2017年春、曽我部京太郎(現・日本体育大学4年)は今治西高校に入学した。レスリング部のない進学校を選んだのは、“文武両道”を究めようとしたからだ。「姉に負けたくないという思いもあったんじゃないでしょうか」と父・耕司は言う。3学年上の姉は今治西OG。“勉強で姉に負けたくない”。同校への進学は、そんな思いもあったのかもしれない。

 

 では武道をどこで学ぶのか。幸いにして、それまで練習拠点としていた今治工業と今治西との距離は2kmもなかった。自転車を使えば、10分もかからない。加えて曽我部の自宅からも近かった。そもそもレスリングを始めた頃から通う慣れ親しんだ場所を変えずに済むのならそれに越したことはないだろう。

 

 今治工や同校レスリング部監督の越智雅史(現・愛媛県レスリング協会事務局長)の理解もあった。曽我部から相談を受け、「本人も覚悟を決めて、僕に話をしてきたと思う。それをサポートする方が彼にとっていいと考え、受け入れることしました」と越智。朝練習を終えれば、今治西に戻り、授業を受ける。放課後は再び今治工で汗を流すという日々――。今治工と今治西を行き来する曽我部のハードな高校生活がスタートした。

 

 中学時代腐らず地道に積み重ねてきた成果が高校に入り、花開き始める。管理栄養士の栄養指導に加え、成長期を迎えたことで中学を卒業する頃には、線の細かった身体も大きくなった。曽我部本人の述懐――。

「一気に体重が増えたわけではないのですが、今まで蓄積してきたトレーニングが段々と身になっていったという感じです。身体が大きくなり、パワーが上がったと実感しました」

 

 パワーアップの成果は如実に表れた。大阪で行われた全国高校グレコローマン選手権。男子55kg級で1年生ながら準優勝を果たし、愛媛国体のシード権を獲得した。

「それまで周りの人間は誰も自分のことを知らなかったはず。少しは認められるようになったと思います。“今までやってきたことが間違いじゃなかった”という自信にもなりました」

 

 1ポイントも与えず優勝

 

 そして迎えた愛媛国体。結果に恵まれなかった中学時代から曽我部が優勝を“明言”してきた大会だ。少年男子グレコローマンスタイル55kgに出場すると、初戦(2回戦)から1ポイントも落とさず決勝に駆け上がっていった。2回戦と準決勝にいたっては1分以内にテクニカルフォール勝ち(グレコローマンは8ポイント差が付くと決着。現在の名称はテクニカルスペリオリティー)という“秒殺劇”だった。

 

 決勝の相手は山梨・韮崎工業3年の稲葉海人(現・日体大大学院)。2学年上の稲葉は前年の全国高校総体(インターハイ)の男子フリースタイル50kg級、岩手国体少年男子グレコローマンスタイル50kg級を制した2冠王者。この年の全国高校グレコローマン選手権決勝で曽我部がフォール負けした選手である。当然、“稲葉対策”も講じていた。

「稲葉選手は反り投げや四つに組んでからがとても上手なので、そこを徹底的に練習しました」

 日体大へ出稽古に行った際には、同大でコーチを務めていたロンドンオリンピック男子グレコローマン60kg級銅メダリストの松本隆太郎にディフェンステクニックを学んだ。

 

 その出稽古では、こんな一幕もあった。日体大監督の松本慎吾が部員に対し、曽我部をこう紹介したのだ。

「今年の愛媛国体で優勝する曽我部だ」

 

 それを聞いて本人が意気に感じないわけがない。「自分自身優勝するつもりしかなかったので、改めて気が引き締まりました」。静かに燃えていた闘争心はグツグツと煮えたぎる。当時の様子を越智が証言する。

「それまでも努力をしていましたが、目の色が変わった気がします」

 

 決勝戦に話を戻そう。曽我部は終始冷静に試合を運んだ。組み手争いで相手に得意なかたちを許さない。1-0とリードして第1ピリオドを終えると、第2ピリオドで攻勢を掛ける。場外に押し倒すように投げを打ち、5点差に広げる。その後も攻め続け、得点を重ねてテクニカルフォール勝ち。結局、この大会対戦相手に1ポイントも与えない完勝だった。曽我部は有言実行を成し遂げ、マット上で何度も拳を突き上げた。

 

 地元国体で立った表彰台のど真ん中。そこからの景色は曽我部にどう映ったのか。

「多くの人が応援してくれて、表彰台の一番上に立った時も大歓声で迎えてくださった。自分にとって初めての全国大会での優勝、一つの目標を達成できたので、とてもうれしかった。“これからもっと上を目指していくぞ”という気持ちになりました」

 

 ライバルからの白星

 

 初タイトル獲得後も驕らず高みを目指し続けた。18年1月の全国高校選抜大会四国予選では、フリースタイル男子60kg準決勝で、それまで勝てていなかった香川・高松北1年の竹下航生(現・拓殖大学4年)から初白星を挙げた。

 

 2年時には全国グレコローマン選手権男子60kg級、秋の福井国体グレコローマンスタイル少年男子60kgは、その竹下を決勝で破って優勝。さらに65kg級でアジア・カデット選手権(現・U17アジア選手権)、世界カデット選手権(現・U17世界選手権)と国際大会にも出場した。12月に行われた全日本選手権、高校2年生ながらシニアの全国大会で3位に食い込んだ。

 

 曽我部はその勢い駆って、翌春の全国高校選抜大会(フリースタイル男子65kg級)も制した。高校生活最後の1年はJOCジュニアオリンピックカップ(ジュニア=U20)のグレコローマンスタイル男子63kg級優勝に加え、茨城国体少年男子グレコローマンスタイル65kg級を制覇した。国体3連覇は史上10人目の快挙だった。

 

 高校3年間で手にしたタイトルは、国体3連覇、JOCジュニアオリンピックカップ2連覇、全国高校グレコローマン選手権と全国高校選抜大会(男子フリースタイル65kg級)優勝……。曽我部が世代トップクラスの実績を引っさげ、向かった先は関東の日体大だ。言わずと知れたスポーツの超名門。レスリング部はもちろんのこと各部活動でプロアスリート、オリンピアン、国際大会のメダリストを数多輩出している。

 

 曽我部の目標は「オリンピックの金メダル獲得」である。中学生の頃から出稽古に行っており、同郷の松本が監督を務める日体大は、必然の進学先と言ってもいい。

「大学進路について悩んだことはないです。他の大学に行くという選択肢は頭の中になかったです」

 

(最終回につづく)

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曽我部京太郎(そがべ・きょうたろう)プロフィール>

2001年7月3日、愛媛県今治市生まれ。男子グレコローマンスタイル67kg級。小学3年時、今治少年レスリングクラブで競技を始める。今治西高を経て、20年にレスリングの名門・日本体育大学に進学。高校生時に国体3連覇(1年=55kg級、2年=60kg級、3年=65kg級)を果たすなど頭角を現す。日体大進学後は2年時の全日本学生選手権(67kg級)で優勝すると、3年時に全日本選手権(以下同級)優勝、U23世界選手権で3位に入った4年時にはアジア選手権準優勝、ドイツ・グランプリを制するなど国際大会で結果を残し、世界選手権にも出場した。身長169cm。座右の銘は「人一倍」。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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