97年10月11日、わたしがウズベキスタンで日本代表の戦いぶりに激しく落胆していたころ、東京ドームでは日本人の格闘技ファンが呆然となっていた。高田延彦がヒクソン・グレイシーに惨敗を喫したのである。

 

 今年は、世界の格闘技界に大きな影響を及ぼしたこの試合からちょうど20年ということで、目下、当時の関係者に片っ端からお話をうかがっているのだが、いまさらながら鳥肌モノのエピソードの多さに驚かされている。

 

 何より愕然とさせられるのは高田サイドとヒクソンのサイド、双方のこの試合に対する感じ方、考え方の圧倒的な違いである。未知なる強敵を前に「まるで死刑台に昇るような気分」でリングに向かった高田に対し、ヒクソンの側にはまるで緊張がなかったという。

 

「リオというタフな街で生まれ育ち、銃を持った輩が大挙して道場に押し寄せてくることもあった。そんな環境に比べれば、グローブをした相手と、軟らかいマットの上で戦うことに不安なんか感じるはずがないでしょう」(セコンドについたスタッフの一人)。

 

 格闘家ではありながら、死の淵を覗き込んだ経験はなかった日本人と、日常的に死に神と向かい合ってきたブラジル人。取材を進めれば進めるほど、高田の勝つチャンスは皆無だったことを思い知らされている。

 

 U-20日本代表の戦いぶりが、それにダブった。

 

 堂安がいい選手であることは間違いない。ベネズエラ戦での出来はさっぱりだったが三好の今後には期待もしている。彼らだけではない。今回プレーしたほぼすべての選手に言えることだが、皆おしなべて好素材ながら、皆おしなべて根本的な部分が淡泊に見えた。

 

 純粋に素材だけの比較であれば、ベネズエラと日本の間に大した差はなかったように思う。それでも、多くの選手がA代表でプレーし、国を背負うことの誇りだけでなく恐怖も知っている彼らは、勝つために必要になりそうなものを必死になってピッチの上で探していた。自分のプレーをしよう、と考えたのが日本の選手だとしたら、相手の弱点を探し、少しでもそこをつついてやろうと目論んでいたのがベネズエラだった。ベンチから与えられた指示通りに戦おうとしたのが日本だとしたら、指示を受けた上で、己の知恵とセンサーをフル稼働させたのがベネズエラだった。

 

 日本にも決定機は何度かあった。ただ、シュートを外してもサポーターから名前を連呼してもらえる環境で育った選手に、外せば罵声を浴び、下手をすると身の危険すら感じる状況でプレーしているアタッカーと、同様の決定力を期待できるものだろうか。

 

 世界は、もう少しで手の届くところにある。そのことはよくわかった。けれどいまのままでは絶対に届かない。そのこともよくわかった、U-20のW杯だった。

 

<この原稿は17年6月1日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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