタメをつくれ」「あそこでは間が必要だ」と抽象的でした。「タメ」や「間」について、かなり自問自答しましたね。たとえばお客さんがブーイングしているからといって、そこで一気に行ってはおもしろくない。焦らして焦らして襲いかかる。こういった駆け引きを理解するまでには時間がかかりました。

二宮: ライバルの橋本さんがお亡くなりになって、今年で早いもので10年が経ちます。小川さんから見た橋本さんはどんなレスラーでしたか。
小川: 人間的にはスケールがでかい方でしたよ。先輩として、一緒に組んでいた時にはいろいろ手ほどきもしていただきましたね。その意味では猪木さんに次いで、プロレスラーとしてのあり方を教えてもらえたと感謝しています。

二宮: 彼はお酒も大好きで、私生活も破天荒。昔気質のレスラーというイメージが強かったですね。
小川: 興行が終わると深夜2時くらいまで反省会をして、ホテルの部屋で明け方まで飲むんです。ルームサービスでフルーツ盛りやワインがどんどん出てくる。1泊で相当な額を使ったと聞いています(苦笑)。

二宮: 04年からは「ハッスル」に参戦して「ハッスルポーズ」がブームになりました。当時は自民党の幹事長だった安倍晋三さんも、このポーズをやったほどです。
小川: 当時は総合格闘技の『PRIDE』や『K-1』が流行していて、全く逆のことをやれば、うまくいく自信はありました。エンターテイメント性を追求して米国のWWEのような路線を極める。こういった発想が生まれたのも、猪木さんから受けた影響が大きいでしょうね。

[size=medium] 障害者柔道から学んだこと[/size]

二宮: 指導者としても、小川さんは視覚障害者柔道でロンドンパラリンピックに出場した半谷静香選手を教えていました。障害者を指導してみて、新たな発見もあったのでは?
小川: いろいろ勉強になりましたね。視覚障害者の柔道は組んだところから始めて技をかけ合いますから、見た目以上にハードで体力が必要です。実際に試合を観に行くと、どの選手もゼイゼイ言いながら試合をしている。体力をつけるためには走ったり、基礎トレーニングが必要なのですが、視力が弱いので、それもままならない。どうやって教えたらいいのか、とても悩みました。

二宮: パラリンピック前に話を聞きましたが、実際のレベルも初心者に毛が生えた程度だったとか。
小川: ええ。ロンドンまで時間もなかったので、柔道に専念させて基本から何度も何度も繰り返しました。本人も早めに来て道場内をグルグル走ったり、よく頑張りましたね。投げの練習を本格的にやっていると、畳に耳がぶつかって、だんだんわいてくる(内出血してふくれた状態になること)。それでも「大丈夫です」と耳を冷やしながら続けていましたから。今は理学療法士の資格を取って就職するために、僕の道場から離れましたが、昨年の仁川のアジアパラリンピックでは3位に入り、リオデジャネイロ大会も視野に入ってきたのではないでしょうか。

二宮: リオの次は東京五輪・パラリンピックが開催されます。障害者スポーツを本当の意味で定着させるには、小川さんのようにトップを極めた技術や経験を、障害者の競技に還元させることも大事だと感じます。
小川: それが理想ですが、現実問題として指導する上での労力は10倍くらいかかります。実際に教えてみると、試合会場や練習への送迎だったり、サポートしなくてはならないことがたくさんあるんです。選手や指導者を支える仕組みを整備していかなくてはいけないでしょうね。加えて施設のバリアフリーの問題も実感しました。ロンドンパラリンピック前に茅ヶ崎市で壮行会を開催したのですが、足が不自由で車いすを使っている方など障害者がたくさん集まってくれたんです。でも、会場に段差があったりすると、ひとりでは上がれない。そういった部分から改善されないと、障害者スポーツを取り巻く環境は良くならないと感じました。

二宮: 競技に取り組みやすい環境はもちろん、応援しやすい状況をつくり出すことも求められますね。
小川: それが2020年の重要なポイントになるのではないでしょうか。健常者と同じように、障害者もみんな、頑張っているアスリートを応援したい。東京での開催をとても楽しみにしているんです。でも、応援しようとアクションを起こしたくても、さまざまなハードルがある。施設のバリアフリーや、障害者の方が使いやすい観戦スペースの確保、みんなで応援に行けるコミュニティづくりなど、5年後までに取り組むべきことが山のようにあると気づかされました。

