「大谷翔平と井上尚弥」<前編>
二宮清純: 金子さんにも参加してもらった2016年の「モハメド・アリを語ろう」は大好評でした。今回は国内外で活躍する日本人アスリートを中心に語り合いたいと思います。
金子達仁: お久しぶりです。あの企画はもう8年前ですか。ちなみに、二宮さんと僕が初めてお会いしたのは30年くらい前(1993年夏)ですよ。
パッキャオのメール
二宮: もうそんなに経つ? お互い齢をとりました(笑)。僕はサッカーダイジェストの愛読者で、この人、良い記事書くなと思って編集部まで会いに行った。
金子: その後で、ご馳走になりました。「フリーになったら、こんなに儲かるんだな」ってあの時、初めて知りました。
二宮: いや、先輩だから見栄張っていただけ(笑)。
金子: よく一緒に遊びましたね。おネエさんがたのいる店とか(笑)。
二宮: もう、そのへんでやめておきましょう(笑)。では、まず井上尚弥について。昨年12月、世界スーパーバンタム級WBC&WBO王者の井上がWBA&IBF王者のマーロン・タパレス(フィリピン)にKO勝ち(10ラウンド1分2秒)し、史上2人目となる2階級での4団体統一を達成しました。
金子: あの試合、タパレスは勝ちに来ていなかったような気がしました。彼は“(井上に対して)善戦する自分”を世界に見せたかったのでしょう。その上で、もし運があれば勝てるかも……という戦い方でしたね。
二宮: タパレスはタフな相手ではあったけど、あれが精一杯。2団体統一王者でもミスマッチに見えてしまうところが井上のモンスターたる所以。
金子: タパレスはあれだけ重心を後ろに置いていたら、仮に井上のパンチをもらっても逃げられる、と考えていたのかな。芯には当たりにくいはずなのに。それでも井上は倒してしまった。
二宮: 試合後の会見前に世界6階級制覇を成し遂げたマニー・パッキャオからタパレスにメールが入った。「相手はパウンド・フォー・パウンド(PFP/全階級で体重差のハンデがない場合、誰が最強であるかを指す称号)だからしょうがないよ」と。フィリピンの英雄のこの一言にはゾクッとしました。
金子: 記者会見での直訳はPFPでしたが、僕は「歴史も含めてのPFP」と解釈しました。
二宮: PFPがボクサーの実力を評価する上での横軸なら、縦軸の指標は「オール・タイム・ランキング(ATR)」。その両方を兼ね備えた「オール・タイム・パウンド・フォー・パウンド」だと。シュガー・レイ・ロビンソンの顔が浮かんできます。
金子: 少なくとも、僕には、そう聞こえました。現世で最強と言われる選手は、歴史上の選手と比較される運命にある。だが、大半が良い勝負、もしくは負ける。たとえば、ミドル級で強い選手が現れたとしても「いやいや、トーマス・ハーンズに比べれば……」となってしまう。
二宮: 今のミドル級はジャニベク・アリムハヌリ(現IBF・WBO世界ミドル級統一王者)、少し前ならゲンナジー・ゴロフキンが最強でしょうけど、過去を見ればシュガー・レイ・ロビンソンは別格にしても、シュガー・レイ・レナード、マーベラス・マービン・ハグラー、トーマス・ヒットマン・ハーンズに比べれば……。
金子: その点、井上はATRでもPFPでも勝ててしまいそうなレベルなんだろうな、と思います。
二宮: 彼はバンタム、スーパーバンタムで4団体統一王者になりました。フェザー級に階級をあげても4団体を統一するんじゃないかなとすら思ってしまう。後は時間との戦いですね。
金子: きっと、やっちゃうんでしょうねェ。
大谷はルースを超えた
二宮: 続いて、大谷翔平。彼は一体、誰に匹敵すると考えますか? 近年ならマイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズあたりかな。
金子: いや、そこは二宮さんと意見が違います。
二宮: おっと!?
金子: ジョーダンは確かにすばらしい。でも、マジック・ジョンソンだって素晴らしい。比較すれば良い勝負でしょう。ゴルフならばタイガー・ウッズ派とジャック・ニクラウス派に意見が割れたりするじゃないですか。
二宮: 大谷にはライバルがいないと?
