あの日、スタジアムは真っ赤に染まっていた。
 2007年11月28日、さいたま市浦和駒場スタジアム。天皇杯4回戦でJ1の浦和レッズがJ2の愛媛FCを迎えていた。この年、浦和はAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を初制覇。田中マルクス闘莉王(現名古屋グランパス)、鈴木啓太、長谷部誠(現ヴォルフスブルク)らがスタメンに揃っていた。
 ジャイアント・キリングの立役者 

 下馬評は浦和の圧倒的有利。立ち上がりから個人技で上回る赤いユニホームの選手たちは愛媛ゴールに次々と迫る。そのたびにスタンドの9割以上を占めた浦和のサポーターたちが、地響きのような声援を送った。愛媛の選手たちは、J2では体験したことのない異様な雰囲気に飲みこまれてもおかしくはなかった。

「相手が格上なのは百も承知。球際に強くいくしかない」
 右サイドバックで体を張って必死の防戦を続けていた愛媛の選手がいる。21歳の森脇良太だ。当時はプロ3年目。サンフレッチェ広島からの期限付き移籍で愛媛に来ていた。森脇らの働きもあり、J2の地方クラブはアジア王者を相手に互角の勝負を演じる。

 0−0。後半に入ってもジリジリするような展開が続き、浦和のサポーターからはブーイングが起こり出す。徐々に浦和の猛攻に慣れてきた愛媛はサイド攻撃から活路を見出した。
「DFラインが下がり気味で、その前のスペースが空いている。そこへボールを入れれば何かが起きる」
 ピッチを駆け回りながら、森脇は相手の弱点を発見していた。虎視眈々とチャンスが来るのを待った。

 そして、その時はやってきた。後半20分、MF大山俊輔(現カターレ富山)のパスが森脇の前方へ送られる。右サイドを駆け上がって、これを受けると、思い切ってDFライン手前の空いたエリアへクロスを放りこんだ。
「(味方は)見えなかったけど、ボールを入れれば誰か入ってくれる」
 信じて右足を振り抜いた先にオレンジのユニホームを着た選手が待っていた。FW田中俊也だった。ボレーシュートが鮮やかに決まり、愛媛が先制点を挙げる。

 この後、焦って前がかりになった浦和から、後半37分に田中が再びゴールを決め、2−0。愛媛の選手たちと、スタンドの一角に陣取った愛媛サポーターの歓声だけが、重苦しい沈黙に包まれたスタジアムにこだまする。駒場の奇跡――クラブ史に残るジャイアント・キリングが達成された。 

 大金星をあげてのロッカールーム、選手たちの興奮は覚めやらない。人一番元気な森脇が「おいおい、オレら、これでアジアチャンピオンだぞ!」とはしゃぐと、全員がドッと沸いた。
「しびれるような試合でワンチャンス、ツーチャンスをモノにして勝った。オレたちでもやれるという自信になった試合でしたね」

 4ゴール中、3点がロスタイム弾
 
 早いもので、あれから5年の月日が流れた。
 あの日、“赤い悪魔”に一泡吹かせた男が、今季からビッグクラブの一員となってプレーする。
「まさか、この浦和に来るなんて当時は思ってもみませんでしたよ。愛媛にいた時は、愛媛のために、自分のために一生懸命頑張ることで精一杯でしたから。そして、再び広島に戻って(ホームの)ビックアーチで試合をしたい。それ以上のことは考えられませんでしたね」

 DFながら果敢な攻撃参加で、スキあらばゴールを狙う。明るいキャラクターでチームを盛り上げ、広島時代は“太陽の男”とも呼ばれた。森脇がいるところ、何かを起こしてくれそうな期待が膨らむ。そして、その期待に応えてきたからこそ今がある。愛媛時代は先にあげた浦和戦で先制点をアシストしただけでなく、J昇格後初の四国ダービー(06年4月、対徳島ヴォルティス)で勝利に導く豪快なドリブルシュートを叩き込み、サポーターの心をつかんだ。
 
 広島でも昨季の4ゴール中、実に3点がロスタイム弾。その決め方も劇的だった。4月21日の名古屋戦では、敗色濃厚の展開ながら起死回生のミドルシュートがバーに当たりながらもゴールに吸い込まれた。5月19日のヴィッセル神戸戦では、こぼれ球を拾い、相手DFを巧みにかわして迷わず右足を振りぬき、勝ち越し点をあげた。

