年末はボクシングが熱い。2016年は12月30日に東京・有明コロシアムで、ダブル世界戦が行われ、大晦日には3都市で6試合の世界戦を開催する。有明の試合ではWBO世界スーパーフライ級の日本人対決に加えて、IBF世界ライトフライ級王者の八重樫東が2度目の防衛戦に臨む。八重樫は“激闘王”と呼ばれるだけに好勝負が期待できる。果たして33歳のベテランは王座を守り抜けるか。2年前の原稿で、八重樫のファイター人生を覗いてみよう。

 

<この原稿は2014年7月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

「一発当たって、コンコンとやったらポコンと倒れた」

 小柄な男は身振り手振りを交えながらも、淡々とした口ぶりで答えた。

 

 4月6日、東京・大田区総合体育館。WBC世界フライ級王者・八重樫東は、オディロン・サレタ(メキシコ)との3度目の防衛戦を優位に進めていた。

 

 そして迎えた9ラウンド。接近戦で右クロスがメキシコ人のアゴを射抜く。左、右と追い打ちをかけると、チャレンジャーはダウン。立ち上がったもののダメージは大きく、レフェリーが試合を止めた。

 

 ファイトプランは、ほぼ完璧だった。前半からボディを中心に攻めてチャレンジャーからスタミナを奪った。

 

「あれ(ボディブロー)が伏線になりました」

 

 八重樫が試合を振り返る。

「腹をたくさん打っていたので、相手は意識を(腹に)集中させていました。ガードが下がったところをバンといく。狙いどおりでした」

 

 これで30歳を過ぎてからの世界戦は4戦4勝と負け知らずだ。ボクサーとしては円熟の域に達しつつある。

 

 しかし、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。3度の敗戦が彼を強くしたのである。

 

 最初の黒星はデビュー7戦目。6戦目でOPBF東洋太平洋ミニマム級王座を獲得した八重樫は2007年6月、イーグル京和(タイ)の持つWBC世界同級王座に挑戦した。だが、軽くあしらわれた。あごを骨折し、大差の判定負けを喫した。

 

 2度目の敗戦は、その約1年後。日本ミニマム級王座への挑戦権をかけたトーナメント準決勝で辻昌建と対戦したが、0-2でまさかの判定負けを喫した。

 

 短期間で2度も敗れれば、たいていのボクサーなら失意に沈む。深い霧の中で八重樫は何を思ったのか。

「正直言って心が折れそうになりました。周りも“八重樫は終わった”みたいな雰囲気になっていましたから。この先、自分はどうなるのか。そりゃ、不安でしたよ。

 しかし、ボクシングをやめようとは思わなかった。いつチャンスがきてもいいように、とにかく練習だけはやっておこう。腐るのだけはやめようと自分に言い聞かせていました」

 

 3度目の世界王座挑戦は11年10月に巡ってきた。相手はWBA世界ミニマム級王者のポンサワン・ポープラムック(タイ)。激しい打ち合いの末、八重樫は10ラウンドTKO勝ちを収める。

 

「世界チャンピオンになりたくてプロになり、やっとベルトを巻けたわけですから、何物にも代え難い喜びがありました。しかし、これまでで一番かと言われれば、そうじゃない。高校時代にインターハイ王者になった時の方がうれしかったですね。ボクシングで初めて認められた瞬間でしたから」

 

 八重樫がボクシングを始めたのは岩手の黒沢尻工高に入学してからだ。それまでは興味すらなかった。

 

 大学はアマの精鋭が揃う拓殖大へ。3学年上には現WBA世界スーパーフェザー級王者の内山高志がいた。

 

 大学を出て入門した大橋ジムには、当時のWBC世界スーパーフライ級王者・川嶋勝重がいた。決して器用なボクサーではなかったが、豪快な右フックには定評があった。打たれても打たれても前に出る生粋のファイターだった。今の八重樫のボクシングにも一脈通じるところがある。

 

「川嶋さんに教わったのは気持ちの強さ。もうダメだというところでも決して諦めず、踏ん張り切るだけの闘志とパワーがあった。プロの試合は言ってみれば気持ちのぶつかり合い。それを川嶋さんから学びました」

 

 紆余曲折を経てデビュー6年半にして、晴れて世界王者になった八重樫に王座統一戦の話が舞い込む。相手はWBC同級王者(当時)の井岡一翔。この一戦は国内初の世紀王者同士の統一戦として話題を呼んだ。

 

 12年6月、大阪で2人は拳を交えた。結論から述べれば、八重樫は僅差の判定で敗れ、タイトルを失った。ふさがった両目のまぶたが激闘の跡を物語っていた。

 

「八重樫選手は本当に強かった」

 試合を振り返って井岡はしみじみと言い、続けた。

「自分自身、精一杯でした。ギリギリのところで勝てた。自分が強いから勝てたとは思えなかった……」

 

 一方、敗れた八重樫はどうだったのか。

「強いというよりは巧かった。要所要所で(パンチを)当ててくる。その技術には感心しました。負けた僕が言うのも何だけど、あの試合のおかげで、いろんな方に僕のことを知ってもらえた。その意味ではやって良かったと思っています」

 

 相手が強ければ強いほど燃える。八重樫とは、そういう男である。勝ち目が薄い相手だからといって対戦を避けたりしない。

 

 9月に予定される防衛戦の相手はWBA世界ミニマム級、同ライトフライ級元王者のローマン・ゴンサレス。39戦39勝(33KO)。“ニカラグアの小さな怪物”と呼ばれている。

 

「もう片道燃料で勝負するしかないでしょう」

 

 武骨な男は、独特の言い回しで抱負を口にした。

「パンチをもらうのは覚悟の上。問題は僕の体が、どこまで持つか。ただ僕のパンチも多少は当たると思うので、頭をつけて終盤はグジャグジャの戦いに持ち込みたい。燃料がなくなったら、命がけで突っ込むだけですよ」

 

 虎穴に入らずんば虎児を得ず――。そんな腹のようだ。

 

「理想は僕の試合を見た人たちから、“オレもまた明日、頑張ろう”と言ってもらえること。勝っても印象に残らない試合をするくらいなら、たとえ負けても“いい試合だった”と言ってもらえる方がまだうれしい。僕はそんなボクサーでいたいんです」

 

 乾いた音を響かせるサンドバックの後ろで小さな影が躍動していた。


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