金子: 彼は既に、歴史上のアスリートと比較するのが不可能な域に達したと思っています。
二宮: 大谷は二刀流としてMLB史上初2年連続(2022、23年)「2桁勝利&2桁本塁打」を達成しました。あのベーブ・ルースでさえ2桁勝利&2桁本塁打は1918年の1度だけ。
金子: PFPとATRで言えば大谷が最強でしょう。おそらく、ピッチャーの大谷はバッターのルースに(バットに)かすりもさせないだろうし、バッターの大谷はルースの投げた球をスタンドに放り込むでしょうね。
二宮: おそらく!
金子: 他の競技のスターはレジェンドに対し、“良い勝負止まり”。サッカーのペレ対ディエゴ・マラドーナ、マラドーナ対リオネル・メッシも良い勝負でしょう。しかし、大谷には対象となる相手がいない。
二宮: そんな存在が日本から出たことに驚きます。大谷は23年冬、エンゼルスからドジャースに移籍しました。10年総額7億ドル(約1015億円)の契約、さらに驚愕したのはそのうちの97%が契約終了後の後払いというもの。
金子: 僕もこの数字を聞いて、腰が抜けるほどびっくりしました。世界において、野球がサッカーと同等の人気ならばもっと大変の金額になっていた気がします。
二宮: と言うと?
金子: 23年3月、アメリカと日本が戦ったWBC(ワールド・クラシック・ベースボール)の決勝のアメリカでの視聴者数が600万人。一方、サッカー・カタールワールドカップ(W杯)の決勝戦、フランス対アルゼンチン戦のアメリカでの視聴数は2600万人でした。自国が出ている野球世界一の決勝戦より、自国が出ていないサッカー世界一の決勝戦の方がはるかにアメリカ人は関心がある。ヨーロッパを中心に世界のサッカー人口は2億6000万人といると言われているじゃないですか。
大谷と井上はAI?
二宮: その規模感がもし野球にあれば……。
金子: 大谷の総額は4000億円とかになっていたんじゃないですか。
二宮: 私が驚いたのは、大谷とドジャースが97%の後払いを決めても、他球団から不満の声がそれほど聞こえなかったこと。メジャーリーグは戦力の均衡を目的に97年にラグジュアリー・タックス(ぜいたく税)制度を導入しています。平たくいえば課徴金制度です。規定の年俸総額をオーバーした球団は初年度に超過額の20%、2年連続は30%、3年連続は50%をリーグに支払うという仕組みになっている。このやり方が通れば、格差はさらに拡大してしまう。
金子: 後払いは、ダークな抜け道ですよね。
二宮: 同感! だから「ドジャース、今回はやりすぎでは?」とローカル球団から声があがると思ったんです。少しはあったかもしれないけど、大々的にはならなかった。メジャーリーグがNFLの後塵を拝し、NBAにも追い上げられている中、富裕球団、ローカル球団に関わらず、大谷にメジャーリーグをけん引してもらおうという“総意”ができているような気がしますね。
金子: 僕もその意見には同意します。メジャーリーグ側の“大谷頼み”を感じますよね。
二宮: ところで、大谷にインタビューするとしたら、何を聞きますか?
金子: 僕はインタビューの機会を拒否します。神様の前に出てしまったコバエのように自分がなってしまいそう。あまりにも神々し過ぎて僕ごときでは1ミリたりとも彼の中に入っていけないと思う。
二宮: 急に謙遜しちゃって(笑)。
金子: 逃げますよ。それはともかく大谷を見て育った子どもたちはきっと、僕らとは違う日本人になるんでしょうね。
二宮: 外国人コンプレックスを持たないでしょうね。
金子: 僕は大谷翔平と井上尚弥は未だにAIなんじゃないか、と思っています。
二宮: AI? 実在する人間ではないと?
金子: この2人は僕たちの経験則や固定観念を見事にリセットしてくれた。いや、全面的に叩き潰してくれた。心地いいくらいに……。
二宮: 彼らと同じ時代を生きられていることに感謝ですね。後編ではサッカー日本代表、日本のプロ野球、さらには駅伝などについて語り合いたいと思います。
金子: よろしくお願いします。
(後編につづく)
<金子・達仁(かねこ・たつひと)>
1966年、神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒業後、「サッカーダイジェスト」編集部記者を経て、1995年にフリーに。スペイン・バルセロナで執筆活動中の1997年に「Number」誌に掲載された「叫び」「断層」でミズノ・スポーツライター賞を受賞。著書に『28年目のハーフタイム』(文春文庫)『決戦前夜』(新潮文庫)『惨敗―二〇〇二年への序曲―』(幻冬舎文庫)『いつかどこかで。』(文春文庫)『熱病フットボール』(文藝春秋)『泣き虫』(幻冬舎)などがある。
(構成/写真・大木雄貴)