2001年夏、愛媛県今治市で造船業を営む曽我部家の第二子として誕生したのが京太郎だ。父・耕司によれば、漢気のある漫画のキャラクターから取ったという。幼少期は「活発な子。素直で不器用で負けず嫌いでした」(父・耕司)、本人は「身体を動かすことが好きで、体力テストではAでした」と振り返る。

 

 そんな彼がレスリングを始めるのは小学3年からだが、出合いとなるとさらに過去へ遡る。父・耕司は今治少年レスリングクラブを指導する越智雅史(現・愛媛県レスリング協会事務局長)の高校の同級生だった。越智は同クラブのOB。今治工業高校に赴任した際、前任者から今治少年レスリングクラブの指導も引き継いでいた。その越智に対し、父・耕司は曽我部が生まれる前に、こんな軽口を叩いていた。

 

「いつかオレに子どもができたらレスリングを教えてよ」

 その言葉は現実となり、曽我部は幼稚園児の時、越智が指導する今工レスリングクラブに顔を出し始めた。この頃はマット運動など身体を動かすことがメインに過ぎなかった。姉が習っていたスイミングクラブやピアノ教室にも通ったが、曽我部は泳ぐことやメロディーを奏でることに夢中にならなかった。

 

 レスリングを本格的に習い始めたのは小学3年時である。友人が入っていた今治少年レスリングクラブに入団した。その時のことを越智はこう述懐する。

「クラブから遠い小学校に入学したので、一時レスリングからは離れていたんです。彼は小学3年で転校してクラブの近所に戻ってきた際、今治少年レスリングクラブの友だちができた。“もう1回レスリングができるならやりたい”ということで、ウチのクラブに入ってきました。同級生の子が戻ってきたので、私自身、うれしかった」

 

“同級生の子ども”ではなく、“いちレスラー”としては、どう見ていたのか。「身体が柔らかかった。もつれたとしても相手の上に乗っている。技を返されても身体を反転させる。そんな印象がありますね」。柔らかさ以上に際立ったのが、努力家の一面だ。越智は続ける。

「全体練習が終わった後、子どもたちに『あと30分、1時間練習するか?』と声を掛けると、必ず残っている1人でしたね。キツイ練習をしていても嫌な顔ひとつしなかった」

 

1日でも多く

 

 同世代の子どもたちと比べて線が細く、試合で勝てない日々が続いた。負けず嫌いの性分。内心は忸怩たる思いがあったはずだ。それでも辞めようと思ったことは一度もなかった。「高校1年で愛媛国体(2017年)があったので、そこで優勝することを目標にしていました」。全国で上位入賞を果たしたのは小学5年時と6年時の計3回だけ。中学時代は表彰台にも上がれなかったにもかかわらず曽我部は「2番、3番を目指していたら、そのレベルの練習しかできない」と1番になることしか考えていなかった。

 

 彼を指導する越智もまた愛媛国体優勝を見据えていた。出稽古を積極的に参加させ、曽我部が中学生になると県外にも足を運んで研鑽を積んだ。県内の管理栄養士の指導を仰ぎ、食育や身体づくりを学んだ。この頃、越智は曽我部にこう発破を掛けていたという。

「他の人たちより1日でも多く練習をしていけば、(2学年上の選手との)700日の差は追いつけるぞ」

 

 曽我部の座右の銘である「人一倍」は、愛媛国体の時にライバルとなり得る選手たちとの年齢やキャリアの差を埋めるためのものだった。「越智先生からは人より練習を1回でも多く、そういう心の持ち方を学びました。自分自身、負けたくないからもっとやる、そういう気持ちをさらに引き上げてくれたのが先生でした」と曽我部。越智は彼の負けず嫌いの性格をうまく利用し、身近なライバルや先輩と競わせることで曽我部の闘争心を煽った。

 

 前述したように中学生時代は、努力に結果が伴わなかったものの、その時期も腐らずコツコツと積み重ねていった。父・耕司の目には、こう映っていた。

「悩んでいる様子は見せなかった。とにかく練習を詰めてやっていました。それに対して結果がバンとついてくるわけじゃなかったですが、ひとつずつ勝っていくことに喜びを感じ、それがうれしくて、また練習を一生懸命頑張っている感じでしたね」

 クラブでの練習とは別に自宅でも特訓していた。練習後、家に帰ってからロープ登りなど体幹を鍛えるトレーニング。来る日も来る日も下を向かず、強くなるための努力を怠らなかった。

 

 雌伏の時を経て、曽我部がようやく陽の目を浴び始めるのは今治西高校に進んでからである。越智がレスリング監督を務める今治工業ではなく、レスリング部もない高校を選んだのはなぜか――。

 

(第3回につづく)

>>第1回はこちら

 

曽我部京太郎(そがべ・きょうたろう)プロフィール>

2001年7月3日、愛媛県今治市生まれ。男子グレコローマンスタイル67kg級。小学3年時、今治少年レスリングクラブで競技を始める。今治西高を経て、20年にレスリングの名門・日本体育大学に進学。高校生時に国体3連覇(1年=55kg級、2年=60kg級、3年=65kg級)を果たすなど頭角を現す。日体大進学後は2年時の全日本学生選手権(67kg級)で優勝すると、3年時に全日本選手権(以下同級)優勝、U23世界選手権で3位に入った4年時にはアジア選手権準優勝、ドイツ・グランプリを制するなど国際大会で結果を残し、世界選手権にも出場した。身長169cm。座右の銘は「人一倍」。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

shikoku_ehime


◎バックナンバーはこちらから