二宮: その意味では柔道の町道場は、障害の有無に関わらず、老若男女が集まるコミュニティの役割を担えるのかもしれませんね。
小川: うちの道場にも子どもたちだけでなく、50代の方が「やってみたい」と訪れますからね。その中で、柔道を学ぶだけでなく、さまざまな人と交わって人生勉強をする。「道場」と名づけてはいますが、僕は「塾」みたいなものだととらえています。

二宮: 気づけば、あっという間に時間が経ってしまいました。今後、プロレスラーとして、指導者として、どんなことをやってみたいと考えていますか。
小川: 正直、全く先のことは考えていないですね。柔道をやっていた頃は、何年後にはこうしたいといった人生設計がありましたが、プロレスに転向後は、そういうことを考えなくなりました。プロレスだって、いつまでやれるかわからない。目の前のことをひとつひとつ頑張るだけだと思っています。

二宮: 小川さんは柔道でもプロレスでも成功を収めた希有な存在です。両方の世界で培ってきたものを、ぜひ後進にも受け継いでほしいと期待しています。
小川: そのためにも柔道界のプロに対する壁は取っ払っていただきたいですね。プロレスをやっている以上、選手や指導者として全日本柔道連盟には登録できない。でも、柔道をやっていて、その道だけで生活していくのは厳しい現実があります。総合格闘技やプロレスに関心のある選手は少なくないんです。少子化が進んで互いに人材が限られてくる中、柔道とプロレスを両方やりながら選手を続ける道があってもいいのではないでしょうか。プロレスだって柔道家がどんどん参入すれば盛り上がるはずです。

二宮: 人材の交流でwin-winの関係を構築するわけですね。私も、その考えには賛成です。
 また、一杯やりましょう。この本格そば焼酎「雲海 黒麹」のソーダ割り、Soba&Sodaで!
小川: 今回はおいしいお酒とともに、いろいろ話ができて良かったです。ぜひ家でもSoba&Sodaをつくって飲んでみたいですね。

(おわり)

小川直也(おがわ・なおや)
1968年3月31日、東京都生まれ。八王子高入学後に柔道を始め、明治大1年時に全日本学生を優勝。翌年の世界選手権無差別級で19歳にして初出場初優勝を果たす。89年には全日本選手権を初制覇(以降5連覇)すると、世界選手権では95キロ超級と無差別級で2階級を制覇。91年の世界選手権でも無差別級を制し、3連覇を達成した。92年のバルセロナ五輪では95キロ超級銀メダル。96年の全日本選手権で7度目の優勝を収め、アトランタ五輪に出場。その後、プロレスラーに転身。橋本真也との抗争が話題となり、「暴走王」の異名をとる。PRIDEなどの総合格闘技のリングでも戦い、04年からは「ハッスル」に登場。ハッスルポーズで人気を集める。07年から「IGF」でプロレスラーとして活躍する傍ら、10年より筑波大学大学院でコーチング学を学ぶ(13年3月修了)。また06年には小川道場を開設し、柔道の指導も行っている。
>>公式サイトはこちら



 今回、小川直也さんが楽しんだお酒は、本格そば焼酎「雲海」の黒麹仕込み「そば雲海 黒麹」。伝統の黒麹、宮崎最北・五ヶ瀬の豊かな自然が育んだ清冽な水で造り上げています。爽やかさの中に、すっきりと落ち着いた香り、そしてまろやかでコクのある味わいが特徴。ソーダで割ると、華やかでスパイシーな香りと心地よい酸味が広がります。
提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
羅豚 ギンザ・グラッセ
東京都中央区銀座3−2−15 ギンザ・グラッセ10F(地下鉄銀座駅 徒歩1分 JR有楽町駅 徒歩2分)
TEL:050-5789-7507
営業時間:
月〜金
ランチ11:00〜15:00 ディナー17:00〜23:30(L.O.22:30)
土・日・祝
ランチ11:00〜16:00 ディナー16:00〜23:00(L.O.22:00)

☆プレゼント☆
 小川直也さんの直筆サイン色紙を本格焼酎「そば雲海 黒麹」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「小川直也さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は2月12日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回、小川直也さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:石田洋之)

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