 そして優勝争い真っ只中だった9月22日の名古屋戦でふわりと浮かせたヘディングシュート。
「いや〜、あれはたまたま。運があっただけで本当はミスですよ(笑)」
 美しい弧を描いた決勝ゴールを本人は苦笑いしながら振り返る。実はゴール前に詰めていたFW佐藤寿人へ落とすつもりで合わせたボールが、そのままGKの頭上を越え、ネットを揺らしたものだったからだ。それでも得点になってしまうところが、やはりお祭り男である。昨季の広島の初優勝は森脇の存在なくしては語れない。

 明るいキャラで愛される存在

 そしてプレー以外でも森脇はサポーターを沸かせてきた。ホームで勝った際にはゴール裏でのマイクパフォーマンスが恒例だった。しゃべりはもちろん、時にはかぶり物をしてスタンドを楽しませた。広島といえばゴール後に選手たちで行うパフォーマンスが名物だ。矢を放つ“定番”に加え、ボウリング、魚釣りなどパリエーションはさまざま。選手たちでアイデアを出し合い、サポーターの意見も取り入れながら、かたちにしてきた。

 Jリーグ王者として臨んだ昨年12月のクラブW杯では“新ネタ”を披露した。相撲パフォーマンスだ。選手でそろって四股を踏み、テッポウのマネをする。日本らしさを全面に押し出した内容は海外メディアでも話題になった。この相撲をテーマに提案したのは、誰あろう森脇だった。
「今まで僕が出してきたアイデアは組体操とかいろいろあったんですけど、全部、“おもろない”って却下されてきたんです(笑)。でも、相撲の話をしたら、寿人さんからも“それ、おもしろいな。ぜひやろう”と初めて言ってもらいました」

 ただ、せっかく初採用された案をチームメイトと一緒にピッチで魅せることはかなわなかった。準々決勝のアル・アハリ(エジプト)戦で左太もも裏を痛め、途中交代。5位決定戦の蔚山現代(韓国)戦に出場できなかったからだ。この試合の後半12分、佐藤のゴール後に披露された相撲パフォーマンスを森脇はスタンドで眺めていた。
「みんなが喜んでやってくれたのはうれしかったです。でも、せっかくのチャンスだったのに本当に残念でした……」
 そんなオチがついてしまうのも、何だかこの男らしい。

 新天地に来ても、その明るいキャラクターは輝きを放っている。新加入選手発表会見では、前日に雪で立ち往生しながらチームメイトや地域住民に助けられた話を披露。会見場を瞬く間に森脇ワールドに包み込んだ。トレーニングでもアップから率先して前の方を走り、大声を出して周りの選手を盛り上げる。新チームで始動して、まだ2週間ながら、もう何年も在籍していたかのような溶け込みようだ。
「去年も雰囲気は良かったですけど、今年はさらに雰囲気がいい。明るい声と前向きな話が増えた」
 広島時代のチームメイトでもあったDF槙野智章は“森脇効果”を感じている。

 森脇自身も「今は毎日、ワクワクしながら過ごしています」と楽しそうだ。
「(広島の監督だった)ミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)、(同僚の)マキ(槙野)、陽介がいたのも大きいですけど、こんなおしゃべりでうるさい人間をチームメイトもスタッフも温かく迎え入れてくれました」

 今季の浦和は鹿島アントラーズからストライカーの興梠慎三を獲得するなど、ACLやJリーグの王座奪還へ積極的な補強を進めた。当然、森脇も目玉選手だ。サポーターの期待はいやがうえにも高まっている。
「“森脇、何しに来たんだ!”って言われないためにも、このチームで優勝するしかない。最後に優勝カップを掲げることしか今は考えていません」

 真っ赤に染まったスタジアムを今度は歓声の渦に巻き込む――。“太陽の男”は来るシーズンに向けて赤く、熱く燃えている。

(第2回につづく)

<森脇良太(もりわき・りょうた)プロフィール>
1986年4月6日、広島県出身。ポジションはDF。小学2年でサッカーを始め、サンフレッチェびんごジュニアユースを経て広島ユースへ。サイドバックに転向し、クラブユース選手権の連覇などに貢献。高校3年時の04年にはトップチームに2種登録され、ナビスコ杯でデビューを飾る。05年に正式にトップチームとプロ契約。出場機会を増やすため、06年からJ2に昇格したばかりの愛媛へ期限付き移籍。レギュラーとして経験を積む。08年に広島復帰後はチームの主力に定着。守備はもちろん、積極的な攻撃参加でチームに勢いを与える存在に成長する。10年1月には日本代表に初招集。アジアカップで出番はなかったものの、優勝を経験する。12年は33試合に出場して4得点をあげ、クラブは悲願の初優勝を収めた。今季より浦和へ完全移籍。J1通算120試合8得点、J2通算100試合9得点、日本代表2試合0得点。身長177cm、75kg。背番号46。



(石田洋之)
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