高橋慶彦さんは広島時代に79年、80年と連覇を達成しました。スイッチヒッターで俊足、切り込み隊長として広島の黄金期を牽引したプレーヤーです。今季、2度目の連覇への条件をうかがいました。

 

 監督の考えを全員が共有

 広島が連覇を果たしたのは79年と80年、この1度だけです。あのときのチームを思い返すと(山本)浩二さんや衣笠(祥雄)さん、江夏(豊)さんと投打の中心にベテラン選手がいて、僕らイキのいい若手はのびのびと野球ができました。とにかく野球が楽しくて仕方なかったのを覚えています。

 

 ベテランの衣笠さんたちは79年に日本一になった後、「一度じゃマグレと言われるから、来年も日本一になってやろう」とすぐに気持ちを切り替えたと聞いていますが、自分たち若手は「カープ勝ったぞ!」と、とにかく盛り上がっていました。ベテラン選手は連覇に向けてプレッシャーがあったでしょうが、チーム全員がそう思う必要はないんですよ。要はバランスです。重圧に耐えるベテラン選手もいれば、イケイケの若手もいる。強いチームはそういうバランスがとれているんだと思います。

 

 当時、広島が強かったのは戦力が整っていたことも当然ですが、何よりも監督の古葉竹識さんが一貫してブレなかったのが強さの要因ですね。古葉さんには「こういう野球をして勝つぞ」という考えがあって、チーム全員が「古葉野球」を理解していた。それが大きいですね。

 

 よく「チームプレー」「チームワーク」と言いますが、これはみんなで一緒になって野球をすることだけではありません。「チームが勝つために、次はこういうことをする」「自分はこういう働きが必要だ」、そのことを選手全員が理解して戦う。これが本当の意味での「チームプレー」であり「チームワーク」です。

 

 連覇したときを含めて強かったあの時代の広島はそれができていました。たとえば1死一塁で打順が回ってきた場合、自分の調子だけでなく次のバッターの調子も考えて打席に入っていましたね。次のバッターが好調なら、自分は当然、進塁打を意識するし、次のバッターが調子を落としている場合、ピッチャーは自分とは勝負してこない確率が高い。そういうときには少々のボール球でも狙っていこう、などといろいろと考えていました。

 

 それは攻撃だけでなく守備でも同じです。「この打者は歩かせてもOK」「1点は大丈夫」ということをベンチもグラウンドもサインが出る前から共有できていました。1番から9番、そして控えの選手まで全員が「古葉野球」を理解していたから、先を考えてプレーできたのが強さの秘密ですよ。

 

 今季の広島は連覇できるかどうか。キーマンを1人あげるなら緒方(孝市・監督)ですね。とにかく彼がブレずに野球をすることが大切です。幸いなことに彼は頑固な性格ですから、自分で決めたこと、自分のやりたい野球を貫くことでしょう。この前(4月19日・横浜DeNA戦)、退場になっていましたが、ああいう熱い姿勢があるなら大丈夫でしょう。

 

 ベテランの黒田博樹が引退した影響も心配されていますが、私は問題ないと思っています。10勝投手がいなくなるのは確かに痛手ですが、「黒田の遺産」が残っているから大丈夫ですよ。黒田が日本に復帰してから広島投手陣はインコースを思いきって突く、内角攻めが多くなりました。これは黒田が教えたもので、それは彼がいなくなったからといって消えるものではありません。

 

 広島の選手は優勝を経験したことで成長しています。自分自身がそうでしたが、優勝することでゲーム中の勝負の機微やシーズン中の山場が分かるようになります。強弱をつけながら戦うことができるんです。優勝が選手を育てると言われますが本当ですよ。成長した選手たちが広島を連覇に導けるのか、OBのひとりとしてとても期待して見守っています。

 

DSC02093<高橋慶彦(たかはし・よしひこ)プロフィール>
1957年3年13日、北海道芦別市出身。74年、広島東洋カープに入団(ドラフト3位)し、1番バッターとして活躍。俊足巧打のスイッチヒッターとして鳴らし、79年、80年、85年に盗塁王を獲得した。ベストナイン5回、日本シリーズMVP(79年)に1度輝いている。33試合連続ヒット(79年6月6日~7月31日)は日本記録。89年にロッテ、90年に阪神へ移籍し92年に現役を引退。引退後は福岡ダイエー、ロッテ、オリックスで打撃コーチやヘッドコーチ、2軍監督などを務めた。現職は福島県に本社を置く住宅会社・ウェルズホームの広報部長。プロ17年で通算打率2割8分、1826安打、163本塁打、477盗塁。


◎バックナンバーはこちらから